小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

二人の中の三すくみ

INDEX|13ページ/25ページ|

次のページ前のページ
 

 そんな、マラソンを思い出していると、真っ暗な蔵の中に不気味な感覚を覚えたのは、やはり、幼稚園の頃にケガをした、あの時の記憶が最初に思いだされ、さらにその記憶をたどって、中学時代に目撃したあの交通事故が思い出されたに違いない。
 中学時代の記憶から、血の臭いがつながっていき、さらに、
「血を吐きながら続けるマラソン」
 のイメージを、ハツカネズミのかごの中を思い出したに違いない。
 まるで、わらしべ長者のような感覚で、ドミノ的な連鎖反応が引き起こした、
「記憶と意識の交錯」
 を、いかに理解すればいいのか?
 仕事で疲れた頭や、また翌日早く出てこないと仕事が間に合わないという無言のプレッシャーから、
「自分がどうすればいいのか?」
 ということが分からなくなったことで、何をいまさらと思いながら、血の臭いが鼻を掠めていく感じを抱いていたのだ。
 元々、その日は、朝から頭痛がしていた。昼前に頭痛薬を飲んだことで、だいぶ収まってきたのだったが、治ったというわけではない。
 一時的に痛みを抑えているわけで、根本的な解決になっているわけではない。
 そんなことを思いながら歩いていると、何やら、胸騒ぎが感じられるのだった。
 子供の頃から、中学、高校時代と、極端に友達が少なかった不知火は、
「俺はそれでいいんだ」
 という根拠のない考えをいつも抱いていた。
 何がいいのか分からないが、
「下手に友達がたくさんいると、億劫なだけだ」
 という思いが頭を渦巻いているのを感じていた。
 子供の頃に、時々襲ってきた頭痛があった。
 吐き気を伴うその頭痛は、先生からも、
「片頭痛のようなものかも知れない」
 と言われたものだ。
「定期的にあるもので、目の疲れや肩にくる疲れのようなものが影響しているんじゃないかな?」
 と医者が言ったが、
「そんなに年寄りの身体になってきているんですか?」
 と聞くと、
「いやいや、若い人にも片頭痛はつきもので、無理に必要以上に物事を考えてしまうと、余計な神経が回ることで、片頭痛を起こしてしまうことになるんだよ」
 と先生は言った。
「じゃあ、ゆったりとした気分になった方がいいのかな?」
 というと、
「それが一番いいんだろうけど、実際には、それができないから片頭痛になっているんだよ。しようと思っても、どうすればいいのか分からなかったり、自分のいる現在位置が分からなくなっているから、余計に必要以上な想像をめぐらすことで、頭痛がしてくると、勝手に思い込んでしまい、それが、定期的に襲ってくることでの片頭痛になってしまうのではないのかな?」
 と医者は言った。
「ハッキリしないんですか?」
 と医者にいうと、
「ハッキリしないというか、それだけ、人それぞれだということだよ。事情や状況、精神状態によって、同じ人間でも、まったく感じ方が違ってくるものなんだ。だから、一概には言えないし、だからと言って、何もしないわけにはいかないので、ある一定のところで、境界線のようなものを引いて、結界のように感じることで、片頭痛のその時がどこから来るのかを考える必要があるんだよね。無理やりにでも結界を作らないと、永遠に、走馬灯のように回り続ける感覚に、押し潰されてしまいかねない状況に陥ってしまうのではないかと思うんだ」
 と、医者は答えたのだ。
 内容としては、どうにも曖昧な感じではあるが、ハッキリと言い切ることもできないし、ただ、結界が必要なのは、間違いないことのようだ。
 後は、そのある地点というのがどこなのか?
 そのことを考える必要があるのだろう。
「とにかく、定期的に、しかも半永久的に片頭痛が続くことは避けないといけない。意識の問題が大切だと思うんだ」
 と医者はいうのだった。

                 蔵の中

 そんな片頭痛を患う時というのは、どうも、定期的のようだ。
「何か毎日、頭痛があるような気がする」
 と思う時期もあれば、
「最近、頭痛がなかったので、久しぶりな気がする」
 という時期があったので、一度、頭痛の頻度を確認してみたことがあった。
 すると、その時々で、確かに毎日のように続く時期があり、その時期が、2日くらいで収まることもあれば、10日近く続くこともあった。もちろん、ほとんどが単発で、それでも、一週間に一度くらいは、頭痛に見舞われるのだが、その間隔はそこまで違わなかった。
 要するに、続く長さの長い時と短い時で、感覚が違うという思いだけだったのだ。
 その日は、片頭痛はなかったように思えた。何しろ、毎日がほとんど、
「エンドレスで仕事をしている」
 という感覚なので、どれがいつのことだったか、ほとんど分からない。
 たとえは、毎日飲まなければいけない薬があり、
「あれ? 今日は飲んだっけ?」
 ということを思い出そうとしても、なかなか思い出せない。
 どれがいつのことだったのか分からないほど、毎日同じペースで生活をしていて、しかも、その日その日の感覚を感じるという思いがマヒしてしまっているからであった。
 そんな毎日を過ごしていると、駅に向かって歩いているつもりだったのだが、そのうちに、その感覚すら、
「まるでウソみたいだ」
 と思うようになってくる。
 しかも、その日はいつもと違う道を通っているのに、そして別の道を通った理由が、
「気分転換」
 であるにも関わらず、まったく感覚がマヒしてしまったことで、気分転換などできているわけもなかった。
「俺って、どうして、こっちを通ろうと思ったんだっけ?」
 と思ったのは、本当に、気分転換だけだったのだろうか?
 確か、以前にこっちの道を通った時というのは、何か楽しいことがあったことで、この道の思い出が楽しいものだったという意識があったはずではないか。
「あの時のような感覚に、もう一度なりたい」
 という思いがあったはずなのだが、それを歩いているうちに忘れてしまったのだ。
 不知火は、
「道を歩いている時、いつも何か余計なことを考えている」
 と思っていた。
 何を考えているのかは、その時々で違っているが、多いのは、
「昔の懐かしい思い出を振り返っている時ではないか?」
 と感じた時であった。
「会社に入ってまだ3年なのだから、大学時代や、それ以前の思い出ではないだろうか?」
 と思っていると、
「なるほど、確かに。田舎町を歩いているのだから、何を考えている時でも、必ずどこかで、幼稚園のあの時、けがをした時の記憶がよみがえってくるのではないか?」
 と思うのだった。
 それは、最初にそこから入る場合もあるし、逆に、まったく違うところから入って、うまく想像力が誘導するのか、ちゃんと狂いなく、幼稚園の時のケガの場面に行き着くのだ。
 それが夢の差愛護かどうか分からない。
「ただ、それが夢の最後だから、自分が夢を覚えているということはないのではないか?」
 という思いがあった。
作品名:二人の中の三すくみ 作家名:森本晃次