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耽美主義の挑戦

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 想像通り、リビングから、ベランダに抜ける窓は全開ではなかったが、一部開けられていた。そのおかげで、玄関の扉は引っかかっていた状態で、ちょっとした刺激で、開くようにセットされていたようだ。
 後から考えてみると、
「あまり早く見つかるのを恐れ、発見を新聞配達に絞ったんだろうな?
 ということのようだった。
 新聞配達員は、
「できることなら、誰もいないことを願いたい」
 と思った。それだけ、この場における雰囲気は喧噪としたもので、誰が見てもおかしな感じだったのだ。
 リビングに入ってみると、何となく想像はしていたが、
「妄想であってほしい」
 と感じた思いは、完全に裏切られた。
 今度こそ、悲鳴が出てしまったのだ。だが、それでも、他の部屋には響かないのは、扉や窓が自然な形で開いているので、あたかも、犬の遠吠えのようなものと同じ現象なのかも知れない。
 新聞配達員が見たものは、胸にナイフが刺さった、刺殺死体であった。その人が誰なのかすぐには分からないほどの断末魔の表情が、真っ暗な部屋に差し込んでくる向かいのマンションの通路の明かりが不気味だったことで、これ以上ないと言わんばかりの恐ろしさに、新聞配達員は、ビビッてしまった。
 どれくらいの放心状態だったのか、誰も駆け込んでくることのないことに、安心がある反面、この死体と二人きりという恐ろしい状態を、なるべく早く脱したかった。我に返った配達員は、すぐに110番をして、腰が抜けて動けない状態が、さらに金縛りに遭ってしまったかのようなこの状態を、自然と震える身体が、寒さから来るものなのか、恐ろしさによる震えなのか。まったく分からなかったのだ。
 まったく身動きができない状態で、ただ、前を見ていた配達員は、ここに来るまでに走ってきた道で、
「今日は月がきれいだな」
 と、満月の早朝に風流な気分になっていた自分がいたことを思い出した。
 しかし、今では、この世のものとは思えない状況のまま警察が来るのを待たなければいけない状態に、さらに止まらない震えも手伝って、何をどうしていいのか分からなくなっていたのだった。

                 聞き込み

 早朝のまだ、どこも目を覚ましていない状況において、パトカーのサイレンと、パトランプの真っ赤な照明は、あまりにもセンセーショナルであった。
「二人きりの不気味な時間が終わったことで、ホットしている」
 という思いと、
「これから始まる警察による事情聴取への心構え」
 とで、複雑な心境になっている配達員は、待っている間に、一度だけ何とか放心状態の自分を奮い立てて、その場にいなければいけないこと、警察に通報したことを手短に連絡し、今日の業務が遂行できないことを知らせた。
 だから、この日の彼のその後の配達は、少し遅れることになるが、他の人が交代することになった。
 さすがに、死体の発見者ということであれば、そのまま仕事のために、立ち去れといえるわけもなく、
「そうか、分かった。後は警察の指示に従ってくれ」
 と、会社側はいうしかないだろう。
 一瞬だけ、我に返った配達員だったが、そこからまたすぐに放心状態になったことで、今度は、
「誰かに声を掛けられなければ、我に返ることはないだろうな」
 と感じた。
 このような精神的に極限状態のような雰囲気の場合は、我に返ることがどれだけ恐ろしいのかということを、完全に感じていたのだった。
 それからどれくらいの時間が掛かったというのか、やっと表が喧噪としてきた。ほとんどの家庭がまだ皆夢の中だろうと思ったので、パトカーのサイレンでも、起きてくる人はいなかった。
 扉が開いていることもあって、パトカーから出てきて、車の扉の音が閉まる音、さらに、階段や通路を歩く、乾いた靴音、数人の者だと感じた。
「2,3人というところだろうか?」
 と感じたが、
「いや、その後ろから、また違う集団がいるような気がする」
 と感じた。
「おそらく、最初は刑事さんで、後ろが鑑識の人ではないだろうか?」
 と、刑事ドラマをよく見る配達員は、放心状態の中で、冷静に考えた。
 冷静に考えることができたのは、これから自分が事情聴取を受けることが分かっているからで、何と言っても、死体の第一発見者という立場は、実に微妙なものだということを感じていたからだった。
 死体の第一発見者というと、ミステリーを見る人であれば、
「第一発見者を疑え」
 という法則があるのを知らないわけではない。
 しかし、自分とこの部屋の住民、そして目の前で断末魔の表情を浮かべているその人とは面識があるわけではない。
 自分が営業であるなら、面識はあるかも知れないが、基本的に、誰もが寝入っている時間に新聞を投函するだけのただの配達員である。そう思うと、
「基本的に疑われるということはないだろう」
 ということで、胸をなでおろした配達員だった。
「俺を疑うようなのは、無能な刑事だと言ってもいい」
 と思うと、放心状態でありながら、警察が到着したことで救われた気分になったと言ってもいいだろう。
 警察は、扉が開いていることで、ズケズケと中に入ってきた。やはり後ろから少し遅れて、鑑識の集団が迫ってきていたのか、鑑識は即座に初動捜査に入った。
 刑事の方は、すぐには入ってこなかった。どうやら入り口のところを見てから、扉が開いているのを不審に感じたのだろう。少し見ていたようだが、すぐに中に入ってきて、配達員を見つけた。放心状態で座り込んでしまっている配達員を見て、無表情で見下ろしているのを感じると、ゾッとするのを感じ、たった今、救われた気分になった思いが、一度リセットされたかのように感じたのだった。
 それでも。刑事と思しき二人のうちの一人は、すぐに中腰になって、目線の高さを合わそうとしてくれた。さすがそのあたりは警察もよく分かっているのか、またホッとしたような気分になった。
 こう何度も、心境の変化に見舞われ、同じような心境に陥るというのは、まるでらせん階段を下りていくようで、
「このままでは奈落の底だ」
 と感じながら、目の前にいる刑事が救世主のように、自分を恐怖から立ち直らせてくれるのを待ち望んでいるのを感じたのだ。
「あなたが、110番してくれた、新聞配達員の、灰谷君ですね?」
 と、刑事に言われた。
 刑事はそういいながら警察手帳を提示したが、何と言っても、あたりが真っ暗だったので、見ることはできなかった。
 もう一人の刑事が、
「電気つけていいですか?」
 と、おもむろに言ったが、基本的には鑑識に言ったということには違いないだろう。
 鑑識は、その声を聞いて、
「いいですよ。電気をつけてください」
 と答えたのは、いつもの刑事と鑑識の息が合っている証拠なのだろう。
 鑑識は、5人ほどいるようで、刑事は二人だった。金属のジュラルミンケースとでも言えばいいのか、
「鑑識セット」
 と呼ばれるのであろういろいろな検査キットのようなものが入っているようで、その中から取り出したもので、いろいろ捜査していた。
 被害者には二人が張り付いていて、もう一人の刑事が、覗き込んでいる。
作品名:耽美主義の挑戦 作家名:森本晃次