小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

二重人格の螺旋連鎖

INDEX|4ページ/25ページ|

次のページ前のページ
 

 だからと言って、うまくいかなくなり、鬱状態になってから、他の人のまねをしてみても、どうなるものでもない。実際にやってみようかと考えたこともあったが、始めようとした瞬間、自分の中の、
「他の人と同じでは嫌だ」
 という自分がいきなり目を覚まし、そっちに逃げようとする自分に対して、容赦ない攻撃をしてくるのだった。
「その結界を超えてしまうと、明日からお前ではない」
 という一言を浴びせられると、急に夢から覚めたようになってしまい、目の前で、後悔に押し潰されている自分が晒されているかのように感じたのだ。
「それだけは、避けなければいけない」
 そう思うと、息ができなくなってしまい、沼の中で窒息してしまう自分が思い浮かぶのだった。
 そこで考えたのが、
「今までにしたことがなくて、興味のあるようなことをやってみよう」
 と感じたのだ。
 その思いは、
「犯罪に抵触しなければ、少々のことは、冒険ということで許される」
 と思った。
 特に、学生時代までに毛嫌いしていたことを、今ならできると思いたかったのだ。だからと言って、ゲームやギャンブルということに足を突っ込もうとは思わなかった。
「却って、疲れるよな」
 と感じたからだ。
「だったら、癒しになるようなことがいいんじゃないか?」
 と思うようになった。
 最初は、キャバクラのようなところに行ってみたいとも思ったが、どうも、テレビ番組などのイメージから、
「ぼったぐられる」
 という感情が強かったのだ。
「どうせお金を使うのであれば、最初から市民権があって、公共の風俗の方がいい」
 と考えるようになった。
 正直、この年になるまで、桜井は童貞だった。風俗にも行ったことがなかった。ひと昔前であれば、
「二十歳過ぎて、童貞って気持ち悪い」
 と言われていたのかも知れないが、今は、それも珍しくもない。
 そもそも、
「童貞を失うことが大人になることだ」
 というのは、いかがなものかと感じさせる。
 だいぶ前から、
「草食系」
 と言われる男子が出てきて、エッチに興味がないのか、異性自体に興味がないのか、自分でもよく分からないのだろう。

                 結婚離れと風俗営業

 昔であれば、
「結婚適齢期というものがあり、みんなその年齢になると、結婚を一度は考え、そういう結婚したいと思う相手に必ず巡り合うものだ」
 という話を聞かされた。
 しかし、今は、結婚適齢期などという言葉は、死後ではないだろうか。
 会社の上司や同僚から、
「結婚適齢期」
 などという言葉を言われると、セクハラ、パワハラに近いと思われるかも知れない。
 結婚適齢期という言葉を使って、
「結婚すれば、会社を辞めることになる」
 ということを連想させることで、男女平等という観点が崩れてしまうのではないかというのが、コンプライアンス側の考え方に違いない。
 昔であれば、結婚適齢期になれば、男女とも、その時期がまるで、大学生の就活時期でもあるかのように、売れ残らないようにしないといけないということで、必死になっていたことだろう。
 それも、結婚ということが、家庭を作ることであり、その家庭が、今度は子供を作ることになり、
「家系」
 というものを、存続していくのが、当たり前だという考えがあった。
 昭和であれば、おばあちゃんが、
「自分たちの代で、家を絶やしてしまうと、ご先祖様に申し訳がない」
 と言っていただろう。
 大きな家に、2世代の家族が同居していたり、嫁姑の問題を抱えながらでも、家庭を作っていくのが、嫁の役目であった。しかも、男尊女卑の時代にも関わらずである。
 そんな時代から、次第に、田舎から都会に出ていく人が増えてくると、田舎では過疎になり、東京などの大都市では、若者が増えてくる。特に、
「集団就職」
 などという、高度成長時代に対応するための、労働力を田舎に求めたことからの問題であった。
 高度成長の時代で、景気が上昇している時はいいが、景気が悪くなってくると、今度は、今までの労働力がいらなくなる。社員を首にできるところはいいが、社員を残したまま、何とか頑張ろうとした会社は、会社自体に無理がかかって、倒産の憂き目に遭ってしまう。
 そうなると、結果、社員もろとも、路頭に迷うことになってしまう。そんあ景気の良しあしを繰り返しながら、今の時代になってきた。
 当然、文化や、生活というものも、その時代に対応する形で変わってきた。
 親との同居をしないかずくが増えてきて、家族がバラバラに暮らすようになる。
 そのうちに、家庭内でも、会話がなくなっていき、理由はいろいろあるだろうが、子供の、
「引きこもり」
 などという問題も出てくる。
 いつの時代にも、家庭を持つことで、少なからずの問題を抱え、それが社会問題となってきた。
 そうなると、
「家庭というのは、何なのだ?」
 と考えることになるだろう。
「結婚しない」
「結婚しても、子供を作らない」
 という家庭が増えてくるのも当たり前というものだ。
 社会問題を見ていくと、家を存続して何になるというのか、これからはどんどん住みにくい時代になってきて、生きていくことが困難な時代になっていくことは目に見えているのだ。
 環境問題、年金問題、少子高齢化、パッと思い浮かべただけで、家庭というものに絡む社会問題がいくつ出てくるというのか。まるで、
「家を存続させることが、罪だ」
 と思わせる世の中になってきたということなのかも知れない。
 自然現象や、避けて通れないこともあるのかも知れないが、そのほとんどは、
「人災」
 だといってもいいだろう。
 特に、年金問題などそうではないか。
 10年くらい前に、年金を消したという明らかな、政府の怠慢が招いた事件があっただけではなく、政府がしっかり取り組んでこなかったり、バブルが弾けてから、民間企業が経費節減ということを必死になって取り組んできたのに、政府は無駄な人員や事業ばかりを増やして、血税を無駄にしてしまっている。
 そんな時代に、さらには、地球温暖化などの環境問題であったり、どこかの組織なのか国なのかによる、細菌テロが起こったりと、もう、デタラメである。
「もう先が見えているような時代を、自分の子供に背負わせていいのだろうか?」
 と考える。
 それに、自分が生きていくだけで精一杯の今の時代に、子供を成長させたとして、子供からの見返りが期待できるわけでもない。
「老後を子供に養ってもらう」
 などという、今までの時代とは明らかに違うのだ。
 それも、すべてとは言わないが、政府の責任といってもいいので、そんな政府が、少子高齢化であったり、将来についてをいくら語ったり政策を打ったりしたとしても、もうすでに時は遅いのである。
 このままいけば、今の若い人たちには、年金がもらえる時代ではなくなっていく。今でも、定年を55歳から、60歳にされ、しかも、年金受給を65歳からというとんでもないことをしてくれているので、65歳まで働くのは当たり前のようになっていた。
「60歳定年などという言葉は、欺瞞でしかない」
 ということなのだ。
 そのうちに、
「死ぬまで働け」
作品名:二重人格の螺旋連鎖 作家名:森本晃次