小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

耽美主義の挑戦

INDEX|20ページ/26ページ|

次のページ前のページ
 

 ストーカー行為を続け、他の女性との仲を疑って、嫉妬の炎を浮かべてしまうだけの女が、その大好きな相手が死んで、しかも、殺されたということになれば、普通であれば平常心ではいられないだろう。
 そうなれば、考えられることとして、彼女の中で、大好きだった彼への弔い合戦を自分が演じようと考えるのではないだろうか?
 そうなれば、まず犯人を知らなければいけない。犯人を知ったうえで、
「その犯人をいかに懲らしめてやろうか?」
 ということを考えるに違いない。
 だから、まずは犯人が誰かということが分かるまでは、少なくとも平静ではいられないのではないかと思うのだ。
 ここまで落ち着いていられるのは、やはり少なくとも犯人についての心当たりがあって、しかも彼女の中で、自分が安心できるほど、信憑性があるものでなければ。ここまで落ち着いてなどいられるはずもない。
 彼女は、見た目の大人の雰囲気と違って、一つのことに集中すると、自分を忘れてしまうほどになってしまうことを、自覚しているのだろうか?
 冷静でいる彼女と、ストーカー行為を悪いことということを分かっていても、衝動に負けてしまうほどの弱いところのある彼女のどちらが、本当の彼女なのであろう?
 だが、それは、あくまでも警察の勝手な理屈であって、何も人の性格が一つだとは限らない。
 頭で考えていく中で、抑えられない感情を隠そうとしても、湧き上がってくる感情が冷静さを凌駕する結果になってしまうことだってあるに違いない。
 それでも、冷静でいられるというのは、自分を納得させられるだけの根拠がなければいけない。
 それが、彼女の中で、
「自分を納得させられるだけの根拠を持った。彼を殺したと思える人物を自分が納得できる形で思い描いている」
 ということであろう。
 しかしそれは、今だから冷静でいられるのだろうが、もし、冷静でいなければいけないと思っている状態であっても、犯人と思っている人物が自分の見える範囲にいたとすれば、そう簡単に平静でいられるだろうか?
 ということは、
「少なくとも会社の人間であるわけはない」
 ということが言えるのではないだろうか。
 ただそれは実行犯という意味である。
 もし、敦子の想像もつかないような人間は、本当の犯人であり、その場にいたとしても、分かるはずのない相手だったとすると、
「ニアミスではあるが、偶然とはいえ、その偶然は、本当の偶然ではなく、自分のために起こった必然なのではないか?」
 と、後になって冷静に考えなければ、ここまで冷静になれるわけもない。
 そんなことまで、敦子は考えを巡らせていた。この感覚は、夢でも見ていない限り、落ち着いて考えられるものではない。
 あくまでも、夢を見ている時、
「本当の自分が第一人者として見ているわけではない。誰かもう一人、書記のような人間がいて、記録を取っているとして、それが夢の場合は、夢を見ている自分が自分のことでありながら、あくまでも第三者としての目線で見ているのが夢というものである」
 と考えていた。
 たぶん、彼女にとっての最近の夢見はいいものではなかったかも知れないが、自分が最悪の状態にいる時や、躁鬱症の鬱状態にいる時など、
「楽しいはずはないのに、しいて言えば、一日の中で一番楽しい時間があるとすれば、それは眠りに就く時であり、逆に一番つらいのは、目から覚めようとする瞬間」
 であるといえるだろう。
 つまりは、
「夢を見ている時が、一番幸せだということをハッキリと感じることができる瞬間なのであった」
 といえるのではないだろうか?

                 大金の使い道

 女性二人の聞き込みの後、最後に残った、もう一人のデザイナーの男の聞き込みになった。女性二人は心の中は複雑な心境を抱いていたのかも知れないが、表情は、落ち着いていて、警察に心境を知られたくないという思いからなのか、それともやせ我慢のようなものなのか、毅然とした表情だったのに、この男は女性陣と違って、あからさまの感情を表に出していた。
 今にも泣きそうなその表情は、さすがに刑事にも、
「女性が我慢しているのに、男性のくせに」
 と思わせるところがあったが、少なくとも同僚が死んでいるのだから、こういう表情をする人が一人くらいいてもいいはずで、それがたまたま彼だったということなのだろうか?
 それとも、彼には涙目になるだけの何か理由があるというのか、感情がむき出しになっているかのようだった。
 さすがにすぐには聞き込みができないほどの状態に、
「ベソを掻いている」
 と言った方が正解ではないかと思うほどだったのだ。
 それでも、このままずっと待っているわけにもいかず、彼への質問に入った。
「ええっと、あなたは?」
 と差しさわりのないところから訊ねると、
「私は海江田匠と言って、デザイナーになります、今回殺害された舞鶴とは、実はいとこ同士になるんですよ」
 というのだ。
 なるほど、殺害されたのが、いとこということであれば、ここまで悲しむのも分からなくもなかった。
 しかし、今の時代に、親兄妹でもなく、いとこが殺されてここまで大げさに涙を流すものだろうか? 女性であれば分からなくもないが、それだけ二人は、固い絆で結ばれていたということであろうか?
 今の世の中、マンションに住んでいたりしても、隣にどんな人が住んでいるかなど、まったく知らないなどということが結構多かったりするではないか。
 そんな世知辛い世の中で、この態度は、
「まだまだ、世の中、人情という意味で捨てたものではない」
 と思うべきなのか、それとも、二人の間に何か涙を流すだけの特別な関係だったということなのかと、深沢刑事は考えたが、今までの刑事としての経験から、聞き込みの際に大げさに涙を流している人は、どこかあざとさがある人が多く、その涙の訳に、自分を納得させるものがあったとは思えないことが多かったのだ。
 しかも、自己紹介の際、こちらから聞いてもいないのに、いとこだということを自分からいうというのは、どこかあざとさが感じられ、半分は、
「いとこの私が、殺すはずなどない」
 ということが、通じるわけはないと思いながらも、敢えて印象付ける意味もあって言ったのだとすれば、
「下手なあざとさを持った男だ」
 と思わせるに違いない。
「ところで、海江田さんは、ここの会社でお仕事をし始めてから、長いんですか?」
 と深沢刑事に聞かれた海江田は、
作品名:耽美主義の挑戦 作家名:森本晃次