耽美主義の挑戦
授業中に、クラスメイトの不良と呼ばれる連中が、聞きたくもないのに、まわりを囲むように、先生から見えないようにして、頼んでもいないのに、性教育をしてくれた。
先生も、見えているのに何も言わない。不良が怖いのだ。舞鶴も、そんなヘタレな教師に気を遣う必要もない。不良も教えてくれるというのだから、素直に聞こうと思った。ハッキリいえば、興味があるから聞きたいのだ。
「そうそう、手でこすれば、どんどん、気持ちよくなってくる」
と言われ、触ってもいないのに、ゾクゾクしてくる。
何に反応したのかというと、
「気持ちよくなる」
という言葉に反応したのだった。
今でも、エッチをした時、女がいう言葉で、一番興奮するのは、
「気持ちいい」
という言葉であった。
そんな思春期の性欲は、元々自分の中にあったものを証明しているかのようである。
「俺って変態なんじゃないか?」
と思い、
「人に言ってはいけないことなんだ」
と思うことを自分の中で隠していることが、興奮するのだ。
そんな思いを、面白い言葉で表現しているクラスメイトがいた。
「変態であっても、それは個性なんだ」
と言っていたのを今でも思い出す。
そういえば、
「不倫は文化だ」
と言っていた、どこかのトレンディ俳優がいたが。さすがに最近は、少しくどい気がしてきたが、その言葉を言った時は、まだまだ恰好いいと思っていた。
「男前やイケメンは得だよな」
と思ったほどだが、自分が男前やイケメンにはなりたいとは思わなかった。
というのは、
「男前やイケメンというのは、その素質を備えていないと、いくら、顔が格好良くても、頭でっかちのようで、バランスが取れず、最終的に突き詰めると、格好悪い方に行ってしまう」
と、思うのだ。
そして、これはあるギャグマンガで読んだセリフだったが、主人公が、まわりから、
「お前は変態だな」
と言われて、
「変態だって、立派な個性だ」
と言っていたのを思い出し、思わず、
「恰好いい」
と思ったのだ。
それこそ、言葉が似合っているのは、男前の証拠なのではないだろうか?
以前から、個性という言葉に、一種の親しみのようなものを感じていたのは、自分が、
「何か新しいものを作り出すことが好きな性格」
だったからである。
これは彫刻に限らず、できることであれば、マンガを描いたり、絵を描いたり、小説を書いたり、ゲームを自分で作ってみたいと思ったこともあったくらいだ。
そのほとんどが芸術的なものであることから、個性という言葉や、文化という言葉には敏感だったのだ。
大学時代は、小説を書こうと思い、本をいろいろ読んでみたりしたが、挫折した。ミステリーなどの推理小説を書いてみたいと思った。当時の学生時代の数少ない友達に、推理小説が好きなやつがいて、彼は小説を書いていて、
「いずれは、ミステリー大賞を受賞してみたいな」
と言っていた。
しかし、その友達に、
「プロを目指すのかい?」
と聞いてみると、
「いやいや、俺はプロは目指さない」
という、謙虚な答えが返ってきた。
「どうしてだい? 大賞を狙うんだったら。プロになる登竜門だと思っているんじゃないのかい?」
と聞くと、
「最初はそんなことを考えたこともあったけど、プロになって、仕事にしてしまうと、これほどきついものはない。缶詰にされて、プレッシャーと息苦しさの毎日、一作品できたとしても、また次の日から同じことの繰り返しだよ。もっとも、それくらいでなければ、売れっ子作家ではないので、売れっ子でなければ、作家と言っても、ほとんど金にならない惨めな生活をすることになるのが目に見えているだろう。そんな生活、どっちも嫌なんだ」
と、友達はいうのだった。
「そうなんだね?」
と聞くと、
「それにね。自分の書きたい作品が書けなくなる可能性があるじゃないか。プロになると、出版社には、どうしても勝てない。こちらが書きたい作品ではなく、売れる作品しか書かせてくれない。缶詰になって必死に描く作品が、そんなんじゃあ、たまったものじゃないだろう?」
というのだった。
確かにそんな状態であれば、何のためにプロになったのかって思うことだろう。
「趣味と実益を兼ねた」
という言葉があるが、今までは、
「趣味を仕事にできれば、どんなにいいか」
と思っていたが、現実はそうではない。
趣味だから、やっていて楽しいんであるし、それが仕事になってしまうと、何と言っても、相手からお金をもらうのだ。もらえなければ、食べていけない。そのためには、自分の気持ちは完全に犠牲にしなければいけない。そう思っても、
「じゃあ、もう、趣味だけで行きます」
といえるだろうか?
小説家になるために、それまでしていた仕事を辞めて、小説家一筋にしてしまうと、すでに退路はないわけだ。
それに、趣味であれば、
「やりたい時にやりたいようにすればいいんだ」
というものが、プロであれば、注文がなければ、書いても発表することはない。
まったくの無駄になってしまうのだが、プロになる前に、そんな惨めな思いを想像したこともなかっただろう。
それを思うと、
「趣味は趣味なんだ」
と思うようになり、小説は、好きな時に好きなように、と思うようになったのだ。
そんな舞鶴氏が住んでいたのは、K市中心駅から、徒歩10分ほどの小さなマンションだった。エレベータもない4階建てのマンションで、その3階部分の一番奥の、305号室だった。
その日は金曜日の週末の早朝、新聞配達員が、朝刊を配達していた時間だったので、午前4時魔くらいだっただろうか。新聞を投函しようとして扉の投函口にいつものように投函したその時、配達員は、
「わっ」
と言って、思わずビックリした。
そんなに大きな声で叫んだわけではなく、深夜のことで、誰も気づくこともなかった。入り口側の後ろには鉄道の線路が走っているのだが、まだまだ始発列車にも時間があり、早起きをする人でもまだまだ、夢の中の時間であった。
新聞配達員が驚いたのは、当然閉まっているはずの扉が開いていたからだ。中からロックがかかっているわけでもなく、軽く扉を引くと、どんどん開いてくる。まったく圧力を感じないのは、違和感しかなかった。
しかし、まるで自動ドアのように、ゆっくりであるが、スピードが緩むこともなく、いったん開き始めると、どんどん開いていくのが分かったことで、新聞配達員にも、その、
「カラクリ」
が分かった気がした。
「大丈夫ですか?」
と思わず、開いた扉に触れることなく、玄関から声を掛けるが、声が聞こえない。
部屋の奥からは、冷気しか流れてこず、しかも、その冷気は結構な風の流れであった。
中を覗き込むと、
「やっぱり」
と感じた。
通路から、リビングに通じる扉は最初から開いていて、開いたまま固定されている。風が強くなって、大きな音がしないような工夫がされているのだろうか。
中に入りながら、
「おじゃまします」
と声を掛けるが、やはり返事は返ってこない。