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二人の中の三すくみ

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「自分の声を、自分で感じている時と、テープで撮ったその声を聞いている時では、まったく違う声に聞こえる」
 という状況を感じた時のことであった。
 というのは、
「以前に、学校で弁論大会に皆の陰謀(?)で出場させられた時、自分ではうまく行っていたと思っていたのに、実際に審査後の順位は、なんと、下から2番目のブービーだったのだ」
 という思いを感じた時だった。
 その時、放送部の知り合いに、
「何で、そんなに俺って順位が低かったんだ? おかしいだろう?」
 と話をすると友達は他のことは言わずに、
「これを聞いてみると分かる」
 といって、1つのテープをセットして、聞かせてくれた。
 その内容は、まさに自分が発表した内容だったが、そこで流れてきた声は、まさに別人の声のようで、
「誰だ、これは?」
 と思わず聞き返してしまった。
「これ、お前さ」
 というではないか?
 その声は、まるでヘリウムガスを吸い込んだ声のように、明らかに声を作っていると思わせるものだった。
 まさか、自分の声がこんな変な声だなどと思ってもいないので、
「何だい? 音響の故障でもあったのか?」
 というと、友達は表情一つ変えずに、
「まだ、そんなことを言っているのか?」
 と言いながら、やれやれというポーズを示した。
 不知火が、分からないという表情でキョトンとしていると、
「これがお前の本当の声なんだ。いや、本当の声というと語弊があるかな? しいていえば、この声を皆が耳から聞いているということさ」
 というではないか?
「ということは、自分で感じている自分の声は、人が聞いている俺の声とはまったく違う声で聞こえているということか?」
 ということである。
「確かに、この声は、弁論大会ということもあって、緊張などから、君は声が完全に上ずっているし、どこのか分からないような方言やアクセントが出ているので、それが大きなマイナスになったのは分かるだろう? だからこの順位なんだ」
 と言われ、
「そっか、知らなかったとはいえ、まさかこんな声だったなんて思いもしなかった。これじゃあ、ビリにならなかっただけでも、よかったと思えばいいということなのかな?」
 というと、
「そうだな。だけど、そんなに悲観的になる必要はない。君の声を好きだという人だっているんだよ。だから、自信を無くす必要なないんだ」
 と言われた。
「だけど、それは難しいかも知れないな」
 と、友達に言った。
「どういうことだい?」
 と言われ、
「いや、これはこれで分かるんだけど、一番のネックは、俺自身がこのテープの自分の声を好きになれないんだ。ある意味、自分の一番嫌いな声なんだ」
 というと、友達は。
「それは気にしないでいい。実は俺も同じだったんだ。自分の声をこうやってテープにとって最初に聞いた時、少なからずのショックがあった。何がショックだったのかというと、聞こえてきた声が自分の嫌いな声だったからさ。だけどな。それは、声が違うというショックが自分に与えたショックであって、そのうちに慣れてくると、この声が好きになることがある。このショックはしょうがないことであって、あまり気にすることはないと思うぞ」
 ということであった。
「そうなのかな?」
 というと、
「大丈夫だ。あまり気にしすぎると却って、自分の声以外の他の部分も嫌いになってしまったりするから、余計なことを気にしない方がいい。俺が言いたかったのは、遅かれ早かれ分かることだから、それだったら、早めに推しえてやろうと思ったからさ。だから、お前もあまり気にしない方がいい。いつでも、相談に乗ってやるからな。とにかく今は自分に対して失いかけている自信を取り戻すことだろうな。あまり気にしない方がいいとしか、今の俺には言いようがないがな」
 というのであった。
 そう言われたことで、あまり気にしなくなったのだが、
「自分で感じていることと、まわりの感じることでは、まったく違う場合が往々にしてある」
 ということを、知ったのがその時だったのだ。
 その交差点で感じた臭いもそういうことだったのだ。
 酸っぱさを感じなかったのは、
「自分の血ではない」
 ということからだろう。
 ただ、自分のものではない血が、地面に散乱していると、これほど気持ちの悪いものはない。
 自分の血を感じたことがあるはずなのに、その臭いの恐ろしさ、気持ち悪さを思い出していると、幼稚園の時の自分の血の臭い、さらに弁論大会の時の声の違いを走馬灯のように思いだしていると、
「どうせ、また将来において、今度は、この事故のことを思い出すようになるんだろうな?」
 と感じるようになったのだった。
 この3つの出来事が、社会人になるまでの不知火の中での、無意識に残っている記憶と意識であり、
「記憶から絶対に消えないものであり、思い出す時、必ず何かの違和感を感じることになるに違いない」
 と感じたのであった。
 その三つが走馬灯のようにくるくる回っている感覚は、まるで、
「ハツカネズミが、自分の小屋の中にある、永遠に回り続ける檻の輪のようなもの」
 を思い出すのであった。
 あれは、子供の頃に昔懐かしの特撮番組ということで、スカパーのチャンネルで見た場組だったが、
「血を吐きながら続けるマラソン」
 という言葉があった。
 それは、昭和の時代にあった、
「核軍拡競争を強烈に皮肉ったもの」
 であったが、それは、当時の東西冷戦を表していた。
 つまりは、それを星間に例えたもので、
「地球を守るために、惑星を破壊できるだけの長兵器を開発する」
 というスローガンで、完成した兵器を、宇宙のある星に向かって実験しようということになった時、
 正義のヒーローとして宇宙から来ていた青年が、考えるのであった。
「地球も守るためなら、何をしてもいいのか?」
 ということである。
 すると、そう考えた青年は、他の隊員に、
「もし、侵略者が、こちらよりも強い兵器を持てばどうするんですか?」
 というと、
「だったら。こっちもさらに強い兵器を作ればいいんだ」
 というのだ。
 さらに、隊員はこういった。
「長兵器を持っているということを知らせるだけで、相手が攻めてこなくなる」
 というのだった。
 それこそ、
「核の抑止力」
 というものである。
 だが、これらの話を聞いて、青年は、一言、こういったのだ。
「それは、まるで、血を吐きながら続けるマラソンですよ」
 それを聞いた隊員がどう思ったのか、最後には開発を中止することになったのだが、それは、人間が本当にそんな愚かなマラソンをする動物ではないということに気づいたからなのだろうか?
 その時は、そう感じても、侵略者が攻めてくれば、問答無用の相手だった場合、またしても、地球防衛のために、また兵器開発に邁進するだろう。
 それこそが、
「血を吐きながら続けるマラソンの真意」
 なのではないだろうか?
 マラソンも走馬灯も、果てしない無駄な努力は、絶えず、血を吐きながら続けるものなのではないだろうか?
作品名:二人の中の三すくみ 作家名:森本晃次