マイナスの相乗効果
というのは、被害者の正体が分からないからであった。
所持品はほとんどなく、
「やはり、彼が他殺であって、身元の判明に時間が掛かるように、身元の分かるようなものを最初から抜き取っておいたのだろう?」
というものであった。
そうなると、もう一つ考えられることとして、被害者が死んだのは、本当にあの場所だったのかということである。
毒殺だから、吐血がそのあたりにあるかないかで、死んだのがそこなのか、別の場所なのかということは分かるのだろうが、被害者は、車に轢かれているのである。その時に、身体からは結構な血の寮が噴き出していた。そうなってしまうと、本当に死んだ場所がどこなのかということも分からなくなってしまうのだ。
「犯人が、あそこに死体を遺棄したのだとすると、わざと死んだ後、その場に放置し、車に轢かせることで、殺害現場を分からなくしたということだろうか?」
と一人がいうと、
「じゃあ、何のためにですか?」
というと、
「考えられることとしては、アリバイ工作。あそこで死んだのだということにしてしまえば、犯人にアリバイができるということなのではないかな?」
という。
「でも、それって、被害者が誰なのかが判明し、警察の捜査がその人に及んだ時に効果を発揮するものですよね?」
というと、
「うん、そうだが」
と、まだ、分からないようだったので、
「アリバイ工作ということであれば、アリバイ工作をした人間からすれば、早めにその手の内を警察に明かす必要がありますよね? 時間が経てば、それだけ人の記憶も、証拠もあいまいになってくる。犯人が、身元を分からないようにしたのだとすれば、そこに大きな矛盾が生じないですか?」
と、言われ、初めて、
「あっ、そういうことか。そうなると、この事件は、アリバイ工作が目的だとすると、確かに矛盾を感じますね」
ということが分かったのだ。
彼のアリバイ工作という考えは確かにセオリーから考えると、考えられることであったが、まわりの刑事とすれば、別の方向から事件を見ていた。何と言っても、一番の疑問としては、
「犯人はなぜ、被害者の身元が分かるものをすべて抜き取るようなことをしたのか?」
ということである。
確かに、
「日本の警察は優秀だ」
と言われていることからも、いくら身元が分かるものを隠してみたとしても、少し時間が掛かるであろうが、これは殺人事件だということになって、その気になって捜査すれば、いずれは、身元が判明するということは、犯人にだってわかっていることであろう。そうなると、それでもいいから、時間稼ぎをしたいということになる。
それは、先ほどの考え方から、
「アリバイ工作を併用して使えない」
というリスクがあることから、
「この事件に、アリバイ工作はない」
ということの証明でもあった。
それを踏まえてでも、身元がバレるのを遅くしたいということであるのだが、そこにどんな意味があるというのか、それが問題だった。
さらに、疑問となったのは、なぜ、峠のあの場所だったのか? 死体を遺棄しているところを人に見られる可能性が低いということだろうか? それともう一つ考えられるのは、真っ暗な中で、深夜のほとんど交通量の少ないところでは、結構車を飛ばして走っている人が多いので、目の前に死体が転がっていても、気づくのが遅れて、轢いてしまう可能性は高くなるだろう。
都会のど真ん中では絶対にできないことに違いなかった。
そうやって考えると、
「あの場所での死体発見」
というのは、どの方向から考えても、辻褄は合っている。
そう考えると、
「この事件は、最初から綿密に計算された事件であり、アリバイ工作は、今回の事件で考えられていないと思った方がいいのではないか?」
という考えが、捜査員の中で共通した思いだったようだ。
とにかく、まず一番最初に取り組むことは、この被害者の身元の特定であった。今のところ、何ら手掛かりはない。
身体の特徴も、解剖しても、これと言って何もなかった。歯の矯正の痕はあったが、どこにでもあるような治療痕であり、それだけで、市内の歯医者に当たるのは無理があるだろう。
身体にメスを入れた痕もない。肉体的には、手掛かりとしてはないのだった。
年齢としては、30代くらいであろうか? 会社員だとすれば、係長クラスと言ったところではないかと思われた。
身長も、170?を少し超えたくらいの、中肉中背。まったく手掛かりになることではない。
後は、捜索願の出ている人の捜索であった。
「捜索願か。そういえば、半年前の殺人事件で、捜索願の出ていた人が、事件に関わっているんじゃないかって、その人の捜索もしたんだったよな」
と、今里の事件で、花園店長の捜索をしたのを思い出していた。
「ああ、あの時の事件だよな。だけど、花園店長も見つからないし、一向に、今里氏の寺家の全容が見えてくるわけではなく、却って、捜査が進むにつれて、霧の中に包まれていくような気がしてくるんだよな。どうしてだったんだろうか? 何か、俺たちがミスリードされていたということなんだろうか?」
と考えると、捜査が経ち切れになって、迷宮入りに入ってしまったことが悔やまれるのだった。
「まさか、この死体が、あの時行方不明であった花園店長だったりはしないよな?」
などと言って、鑑識に聞いてみると、
「整形手術の痕などまったくない」
という答えが返ってきた。
鑑識は少し立腹していた。何しろ、
「被害者には、メスを入れた形跡はない」
と言っているのに、
「何を聞いていたんだ?」
と思ったからだった。
もちろん、二人とも分かってはいたが、それでも、活路という意味で、もう一度確認してみたくなった気持ちは分からなくもない。それを思うと、
「この事件も、また厄介な事件になるのではないか?」
と思えたのだった。
今回は第一発見者というのは、車で死体を轢いてしまった人であり、彼は、最初、
「人を轢いてしまった」
ということで、頭の中はパニックになっていたが、
「轢いたのは、死体だった」
ということで、少なくとも、
「業務上過失致死」
ではないということで安心はした。
だが、まったく罪がないわけではない。いくら真っ暗な道であったとはいえ、前方不注意で死体であっても轢いてしまったのだ。そこに発生するのは、器物破損になるのか、それとも、遺体を傷つけてしまったことでの罪が何かに引っかかるのであろうか? とにかく、ただではすまないということだけはハッキリしているのであった。
もちろん、彼に第一発見者だとしての話を聞いても、分かるはずもない。
「道に転がっている何かを轢いてしまった」
と感じただけだということだからであった。
それが、まさか死体だったなんてということになると、彼はその時の気持ち悪さを思い出すには思い出すが、それ以外のことはまったく分からないのだ。近くに誰もいなかったということだけは、分かるということであった。夜中の田舎道、すれ違う車もほどんどなく、警察が来るまで、彼は茫然自失だったということである。