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耽美主義の挑戦

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 と、少し舞鶴との会話を思い出したのか、少し興奮しているかのようで、本当は会話を一度止めなければいけないのかも知れないが、こういう時ほど、本音をいうのが女性ではないかと思い、少し様子を見ることにした。
「というと、どういうことなのかな?」
 と、話を続けさせた。
「個性というのは、個人至上主義というものの派生型ではないかと私は思っていて、そこは、舞鶴さんと意見も一致しているんですよね。つまりは、皆が一つの方向に向かって進んでいる団体主義と違って、その反対というだけの意味から個人至上主義というものがあるんです。つまり、意味とすれば、団体ではない一人一人という意味で解釈すればかなり広く考えられるわけです。だから、個性至上主義というのは、個人至上主義の中に含まれるともいえるでしょうね。でも、その個人至上主義というのは、狭義の意味で考えると、団体というものが、一つのものに向かって進んでいるのだとすれば、個人主義というのは、あくまでも、個人中心なんですよ。団体というものが、個人個人を殺してでも一つの大きな塊となって、塊だけを見ていると、決して、その中の一人一人は見えてこない。それこそ、何かを形成する大きな機械の歯車の一つでしかないんですよね。せっかく生まれてきたのに、死ぬまで歯車の一つとして、認識されることもなく生きていくということを人間である以上、本当に容認できるのだろうか? と考えるのが個人主義だと思うんです。そこまでは私も賛成なんですよ。個人が集まって、皆が皆、一つのところに何の疑問も持たずに進んでいく。平和に見えるけど、その頭にいる人が間違っていれば、一蓮托生で皆、下手をすれば、潰されてしまう。誰も、一つのことしか信じていないので、洗脳されてしまえば、誰も戒めてくれる人はいないわけですよね。それが、団体という考え方のもろ刃の剣の部分ではないかと思うんです」
 と言って、いったん話を切った。
 深沢刑事はここまで聞いていて、
「何かこれではまだ中途半端な気がする、これではただの個人主義の定義について、一部に触れただけではないか」
 と思っていると、少し休憩したあと、また彼女が話始めた。
「個人というものを構成しているものに、個性というものがあるんです。だから、個人という考え方あ、その中の個性を認めることから始まるんじゃないかとも思うんですが、その個性には、いいものもあれば、一般的に言われている悪い部分もあると思うんですね? それが、性的欲求であったり、性的犯罪に絡みそうな部分だったりですね。そういう意味で、耽美主義の耽美というのは、人間の個性の中に含まれると思うんです。そして、私はその耽美主義も個性の中の他の部分の、変質的なものがあったりするじゃないですか。例えば、SMプレイであったり、覗き趣味であったり、ストーカー気質であったりですね。その中で、耽美主義だけが、一種の別物のように言われてきたと思うんですが、私の中では、耽美主義も、個性の中の一種だと思っているんですね。SMプレイであったり、変質的な趣味と同じレベルというかですね。もちろん、犯罪になってしまうと、個性では済まなくなってしまいますが、個性である間は同じレベルのものだと思っているんですが、どうも舞鶴さんの中では、そうではない発想があるようなんですよね」
 とさくら子は言った。
「どうして別物だと思っているんでしょう? そのあたりは、話されたことはありますか?」
 と聞かれたさくら子は、
「ええ、話をしました。でも、舞鶴さんとしては、他の変質プレイに対しては、主義という言葉をつけて別に存在するわけではないが、耽美主義というのは、別に言葉があって、主義とついた時点で、個性とは別のレベルだというんですよね。実は私は最初、その意見に真っ向から反対していたんですが、最近になって、あの人の言う通りだと考えるようにもなったんです。それは私が耽美主義というものに少し考えが変わってきたということもその一つなのかも知れないですが、個性というものを、別の角度から見てみるようになったというのもあるかも知れませんね」
 と、さくら子は言い始めた。
「というのも、彼が言う個性というのは、結構幅が広いんです。一歩間違えれば犯罪になってしまいそうなことも個性として認めているので、特に女性である私は、とても許容できない部分が多かったんですが、ある日、彼が言ったんです。さくら子さんの言い分には、矛盾していることがあるってね」
「ん? それはどういうことで?」
 と聞き返したが、さくら子が、自分のことを、
「さくら子」
 と、舞鶴が読んでいたということを、公言しているということを気づいているのかいないのか、深沢には気づいているように思えてならなかった。
「私は、男女平等ということには、この会社でも結構厳格に考えている方なんです。だから、ここ数十年で盛り上がってきた男女平等の考え方を全面的に支持しているんですね。たとえば、呼称などがそうじゃないですか。職業などの場合で、今まで女性だけの仕事のように思われていたものは、わざわざ女性の接続詞をつけて呼んでいたでしょう? 看護婦だったり、スチュワーデスだったり、婦人警官であったりね。それをやめたじゃないですか、それを私は支持していたんです。でも、男性の中には、そこまでしなくてもと思っている人は若干名いると思うんですよね。舞鶴さんもその一人だったので、私はあの人と真っ向から衝突していたんですが、彼が考えている、男女平等の話を聞くと、どこか私の考えが違っているのではないかとも思えてきたんです。彼がいうには、男女平等だっていうけど、女性と男性では、埋めることのできない肉体の決定的な違いがある。男には子供が生めないので、それにかかわるような、生理であったり、体調だって、基礎体温が違ってみたりするわけでしょう? だから、女性に生理休暇を与えたりすることになる。それを女性は男女平等だと言いながら、黙認しているわけでしょう? それだって、矛盾だっていうんですよね。私もさすがにそれを言われると、何を言っても言い訳にしかならないという風に感じるようになったんですが、耽美主義を認めているのに、性的欲求の部分は許容できないというのは、確かに矛盾しているということを、肉体的な観点から指摘されると、理解できないとは、どうしても言えないんですね。いわゆる、敵に背中を向けてしまうことになり、そうなると、あっという間に一刀両断で殺されてしまうということになりますからね」
 と、さくら子は言った。
 さくら子がここまで熱く語っているのだから、なるほど、舞鶴という男が、彼女と喧嘩になるというのも分かる気がするが、さくら子の話を聞いている限りでは、いつも興奮しているのは、さくら子であって、どちらかというと、落ち着いているのは、舞鶴の方だったということを、自覚していたように思う。
 さくら子の言い分は、聞いていれば、
「舞鶴という人を誤解しないでほしい」
 と、必死で訴えているように思え、とても喧嘩の相手だとは思えない。
作品名:耽美主義の挑戦 作家名:森本晃次