耽美主義の挑戦
というのを高らかに叫んでいる人たちが嫌いであった。
それは、男性も味方というわけではなく、男女平等という言葉を口にしている連中は、自分たちの目的のためには、まわりの女性を鼓舞し、プロパガンダを用いることで、
「女性と男性は平等でなければいけない」
ということを、第三者である女性に対しても吹き込んでいることになる。
つまりは、男女平等ということを意識していない人に対して、その人が、男女平等を叫ぶ人を友達だと思っているというそんな気持ちを言い訳にして、強い意志を持っているわけでもない人を。無理やり男女平等という世界に引きこんでしまうのだった。
もし、世界に引き込まれなければ、その人は友達として相手をすることはないという雰囲気になれば、友達を失いたくないという目の前の恐怖に、自分を犠牲にしてまで、しがみつこうという人が多いことを、知っていて、利用しているように思えてならないのだった。
ある意味で、そういう人こそ、独裁者にふさわしいのではないか。歴史上の独裁者としての女性というのは、えてして、自分の主張が、すべてに優先している。いわゆる、
「自分至上主義」
ではないか。
自分をすべてにおいてまわりから優先させたいがための大義名分として、格好だったのが、
「男女平等」
という思想だったのではないだろうか?
敦子とは正反対である。どちらかというと、西太后に近いのではないだろうか?
そんな敦子に話を聞いてみることにした。
その時、彼女が出した条件があったのだが、それが、
「私一人で聞いていただけませんか?」
ということであった。
それが、他の人に聞かれては困ることなのか、それとも死んだとはいえ、被害者のプライバシーを守りたいという意味なのか、どちらにしても、人に聞かれては困るという話が絡んでいるのだろう。前者であれば、それは何も被害者だけに関係のあることではなく、今この場にいる誰かが今回の事件に関わっているのか、あるいは、被害者との関係において、人に知られることで、不利益になると考えたのか、彼女としては、そこまで考えて、場合によっては告げ口になるかも知れないが、それでも、警察に言いたいと思っていることがあるのかも知れない。
それを考えると、彼女の気持ちを尊重するのが、警察の義務とまで感じるのだった。
そこで、
「じゃあ、まずは長浜さんでお願いします。女性の場合は、できれば、おひとりの方がいいと考えています。その方が話しやすいこともあるのではないかと思ってですね」
というと、所長はちょっと意外な顔になった。
きっと、最初は自分だとでも思ったのだろう。しかし、これはいつもの深沢のやり方で、その場所を仕切っている人は最後に回している。まずは、外堀を埋めてから、中心人物の話を聞かないと、捜査の方針を見誤ってしまうと思うからだった。
そういう意味で、最初に所長に行かないのは、最初から考えていたことだったのだ。
深沢刑事は、応接ルームに敦子を招いて、こちらは2人、相手は1人という状態で、聞き込みに入るのだった。
「すみません、一人にしていただいて」
と敦子がいうので、
「いいえ、大丈夫です。女性にはそれぞれに、プライバシーを尊重しないといけないと思っていますからね」
というと、敦子は満面の笑みを浮かべた。
どうやら彼女の場合は、
「男女平等」
ということをはき違えているわけではなく、自分なりに理屈を考えているようだった。
「二人きりでのお話を望んだのは、誰かに聞かれるとまずいと思ったのか。それとも誰Kということではなく、話自体が、聞かれては困るということでしょうか?」
と深沢刑事が言ったことを、彼女は理解したのだろうか。
前者としては、聞かれたくない人が特定され、その人にだけはきかれたくないというそれこそその人たちだけの秘密なのか。後者だとすれば、秘密自体が大きな問題で、誰に聞かれたとしてもアウトだというような話だということである。後者の方が大きな問題ではあるが、こと殺人事件ともなると、特定の人物というのが、犯人に繋がる何かであれば、それはそれで大きな問題だといえるだろう。
敦子はその考えを踏まえてのことなのか、どちらとも答えにくくなっているようだ。ひょっとするとその秘密が誰か一人に関係していることなのかも知れないが、その一人が誰なのか、特定できていないのかも知れないと感じた。
「ああ、私の言い方が悪かったのかも知れませんね」
と深沢刑事が言ったが、やはり、彼女にも、その人を特定できていないのではないかと思い、彼女自身がその人を、犯人、あるいは犯人に限りなく近い人ではないかと思ったのかも知れない。
「いいえ、いいんです。私は、よく誤解されやすいんですよ。いつも気を張っていて、どちらかというと、男には負けたくないという考えを持っているタイプなんですが、だからと言って、最近言われているような男女平等という考えとは少し違っていると思っているんです。だから、そんなジレンマを分かってくれているのか、話を聞いてくれるのが、殺された舞鶴さんだったんです。舞鶴さんは、私に話しかけてくれたのは、あまり無理をしなくてもいいという話をしてくれたんです。きっと私はいつも難しい顔をして、人の顔色を伺っているようで、まわりを遠ざけているのを分かっていたんでしょうね。私は、それでもいいと思っていた。変に人とつるむくらいなら、一人が気楽だと思っていたんですよ。だから人に負けたくないと思っていたけど、彼は、それを無理しなくてもいいと言ってくれた。一気に身体から力が抜けるのを感じたんです。そして、これほどの気持ちよさがないことにも気づいたんです。そういう意味で、舞鶴さんは私にとっての、救世主であり。唯一頼ることのできる人なんですね。その思いがいつの間にか、彼を独占したいという心情に変わっていたようで、そのことに気づいた時、まわりを見ると、舞鶴さんと、耽美主義のことでいつも言い争っていたと思っていた敦賀さんが、まさかの急接近をしていたんです。私は、まるで浦島太郎状態です。知っている人がこの世から一人もいなくなったような気分になり、しばし途方に暮れました。そんなことは自分には絶対にないと思っていたくせにですね」
と、敦子は、しょげたかのように話した。
彼女が、
「一人だけで」
といった本当の理由が、この様子をまわりに見られたくなかったからなのかも知れない。
女の子の中には、自分の世界に入りやすい子が多いのではないかと思う。男にもそういうやつはいるが、女の子とは事情が少し違っているように思う。敦子の場合は、普段から自分を大人びて見せているのは、ある意味才能なのだろうが、それだけではないような気がする。
「個性至上主義」
というのが、舞鶴だとすると、敦子の場合は、
「個性至上主義に限りなく近い個人至上主義」
なのではないかと思うのだった。
個性的なところはどうしても外せないように感じられる。それが、敦子の特徴だが、完全な個性派とは違っている。あくまでも、
「他人と同じでは嫌だ」
という個人主義が一番優先するのだ。