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二重人格の螺旋連鎖

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 もちろん、それだけで、毎日のようにというのは、説明がつくものではないが、芸術的な踊りに、踊り子に対しての個人的なこだわりがあるのであれば、ずっと見ていられるものなのかも知れない。
 そんなことを考えながら、中に入ろうと、入り口の受付でお金を払おうとした時、その横を、一人の小柄な人が帽子をかぶって通り抜けていた。
 顔は見えなかったが、歩き方がひ弱な感じに見えたので、明らかに女性だった。
 ちらっとこっちを見た時、その眼だけが見えた気がしたが、服装に似合わないような、あどけない雰囲気に感じられたのだ。
 男のような恰好をしているので、普通は分からないかも知れないが、却ってそのギャップが、女性であると分かった。
 彼女は入り口とは別の螺旋階段を昇って行った。どうやら、スタッフなのか、もしかすると、踊り子なのかも知れないと思うのだった。
 中に入ると、ちょうど、今の時間のショーが佳境に入っていた。踊り子が、ステージの突出口で、
「ご開帳」
 していたのだ。
 いきなりのクライマックスを見てしまったので、それまでの経緯も分かっていないこともあり、
「一番見たくないものを見せられた気がする」
 と感じたことで、
「このまま帰ってしまおうか?」
 と感じたほどだったが、せっかく来たのだし、どうせこのまま表に出てもすることはないんだと思ったことと、入り口で見かけた女の子の正体も分からずに帰るのは、ちょっともったいない気がしたのだった。
 この時間のショーは適当に見逃して、インターバルの間に気持ちを切り替えることにした。そこから、今のショーが終わるまでの時間が、長かったのか短かったのか、自分でもよく分からなかった桜井だった。
 次のショーは、ダンサーを明美というそうだが、
「さっきの女の子であったら嬉しいな」
 と思った。
 しかし、同時に、客を後ろから見ていると、
「こいつらも、それぞれに女の子のファンがいるんだろうな?」
 と思うと、何か嫉妬めいたものが頭の中に浮かんできたのを感じ、不思議な気がするのだった。
 いかにも、昭和の刑事ドラマの再放送で見たことのあるようなストリップ劇場、そのままだった。
 メイドカフェのように、時代時代で、少しずつ変化していき、ブームのピークになった時、また一周回って、以前のブームに戻ってくるようなことは、昭和の時代ではなかなかないことだった。
 一度人気が出たものは、ブームの間は華やかであるが、それに代わる何かに取って変わられると、ロウソクの炎のように、パッとついて、あとは消えていくだけなのだった。
「昭和のブームというのは、一度火が付くと、パッと賑やかではあるが、ブームが去ると、再度10年後にまた戻ってくるというようなことはない」
 というのは、平成以降のブームというのは、その形を少しずつ変えていくことで、ブームが消えてしまうことはなく、次のブームまで生き残っていれば、また復活することができるというものであった。
 それが、昭和までと、平成以降では違っていて、ブームによっても、その流行り方の種類も変わってくるというものだった。
 メイドカフェなどというものは、その時々でのマイナーチェンジを、その時代のブームに乗っかるようにうまく乗り切っていき、息の長いものとなっているのだ。
 一度ブームが去っても、また復活するものがあるなどということを、昭和に生きていた人が、想像もついたであろうか?
 逆に言えば、昭和の、特に戦後の焼け野原からの復興は、
「何もないところから、新たなものを生み出す」
 という意味で、先に見えるものは、滅亡か、発展かしかないというハッキリしたものであった。

                 ストリッパー明美

 日本の場合は、奇跡とも言われたほどの復興と、経済成長を迎えることができた。戦後を思えばそれが、昭和だったのだ。
 戦後の復興で一番大きかったのは、二つあるのではないだろうか? これはあくまでも、形として表れているということであり、他の可能性などが絡んだことは、そのどちらかに含まれると言ってもいい。
 一つは、
「新円の改定」
 であり、もう一つは、
「朝鮮戦争における、戦時特需」
 と言ってもいいだろう。
 もちろん、占領軍による政策が功を奏したというのもあるが、何と言っても、戦後のハイパーインフレを何とかしたのは、新円の切り替えであり、そして、実際に産業が奨励され、戦争への軍需が、経済復興を支えたのは間違いのないことだった。
 戦争が起こってから、終結した時の敗戦国では、ほぼ間違いのない確率で、
「ハイパーインフレ」
 というものが発生する。
 物の価値が上がり、貨幣価値が暴落するインフレ、つまりはお金を持っていても、モノの値段が高すぎて、少々のお金では、モノを変えないということだ。
 何と言っても、食料品をはじめとした生活必需品が、国からの配給となり、お金があっても、売ってくれない。しかも、その値段たりや、とんでもない値段になっているのだった。
 だから、ヤミ屋が出現し、ヤミでものを買うというのが流行るのだ。
 それもお金で買うのではなく、物々交換ということが多くなる。
 いくら、政府がヤミ屋を取り締まったりしても、どんどん出てくるのだから、警察もどうすることもできない。
 何しろ国の配給も遅れ気味、法律を守っていれば、飢え死にしてしまうのがオチなのだ。
 そうなった時、国が打ち出した政策が、
「新円の切り替え」
 だった。
 ハイパーインフレを解消するための、完全な荒療治であった。
「旧円は、いくら持っていたとしても、政府が決めた時期から以降は、ただの紙屑であり、銀行に預けていたものを引き出そうとしても、国が決めた額以上を、引き出せないようにする」
 というやり方である。
 つまり、お金をたくさんため込んでいればいるほど、そのほとんどは紙屑となる。
 しかも、新円に両替するのも、それまでの価値の数千倍、いや、数万倍ともいえる新円に換えるわけだから、それまでのお金持ちは、紙屑を持っているだけになる。
 そして切り替えの日以降の旧円は、完全に紙屑である。そうすることで、物価を安定させるという、本当の荒療治となったのだ。
 これの目的とその効果としてのものは、
「財閥の解体」
 というものにも結び付いてきたことだろう。
 戦争責任の一端は、財閥にもあると言われていて、政府や財閥、そして軍の責任は重たいものだった。
 それまで、お金を持っていることで、それがそのまま権力になってきた財閥は、お金が紙屑になるのだから、没落もいいところだ。それは、華族にも言えることで、それまで、子爵、伯爵などと言われていた上流階級も、一般市民と同じになって、明日をいかに生きるかということだけが目的に生きることになってしまうのだった。
 もっとも、そのおかげで、貧富の差というものはなくなってきたかも知れない。
 そもそも、こんな混乱の時代に、貧富というのもおかしなものだが、この時代は、完全に、
「弱肉強食」
 の時代であり、ヤミであろうが何であろうが、なりふり構わずに生きた人間が、成功するようになっていた。
作品名:二重人格の螺旋連鎖 作家名:森本晃次