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耽美主義の挑戦

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 もっと言えば、舞鶴を慕っているようで、喧嘩になるのは、慕っている気持ちが少し歪んだ形として、甘えたい思いが、何を言っても受け止めてくれる舞鶴に対しての、思いを甘えとして出したくないことでの、一種の、
「テレ隠し」
 のようなものではないかと、言えるのではないだろうか。
 それを思うと、さくら子が提唱している、
「耽美主義」
 というのは、ある意味、
「自分には到底できることではないが、そういう世界を認めるのは、舞鶴の考え方に対して自分も傾倒しているということを、本当は分かってほしいと思っている気持ちの裏返しだ」
 ということではないかと思えてきたのだ。
「ひょっとすると、このさくら子という女性は、舞鶴のことが好きだったのかも知れない」
 と思った。
 それが女としてというだけではなく、精神的のよりどころとしての、どちらかというと、認められる気持ちではないかも知れないが、
「男女の友情」
 というものが、恋愛感情とは別に存在しているのではないか? と感じているのではないだろうか。
 それが、さくら子と舞鶴の関係だったとすれば、平気な顔をしてはいるが、心の底では、耐えられないほど、心に余裕がない状態なのかも知れないと感じたのだった。

                 三角関係

 そんな二人の関係は、表向きには、いつもいがみ合っているように見えていたが、実は、会社の人にとっては、
「知る人ぞ知る」
 とでも言っていいのか、二人の仲は、
「公然の秘密」
 であったのだ。
 主義主張で言い争っているように見えるが、それはじゃれ合っているといってもいいようで、まわりからすれば、
「犬も食わない」
 という感じで、放っておくに限るのであった。
 下手に止めにでも入れば、自分がその二人の熱さで、やけどしてしまうだけだ。それこそ、飛んで火にいる夏の虫のようなもので、バカを見るだけであった。
 しかし、それを分かっていながら、果敢にも、二人を止めに入った人がいた。それが、もう一人の女の子の、長浜敦子だった。
 彼女は、この事務所で一番年下だということだが、そうは見えなかった。今、25歳だというが、見方によっては、30歳以上に見える。
「独身だ」
 と言っても、普通なら信じてもらえないほどのオーラが彼女にはあった。そのオーラというのは、ひと言でいえば、
「落ち着き」
 であり、まわりを従わせる力を持っているように思えるのだ。
 女だから、そこまでは感じないが、人によっては、
「これが男だったら、独裁者の素質を持っているかも知れない」
 という人もいたが、歴史上で、女性の独裁者だっていたではないか。
 あくまでも独裁者という言葉を使わないだけで、男だったら、明らかに独裁者となるのではないか?
 女性の独裁者と聞いて、いろいろな女性を思い浮かべることだろうが、作者がまずぴんと来るのは、西太后ではないだろうか?
 西太后というと、中国の帝政王朝の最後にあたる、清王朝末期に存在した独裁者である。
 彼女は、皇帝の妃として、親として君臨し、皇帝をもしのぐ権力を持って、清朝末期に君臨した。
 何といっても、西太后と言えば、
「彼女の浪費癖や、政治介入によって、清朝滅亡の原因を作った女性」
 ということが、歴史上の評価となっているのではないか。
 日清戦争だって、彼女が別荘に予算を掛けたことで、軍備の整備に充てるお金がなくなってしまい、せっかくの東洋一の艦隊であったり、軍隊を持っていたにも関わらず、兵器は老朽化してしまい、整備もしていないので、ガラクタに近かったとも言われている。それに比べ、富国強兵政策で、軍事予算をふんだんに使い、軍部を充実させ、訓練もしっかり行い、軍の士気は最高に高まっていた。しかも、日清開戦は、日本側が必勝のタイミングを見計らっての先制攻撃から始まったのだから、士気が思うように上がらない、
「眠れる獅子」
 と呼ばれた清国軍であっても、日本軍に対してすべてが後手後手に回り、最後には、敗北してしまう。
 西太后の政治介入が、どれほどの状況判断ができなかったのかという例として、20世紀に入ってすぐに、義和団による、
「扶清滅洋」
 をスローガンとしたクーデターが起こった。
 そこで、西太后はこともあろうに、北京に権益を持っている、欧米列強のほとんどの国に対して、義和団という勢力だけを盾に、宣戦布告をしてしまったのだ。列強からすれば、思うつぼである。居留民保護の大義で、多国籍軍を形成し、北京を占領できるからである。もうこうなると、宣戦布告をしてしまった時点で、自殺行為が自殺になった瞬間だった。
 きっと、まわりの側近は、彼女が、
「気がふれてしまったのではないか?」
 と感じたことだろう。
 結果は数日で、多国籍軍に北京は占領され、そのまま、軍隊が駐留することになる。もう、この時点で、清朝は滅亡したといっても過言ではないだろう。彼女の場合は独裁者であり、国亡者と言ってもいいのではないだろうか?
 さすがに、長浜敦子がそうだと言っているわけではない。彼女には、独裁的に見えるオーラがあるのだ。
 なんといっても、西太后は、独裁者ではあったが、わがままだったのだ。それが、一種の、
「男と女の違いだ」
 と言ってもいいかも知れないが、それは、昔だから言えることで、今のように、
「男女平等を謳っている時代」
 であれば、彼女のことを独裁者と果たして呼べるかどうか、怪しいものであった。
 長浜敦子には、少なくとも西太后のような、バカなところはなかった。それに、女性であるということを必要以上に意識しているわけでもない。女性であると意識するという考え方は、両極端である。
「女性だから許される」
 という考え方と、
「女性だからと言って差別されるのは、我慢できない」
 ということであり、前者は、どこか西太后のようで、後者は、現代において、男女平等を高らかに唱えている女性の言い分なのであろう。
 敦子は、そのどちらとも違っていた。だが、敦子が自分を女性だと意識していないわけではない。かと言って、女性というものを利用して、何かを企んでいるというわけでもない。
 要するに、普通の女性なのだ。
 意識することもなく、女性としての、本能であったり、ホルモンの影響で、行動やフェロモンが醸し出されたりするというものである。
 そんな彼女は、ただ、ある意味自己主張が強いように思えた。それも、無理のない自己主張である。
「女性だからこそ、できることがある。女性だからといって、無理をする必要もない」
 という考えを持っていた。
「これは、本当の意味での男女平等に近いのではないか?」
 という意味で、潔い性格が、まるで、
「男前」
 と言われるゆえんになっていたのだが、この男前という言葉、たぶん、
「男女平等」
 を叫んでいる連中からすれば、許せない言葉になるのだろう。
 しかし、敦子はそれを気にする様子もない。
 別に女性だから、どうしたというのだ。
「男性と肉体的に違うのであるから、女性が無理して男性にしかできないことをやろうとする必要もない」
 と思っている。
 敦子は、基本的に、
「男女平等」
作品名:耽美主義の挑戦 作家名:森本晃次