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耽美主義の挑戦

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 日本が、満州事変を起こし、満州に活路を見出したのは、ソ連の南下という問題への安全保障の問題と、もう一つは、人口問題にあった。
 当時の日本では、人口が増えすぎてしまい、日本本土だけでは、養えなくなり、日露戦争で得た満州を、自国n領土とすることで、移民を作り、人口問題と、満蒙における国境問題を解決しようという意図があったのだ。
 そのため、満州事変を画策することになったのだが、国際連盟で反対多数により、承認されないということを、日本政府はどこまで考えていたことだろう。
 国際連盟を脱退し、それにより、孤立した日本は、ドイツ、イタリアと結ぶという、ある意味暴挙に出たのだった。
 イギリス、フランス、アメリカに敵対視される状況になっても、そちらに舵を取ったのは、自給自足を考えてのことなのか、大陸への進出も、賛否両論ある中、ある意味仕方のないことであったのではないかと思えるが、どこまで日本が、政治的、外交的に考えていたことなのか、難しいところである。
 特に、シナ事変において、途中で和平交渉のチャンスがありながら、逃してしまったり、蒋介石の罠にはまり、奥地に進出することで、中国に権益を持っている、欧米諸国を刺激したということになるのだろう。
 結果経済制裁を受けて、誘い出されて戦争に突入した日本、その裏にアメリカの、欧州への戦争参加の口実という裏の目的があることを知らなかったというのは、何とも愚かと言えるのではないか? しかし、元々無謀な戦争というわけではなかった。日本軍が描いた形の戦争経過だったはずだが、慢心から、さらに戦争が拡大したことが、悲劇を生むことになるのだった。
 当時の日本は何主義と言えばいいだろうか? 軍国主義という言い方もできるでしょう。ある意味ではファシズムともいえるが、表に出ていることでいえば、ファシズムではない。ファシズムだというのであれば、日本人至上主義であり、他の民族は認めないというような政策を行うものであるが、日本が参戦した大義名分は、
「大東亜共栄圏の確立」
 だったのだ。
 というのは、当時の欧米による植民地政策によって、アジアの国々は、ほとんどが、欧米の植民地にされていた。
 それを日本が、各地に進出し、欧米の支配から脱却させ、日本を中心とした大東亜に、共栄圏を建設するというのが、戦争目的なのだ。
 だからこそ、満州国は、傀儡国家であったが、名目上は独立国である。そして、そのスローガンとして、
「五族共存、王道楽土」
 というものだったのだ。
「五族共存というのは、日本、満州、漢民族、朝鮮民族、蒙古民族という5つの民族が共存する、専制君主国としての、楽土を築く」
 ということである。
 満州という土地は、元々、中華民国の前の王朝であった、清王朝の発祥の地である。
 そこで、清王朝復活という意味で、満州国を、かつての皇帝であった、愛新覚羅溥儀を擁立することによって、清王朝復活という形を作ったのだ。
 つまり、満州は日本の植民地ではなく、あくまでも、独立国家であるということなのである。
 そういう意味で、日本というのは、あくまでも、
「アジアを白人から解放するための戦争をしている」
 という建前なので、日本民族だけの繁栄ということではないのだった。
 もっとも、この考え方は的を得ていることだろう。北部のソ連からの脅威と、欧米からの脅威を日本だけでは、補えるものではない。アジアが結束しないといけないという理論は的を得ているだろう。
 さらに、陸軍軍人である、石原莞爾という人物の書いた、
「世界最終戦争論」
 という本にも書かれている通り、
「世界は、アジアやユーラシア、ヨーロッパなどの大陸の覇者が、戦争を行い、最後には残った二つの国で争って勝った国が治めるようになるが、その時、世界に戦争はなくなり、恒久平和が訪れる」
 という考えで。石原莞爾は、最終戦争は、日本とアメリカで行われると考えていたのだった。
 だから、満州事変を起こし、満州に権益を作ることで、ソ連をけん制し、日本の人口問題の解決を行った。
 しかし、やり方が強引で、軍の専行主導を許してしまったことで、目論見は外れ、まんまとアメリカに誘導される形で、欧米への開戦ということになってしまったのだ。
 無謀な戦争であったが、軍としては、
「緒戦で圧倒的な勝利を収め、その余勢をかって、和平に持ち込むしか勝ち目はない」
 と、アメリカの工業力を考えて、分かっていたはずの戦争だったものを、最初に勝ちすぎたために、引き下がることができなくなってしまった。
 戦争を始めるために、世論をあまりにも扇動し、戦争機運を高めてしまったことで、
「勝っているのに、なぜ戦争をやめなければいけないのか?」
 と国民は思うことだろう。
 国民は、かつての戦争の講和条約において、ことごとく、辛酸を舐めさせられたことを思うと、簡単には、引き下がないに違いない。
 日清戦争の際の、ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉によって、遼東半島を返還させられたこと、さらには、日露戦争においての、ポーツマス条約で、賠償金を得られないという屈辱から起こった、日比谷公会堂焼き討ち事件という思いが頭をよぎったはずである。
 だから、完膚なきまでにやっつけてしまわないといけないという思いがあるのではないだろうか。
 考えてみれば、日清、日露戦争とも、完全勝利ではなかったはずだ。北京にも、モスクワにも兵を進めたわけではない。あくまでも、立場がよくなったところで、講和に持ち込んだのだといえるだろう。
 しかし、弱小と言われた明治日本が、当時の眠れる獅子と言われた清国に、さらには、世界最大と言われる陸軍国であるロシアに、勝つためには、そうするしかなかったのだ。
 昭和になっても、相手が、米英蘭では、当然に勝ち目があるわけもない。特に米国に対しては無謀であり、机上演習でも、完全に日本の負けであり、まったく勝ち目のない戦争だったのだ。
 日本は、最終的に敗戦国となり、占領軍によって武装解除、さらには、
「押しつけの民主主義」
 による、
「平和主義国家」
 になったのだ。
 日本は、戦後のハイパーインフレなどの混乱を乗り切り、朝鮮戦争における、戦争特需によって、復興を成し遂げることになったのだ。
 アジアの国々も、その後、次々に独立していき、日本の目指した、
「アジアの開放」
 が行われることになったのは、ある意味皮肉なことであったのだろう。
 そのあと巻き起こったのは、それまでの民族主義という考え方ではなく、社会や国家の主義というものによる世界の体制であった。
 つまり、アメリカや西欧諸国による、民主主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営の戦いである。
 それまでの戦争と大きく違うのは、アメリカとソ連との間で、
「核の脅威」
 というものが、全面に出てきたことだった。
 大戦後の世界の構図が、民主主義国と、社会主義による内政干渉などによって、社会主義国家の建設が、いろいろな地域で増えていった。
 大きな問題として、分割占領が行われた、ドイツと朝鮮半島の問題であった。
 ドイツでは、
「ベルリンの壁」
 が建設され、朝鮮半島においては、
作品名:耽美主義の挑戦 作家名:森本晃次