耽美主義の挑戦
というのだった。
これは、所長に聞いても同じことを言っていた。
「だから、彼は海江田さんにしても、他のデザイナーの人にしても、引き抜いてこれたし、今までも、彼が引っ張ってきてくれたんです。正直私は所長という肩書はありましたけど、彼がいないと、やっていけないと思っていたのも事実だったんですよ。そういう意味では、彼がどうやって、人心を掌握していたのかということが私には分からないので、これからのことを考えると、不安の方が大きいんですけどね」
というのを後から聞いた。
話を、海江田に戻すが、最後に海江田氏がこんなことを言っていた。
「今回、舞鶴が作ろうと考えていた組織は、人を傷つけることだけは、タブーとしていたんですよ。それが理念ですね。だから、個人至上主義の一番の優先順位は、人を傷つけないことになるんですね:
というのだった。
「当たり前すぎることだと思うんですけど」
と刑事がいうと、
「個人が強くなることで、どうしても、まわりの自分以外の人を軽視してしまいがちなところが、一種のもろ刃の剣だと舞鶴は思っているんです。だから、とにかく自分が一番強いという発想は、フランケンシュタイン症候群にあるような、ロボットの発想と同じなんですよ。つまり、ロボット開発の中で必要な考え方として言われている、ロボット工学三原則に則った考え方を、彼はモットーにしていたんです。人を傷つけないことがそのうちの一番なんですよね。他の二つは、人間のいうことは絶対ということと、もう一つは自分の身は自分で守るということですね。二つ目は、相手がロボットである場合に限定されますが、三つ目の自分の身は自分で守るということは、先ほど話した、パンデミックの時に起こった、あの政府の最低の宣言と、類似したところがあるじゃないですか。舞鶴さんは、それを偶然と考えていなかった。なぜなら、あの政府のとんでもない発言があって、皆が腹を立てていた時、舞鶴さんはすぐに、ロボット工学三原則だと言って、このことを思い浮かべたみたいなんです。無意識に、ロボット工学三原則だって、口から出てましたからね。それを思うと、彼の頭の中は、いくつも先をいつも見つめていて、そんな彼にだったら、この個人至上主義の考え方を持った組織を任せてもいいんじゃないかって思うようになったんですよね。でも、もっとすごいと思ったのは、彼が殺されてから分かってきたことなんですが、彼が考えていた組織の代表には、この私を立てるつもりだったようなんです。きっとその方が動きが取りやすいと思ったんでしょうね。そういう意味でも彼の才能は尋常ではなかったということでしょう」
と、海江田はべた褒めだった。
大団円
被害者が食事をした時間が分かり、その間の関係者のアリバイが調べられたが、そのアリバイとして、会社の4人の中で、アリバイが曖昧なのは2人だった。他に犯人がいれば、話は変わってくるのだが、今のところ、容疑者として浮かび上がってくるのは、会社関係の4人だった。そのうちの所長と海江田には、れっきとしたアリバイがあった。二人が一緒にいて、しかも、犯行現場からはおろか、出張中で、東京まで行っていたのだ。
ここは、新幹線で来ても、どんなに急いでも6時間はかかる。新幹線に乗っている時間でも、5時間あるのだ。もし飛行機を使ったとしても、東京の出張先から、羽田空港までは、どんなに急いでも2時間かかるのだ。そこから飛行機で2時間かかったとして、空港から被害者のマンションまで、どんなに急いでも1時間。アリバイが証明された時間から死亡推定時刻の一番遠い時間でも、3時間くらいあるのだ。そうなると、どうやっても、殺害は不可能、しかも、東京駅まで二人は一緒だったことが分かっているので、もっと不可能だと言ってもいいだろう。
そうなると、今のところの容疑者としては、いつも喧嘩が絶えないが、実は付き合っていたという、敦賀さくら子と、そして、舞鶴のことを気にしていたことで、二人に嫉妬心を抱いていた長浜敦子の二人のうちのどちらかということになる。
そしてアリバイを調べていると、被害者の死亡推定時刻の幅の前半部分には、さくら子のアリバイがあるが、敦子は曖昧だった。
逆に、敦子には後半部分のアリバイがあるが、さくら子には曖昧だったということだったのだ。
そして、もう一つ気になるところでは、前半の時間帯に、敦子から電話が入っていて、その電話には出ていないこと。そして、後半には、さくら子から連絡があるのだが、その電話にも出ていないということであった。
「誰かと一緒にいたから、電話に出なかったのか、それとも、すでに殺されていたので、電話に出ることができなかったのか。電話に出なかった理由はそのどちらかなのかも知れないですね。そして、前者の、誰かというのは、容疑者のもう一人ということではないかということも考えられますね」
と、捜査本部で、若い刑事がいうと、
「考えられるというよりも、その可能性は強い気がしますね」
と、深沢刑事は言った。
「容疑者のアリバイと、この電話の着信履歴を考えると、この事件においての殺害時刻が分かれば、犯人が誰なのかということも分かってきそうな気がしますね。それにしても、前半と後半という分け方が、私にはいまいちわかりかねるんですけど」
と、若い刑事が言った。
「今回の事件において、どうしても、死亡推定時刻が幅を広くとったというのは、被害者が睡眠薬を服用していたということであり、睡眠薬の正体もハッキリしてこないので、死亡推定時刻の幅を広げるしかなくなったわけだ。それで、容疑者のアリバイを考えていくと、幅の前半だったら、殺害できるかも知れない人間と、逆に後半だったら殺害できるかも知れない人間がいたわけなんだ。さらに着信履歴ということになると、まるで、何か計画されたアリバイではないかと思えてくるんだ。アリバイを作るために、睡眠薬を飲ませた。そして、自分のアリバイを作ろうとしたのではないかというのは、あまりにも突飛な考え方なのだろうか?」
と深沢刑事は言った。
「一応、近所の人の聞き込みもしてきたんですが、マンションの人は誰も、被害者のことを知っている人はいなくて、マンションの住民同士もほとんど知らないという状況ですね。特に、被害者の舞鶴氏に関しては、どこからも、彼のことについて情報が出てくることはありませんでした。本人自体が、マンションの他の住人と関わることを避けていたようで、誰も、写真を見ただけで、これは誰ですか? という次第です。本当に近隣関係が疎遠になっているのを嘆かわしいと思っていますが、またしても、その思いにやるせなさを感じさせられたという感じですね」
と、若い刑事は言ったのだ。
「さすがに、個人至上主義というだけのことはあるものだね。普段から、まわりの人と接しないようにして、自分の中の個人主義を高めていたということなのだろうか? それとも、単純に、まわりを信じられない人間だったということなのか、あるいは、その両方なのかということですね」
と、深沢刑事がいうと、
「ひょっとすると、被害者の性格が、今回の事件のカギを握っているのかも知れないね」