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マイナスの相乗効果

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 だが、逆にトリックやストリー展開さえしっかりしていれば、小説を書くということにさほどの難しさ、ハードルはないような気がした。恋愛や、ホラー、ファンタジーなどは、さらなるフィクション性、オリジナリティが要求される。それを思うと、
「探偵小説は、ストーリーを考えた時点で、ある程度完成度が高い文学なので、意外とくみしやすいものなのかも知れない」
 と考える人もいるようだ。
 ただ、どうしても、トリックということになると、ハードルが高すぎる。最初は何をどう描いていいのか分からず、
「まず、ストーリーを考えてからのトリックなのか、それともトリックを考えてからの、ストーリー展開を考えるのか?」
 ということが問題だった。
 そういう意味で、新山青年は、まずは、ストーリーを考えてから、トリックを考えた。そっちの方が楽な気がしたからだ。
 しかし、そうなると、結局最後はトリックで引っかかってしまう。
 それでは、
「今度は、まずトリックから考えて……」
 と思うと、完全に、最初から進まないのである。
 トリックが難しいのに、そこにストーリーも考えられていないものをぶち込むというのは、どれほど無謀かということである。
 だが、新山は途中で気が付いた。
「何もトリックを杓子定規に、法則のジャンルだけで考える必要はない。もっと広く細分化して考えたところで、それぞれの場面をストーリーに組み込むことで、今度はストーリーまでできてくる。すなわち、ストーリーとトリックを切り離すこと自体が難しく考えることになる」
 ということであった。
 そう思って、探偵小説を読んでみると、細かいところは、トリックと言えない状況のものをつなぎ合わせることで、時系列や、他に亀裂が生じれば、そこを他のストーリーと絡ませることで、深みを帯びてくる。
 それが、探偵小説の醍醐味で、それを一つ一つ明かしていくのが、探偵の役目である。だから、探偵が必要なのであって、そこから探偵小説が生まれたと考えると、小説は、成り立っていくのだ。
 つまりは、前述のトリックのジャンルに必ずしもこだわることはないのだ。
 きっと、今のマンガやアニメなどのミステリー小説のトリックを思い浮かぶのは、そういった、
「トリックのジャンル」
 というようなものにこだわらないということが大切なのだろう。
 それを思うと、細かく細分化したトリックを、今度は組み合わせることで、事件ができているのかも知れない。
 つまりは、本人の意識にないところで、新たなトリックが生まれ、そのトリックをちゃんと隠すための材料も整っていて、探偵小説を書くには十分な余裕が広がっているものなのかも知れない。
 トリックというのは、ジャンルという意味では前述のようなものだが、犯行方法であったり、捜査員を混乱させるなどの意味合いでのトリックなどを考えると、もっとたくさんあるだろう。それは、それだけ、細分化されたトリックが渦巻いているということになるに違いないのだ。
 新山が書いた小説は、あまり描かれないものだった。
 というよりも、リアルさに欠けるもので、
「基本的にはミステリー小説の中でしか実在しないものではないか?」
 と、言えるものではないかと思えるのだった。
 というのは、これはトリックというよりも、犯罪方法とでもいえばいいのか、ある意味、
「成功すれば、完全犯罪になるのだろうが、基本的には成功する可能性は限りなく低い」
 と呼ばれるものではないかと思われるのだ。
 それだけ、もろ刃の剣と言ってもいいだろうし、とにかく、現実性がないである。
 人間の感情的に不可能な部分があるというべきであろうか。というのは、この犯罪も、
「一人二役」
 と同じで、この犯罪が、その種類の犯罪だということが分かってしまっては、犯人側の敗北になるのだ。
 それは、どういう犯罪かというと、いわゆる、
「交換殺人」
 と呼ばれるものである。
「死体損壊トリック」
 が、被害者と加害者が入れ替わっているという公式があるように、交換殺人というのは、「お互いに利害のある死んでもらいたい人間を、利害のない相手に殺してもらうことで、警察の捜査本心から決して捕まることはない」
 というものである。
 警察は犯罪捜査を、まずは、
「利害関係のある人間」
 から攻めることになる。
 何と言っても、被害者と加害者の間に何の利害関係がないのだし、元々殺したかった人間と、実行犯とが、表向きで、まったく関係がなければ、実行犯に行き着くことはない。
 しかも、実行犯にその時、完璧なアリバイを作っておけば、疑われることもないだろう。
 当然警察は、
「共犯者」
 というものを考えるだろう。
 別に実行犯がいるとすれば、その人は共犯であり、共犯なのだから、必ずどこかでつながっているはずなのである。
 そのつながりがないとすれば、警察が疑うことはない。もし、現場にいたとしても、一切の利害がないのだとすれば、疑う余地などないのだ。
 だから、お互いに利害のない相手を殺し、利害のある人間は、その時に完璧なアリバイさえ作っておけば、完全犯罪は成立する。
 だが、そうは額面通りにはいかない。
 まずは、二人はどこかで必ず知り合うことになるのだから、それを誰にも知られていないということがありえるのかということだ。
 犯行後に、お互いに、まったく知らない人間にならなければいけないわけだが、本当に長い人生の間で可能なことなのだろうか?
 これが、まず、第一の問題である。
 しかし、最大の問題は、犯行に及ぶ場合である。
 自分の死んでほしい人間を、利害関係のない人物に殺させる。
 その間に自分は完璧なアリバイを作っておく。そして、殺してほしい人物が無事に死んでくれて、自分の目的は達成された。
 となれば、次に、今度は自分が、殺してくれた相手のために、人殺しをしなければならない。
 そう思った時、
「果たして、俺が殺人を犯さなければいけないのだろうか?」
 ということである。
 いくら約束をしたとはいえ、相手が約束を破ったといって、警察に駆け込むことなどできるはずなどない。問題は、相手が一人殺しているのだから、逆恨みをして、自分を殺そうとするかも知れないということである。しかし、これだって、
「彼が殺した」
 と言って、警察に匿名で進言すれば、警察も捜査に乗り出すことだろう。
 もちろん、そうなると、自分も終わりなのかも知れないが、証拠があるわけではない。そうなると、最初に殺しをした方が、圧倒的に不利なのだ。これが、交換殺人という殺害方法の一番の欠点ということになる。
 そういう意味で、
「交換殺人は、リアリティに欠ける」
 ということになるのだ。
 そんな交換殺人の話を敢えて書いたのだった。
 正直、どんな内容だったのかということまでは覚えていないのだが、交換殺人をすることによって、それぞれの考え方がいかなるものであったのかということを描いたものだった気がする。
 当然、前述のような計画で、完全犯罪を見越して、犯行を行うのだが、やはり、それでも、第一の殺人が遂行された後に、第二の殺人の実行犯になるはずの男が、怖気づいてしまう。
作品名:マイナスの相乗効果 作家名:森本晃次