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二重人格の螺旋連鎖

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 ヤミ屋で儲けて、その後、日本の大企業にのし上がったところはたくさんある。中には、
「面白い時代になったものだ。金さえあれば、何でも手に入る」
 と言われるような時代が、少ししてやってくるのだ。
 新円切り替えにより恩恵を受けるごく一部の人間もいるということである。
 食糧事情と同じくらいに深刻だったのが、住宅事情である。
 アメリカの絨毯爆撃によって、街が焼け野原になった。何と言っても、焼夷弾の威力は、木造の日本家屋を焼き尽くすことを目的に作られた、「クラスター焼夷弾」が、空中で分裂し、木造家屋を突き破り、
「消えないと言われた業火の炎が、人間までも燃え尽くすまで消えない」
 と言われるほどの威力に、今では、
「使用禁止兵器」
 の一つとされた、ナパームと呼ばれる兵器であった。
 ナパームは水では消えない。
 東京大空襲の時、墨田川に飛び込んだ人を、火が、川面を走るように燃え広がり、飛び込んだ人を焼き尽くしたと言われるほどだったというではないか。そんな爆弾によって、街のほとんどの建物は燃え尽くされ、生き残った人には、帰る家がないという悲惨なことになったのだ。
 しかも、それが東京だけではなく、日本の主要都市のほとんどが、似たようなことになっていて、終戦までの半年間、日本中の大都市は、廃墟と化してしまっていたのだ。
 したがって、住む家がない人が街に溢れ、バラックと呼ばれる瓦礫で、仮住まいにしたり、瓦礫の山で、どこからどこまでが、家だったのかということも分からないほどになっていた。
 したがって、土建屋と呼ばれる職業は、儲かるのだ。荒くれものが多いイメージだが、そこからやくざなどに発展した連中がいることから、どうも、土建屋というのは、昭和のことはイメージがよくなかった。
 戦後の混乱に拍車をかけたのは、復員兵にも関係があるだろう。
 国内の生き残った人たちだけでも、食糧、住宅不足なのに、南方や、中国大陸からの引揚者。満州にいた人たちは、ソ連に連行され、
「シベリア抑留」
 という違法なやり方で、強制労働をさせられる。
 そこで、かなりの人が命を落としたのだが、彼らも生き残った人は、次々に戻ってくる。こうなると、元々日本の国土だけでは賄えなかった食糧問題があったことから、満州の効力に乗り出したのに、戦争に敗れてしまうと、すべてが、水の泡になってしまった。
 元々は貧富の差が縮まるのではないかと思われたが、土建屋であったり、やくざなどの存在から、今度は新しい形の貧富の差が表れてきた。やはり、社会主義のようにしなければ、貧富の差は埋まらないのかも知れない。
 だが、その後に起こった、朝鮮戦争において、アメリカを中心に組織した多国籍軍が、韓国擁護のために、朝鮮半島にわたっていく。その武器弾薬の補給を日本企業が賄ったことで、日本は特需となり、その後の経済成長につながることになったのだ。
 だから、昭和という時代は、ある意味猪突猛進と言ってもよかった。まったくの焼け野原からの復興。そして、経済成長を繰り返すことで、どんどん世界のトップクラスのGDPを誇るようになる。
 それを奇跡と言わずして何というか。
 だから、新しいものが出てきては、それがすたれると、今度はまた別のものが出てくる。そういったことを繰り返して、成長していった時代だったのだ。
 平成に入り、それまでの経済成長のピークを越えると、それまで神話と言われてきたことが幻影であったことを知る。
 一番ショックだったのは、
「銀行は絶対に潰れない」
 という、
「銀行不滅神話」
 であったが、バブルが弾けてすぐに、それまでの過剰融資が回収できなくなり、簡単に経営破綻することになった。
 国も何とか助けようとしたものの、どうすることもできない。銀行だけではなく、ほとんどの会社が経営難になっていくのだから、すべてが後追いだったのだ。
 だから、時代は、昭和から平成になって、明らかに変わったのだ。年号が代わったのは偶然なのかも知れないが。バブルが弾けて、悲惨な時代になったのは、後から考えれば、当たり前のことだった。
 それなのに、経済学者をはじめとして、誰も気づかなかったということなのだろうか?
 それこそ、
「銀行不滅神話」
 と言われるものを信じ、破綻するはずがないと思っていたのだから、ある意味、時代が何とかしてくれると思っていたのかも知れない。
 しかし、さすがに銀行が潰れるのを目の当たりにして、
「信じられない」
 と思い、驚愕している間、結局策もなく、どうしようもない状態が時代に必死に食らいついていたとしても、もうすでに、どうにもならないところまで来てしまっていたのだ。
 だから、平成以降では、上ばかり見ていてはいけない。下に落ちた時に、上を見るという考え方、そして、落ちる時も一気に落ちないように、いかに被害を少なくしなければいけないのかということを考えることで、ある意味、用心深くなってきたに違いない。
 昭和の頃のように、上だけを見ていれば、そこに自分たちが進むべき答えが得られるわけではない。だから、逆に言えば、一度はすたれたと言われているものも、炎としてくすぶっていれば、別の炎が沸き上がり、マイナーチェンジした新しい文化が生まれてくるのかも知れない。
 それが平成以降の特徴ではないだろうか。
「時代は繰り返す」
 それだけ、歴史に学ぶことが多いのも当たり前のことであろう。
 桜井が、昭和を知っているわけはないのだが、ストリップ劇場や、成人映画館を見ていると、初めて見たという感覚ではなく、
「前にも見たことがあったような」
 という、デジャブ感があるのだった。
 成人映画を見た時も、まるで連れ込まれるようにして中に入った。内容も、出てくるアパートも完全に昭和の佇まいであり、セックスシーンも、今のAVなどよりも、明らかに大げさであった。
「まるで素人丸出しはないか」
 と感じたが、それはそれで悪くはなかった、
 よく見ているVシネマ系のアダルト映画などのように、確かに女優も男優も垢ぬけしていて、可愛らしい雰囲気が出ていて、いいのだが、それも、最初に見た時の感動から比べれば、次第に衰えてくるのだった。
 それに比べて昭和の女優というと、ケバい化粧に、パーマのかかった女で、年齢もどうみても、30代後半ではないかと思うような女優が、セックスシーン以外の芝居も実にへたくそだったのだ。
 ただ、その時、新鮮に感じたのは、
「今まで感じたことのない昭和を感じることができた」
 という意味でだけ新鮮に感じられた。
 正直、興奮もしなかったし、普通の映画だと思って見たとしても、まったく新鮮には感じなかっただろう。
「昭和の成人映画」
 という意味合いで見たから、新鮮に感じられたのだ。
 だが、もう二度と見ようとは思わない。新鮮さは一度味わえば十分だった。そういう意味で、今回のストリップというのを見るのも、
「今回が最初で最後になるんだろうな」
 と思ったのだ。
 だから、このストリップ会場にて感じることの一択は、
「新鮮さ」
 だけである。
 もし、その新鮮さというものがなかったら、きっと、
「見るんじゃなかった」
 と後悔するに違いない。
作品名:二重人格の螺旋連鎖 作家名:森本晃次