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二人の中の三すくみ

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 いじめっ子はどうしても苛立ってしまう。自分が見ている光景を、
「どうしてまわりは見えないんだ?」
 と思うからだ。
 いじめっ子が一番嫌だと思っているのは、まわりが感じている、その
「後ろめたさ」
 に押し潰され、本来であれば、味方になってくれるはずのまわりが、すべていじめっ子に注がれているように見えることだ。
 しかし、さらに外から見ると、いじめられっ子は四面楚歌だった。
 苛めをまわりが止めるわけではないことから、
「黙って、見ている連中も同罪だ」
 と、いじめっ子から見ると、敵であるまわりのいわゆる、
「第三者の中立」
 と結びつきたくもないのに、同類に思われることはたまったものではない。
 それを考えると、苛めに対しての心に大きな穴が開いた気がする。そのせいで、苛めの勢いはなくなり。本当は、そんなに苛めが激しくもないのが分かっているのに、いじめられっ子が、わざわざ大げさに、嫌がるものだから、いじめっ子がさらに孤立してしまうのだ。
 それでも、勧善懲悪というのは、悲しい性で、そこまで分かっているのに、やめることはできない。
「どうすればやめることができるんだ?」
 と思うが、いじめられっ子の呪縛と、洗脳が、やめさせてくれないのだ。
 いじめられっ子の方も、いじめっ子がいての自分の存在だ。そんなことでしか、自分の存在をまわりに示すことができない。まわりからの同情が、生きていくうえでの自分の力であり、生きがいでもあった。
 だが、時間が経つにつれて、いじめられっ子も、その矛盾に気づくようになってくる。
 そうなると、洗脳という神通力がなくなってきて、まずはいじめっ子の呪縛が解けてくる。
 あれだけ、
「どうやったら、やめられるんだ?」
 と思っていたのがウソのように、勧善懲悪の気持ちといじめられっ子に対しての恨みや憎悪が消えていくのだった。
 それも、スーッと消えていくので、心地よさすら感じる。
「これで俺も救われた」
 と思うと、今度は、いじめられっ子に対して、あれだけ思っていた勧善懲悪の呪縛が解けたことで、自分から話しができるようになってきた。
 そして、話の最初は、
「苛めてしまってすまなかった」
 という謝罪だった。
 いじめられっ子もその時は、自分がまわりを洗脳していたなどという意識はない。ただ、自分の中で
「苛められるには苛められるだけの理由があったのではないか?」
 と、この時になって初めて反省をするのだが、そんな時にいじめっ子が誤ってくるのだから、これを許さないという理由はないだろう。
 この和解が、友情を育むことになり、まわりは、今度は興ざめしてしまうのだ。
「何だ、結局仲直りか。面白くない」
 とばかりに、中途半端で終わったことに、憤りすら感じる。
 だから、すべてが終わった後に、冷静に見ている人がいれば、
「一番悪いのは、いじめっ子でも、いじめられっ子でもなんでもない。中立をいいことにいじめられっ子を見て見ぬふりをしていたまわりの連中だ」
 ということを、まことしやかに言われるようになるのだ。
 実際にそうである。実に、
「中立」
 という言葉は都合よくできているのだ。
 中立をいい悪いと考えると、言葉上は、非常にいい言葉に聞こえるが、それは単純に逃げているだけだと思っているのだが、実際にはいじめられっ子を見て、
「俺はあいつよりも、まだマシだ」
 ということを感じることで、自己満足に浸ろうとする。
 だから、苛めがなくなってしまうというのは、傍観者にとっては、都合の悪いことではないのだろうか? 自分の精神安定が脅かされるという感覚であろう。

                 血の臭い

 そんな毎日変わりのない通学路だったはずなのに、それが一転したのは、国道から狭い道に入ろうとして曲がりかけた時だった。
 後ろから、大きな、
「ガッシャン」
 という大きな音が聞こえた。
 それと同時に、何か鈍い音がしたように思えたのだが、それが何か分からなかったが、強い力で押し潰されたかのようなその音に、身体が弾き飛ばされたような思いがして、後ろを振り向くのが怖かった。
 それでも、意を決して後ろを振り向くと、後ろを向いている時は聞こえなかったはずの悲鳴が聞こえてきた。
 そして、人がまるで甘いものに群がるアリのように、集まってくるのを見ると、
「事故が起こったんだ」
 とすぐに状況を判断することができた。
 恐る恐る近づいてみると、黒い車が交差点の真ん中で停車している。そのすぐ横で、誰かが倒れているようで、その向こうにはまた黒い物体が横たわっていた。
 その横たわっている物体は、人ではない、もう少し大きなものだが、それがバイクであることはすぐに分かった。
 色の感じからであるが、それはスクーターのようなものではなく、普通のバイクであった。中型二輪というくらいだろうか。
 中学生だったので、免許を持っているわけでもないし、バイクに興味もなかったことで、横たわっているバイクがどれほどの大きさか分からなかったが、さっきの音を思い出すと、甲高い乾いた音と、鈍い衝突の音とを考えると、甲高い乾いた音は、ブレーキを踏んだ車の音と、ひっくり返った時に、バイクが、横倒しで流れていく時に、アスファルトを滑る音が、甲高く聞こえたに違いなかった。
 当たった瞬間を見なくてよかったというべきか、あんな瞬間を見てしまうと、しばらくは、ショックで眠れなかったり、眠れても、夢の中で出てきたりして、そのショックで目が覚めてしまうほどの衝撃だったことだろう。
 瞬間は見ていなくても、その場に残った惨状を見れば、どれほどひどい事故だったのかということは想像がつく。
 倒れている人は、うつ伏せに倒れているが、その横から、黒いものが流れ出ているのが見て取れた。
 これがバイクからだったら、
「ガソリンが漏れているじゃないか?」
 と思うくらいのもので、人間から流れ出るものと考えると、それが何か、すぐに分かった気がした。
 最初はその臭いが、まるでガソリンのような臭いに感じられたのは、
「まだガソリンの方がよかったな」
 と感じるからであり、実際にそれが何なのか、当然すぐに想像はついた。
 そう、人間の身体から流れる、血液だったのだ。
 黒く見えるのは、アスファルトが黒いからなのか、それとも、上を走っている高速道路の高架で陰になっているから黒く見えるのかとも思ったが、本当の血の色というのは、黒い色で、
「それだけ大量に流れだしている証拠ではないか?」
 と感じたのだった。
 それを見ていると、
「この人、このまま死んじゃうんじゃないだろうか?」
 と感じた。
 まわりからは、その瞬間を目の当たりにしてしまったのか、女の子がすすり泣いているのだった。
 震えに近いすすり泣きが聞こえるのは、悲しいからではなく、恐怖で声が出ない代わりに、反動で泣いてしまったのではないかと思えたからだ。
 事故を目撃した大人でも、よく見ると、ショックで手が震えているようだった。それでも誰かがしっかりしないといけないと、一人が救急車を呼んでいた。
作品名:二人の中の三すくみ 作家名:森本晃次