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小田原評定

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「わが町のヒーローを自分たちで作ったんだ」
 という気概もあったことだろう。
 少年のためというよりも、自分たちの気概を感じたいというのが、本音の中にあったのは事実だろう。だから、少年の気持ちを大切にしようという気持ちだけではないだけに、余計に、前のめりに近い形で、それぞれが考えていたに違いない。
 そんな中で、彼らの思惑通りにテレビ制作が行われることになった。一つの条件として、
「本人には、自分たちが推薦したということを言わないこと」
 というのを出していた。
 これはもちろん、自分たちが商店街を盛り上げるためにやったということを勘違いさせないための念押しだった。
 実際に最初に言い出した人には、そんなつもりはなかったのだが、商店街の中には、いろいろな人がいて、商店街のためにと思って、思惑ありで考えていた人もいたし、ひどい人には、
「これによって、商店街の結束を壊すことができる」
 と感じ、商店街の転覆を狙っている人もいたのだ。
 彼の場合にも、情状酌量の余地がないわけではなかった。
 商店街の息子に生まれたばっかりに、自分のやりたいことができずに、強制的に跡を継がされた人だっていたのだ。
「それが昭和の気質なんだ」
 と言われてみれば、それまでなのだが、特に彼の場合は、親の金で大学に進学した。
 親とすれば、経営学を学ぶことで、これからの経営者として、店を大きくしてくれることを願ってのことだったが、大学に進むと、時代の最先端の情報も得ることができ、すでに、これからの時代は個人商店ではやっていけないということを思い知らされたものであった。
 だが、親とすれば、そんなことが許されるわけもない。自分たちは、子供に託すことが最大の正義だと思っているので、大学で学んだことを言っても、通用するわけもなかった。
 親の威厳を振りかざされると、彼としても、人情はあることで、どうしてもジレンマに陥ってしまう。悩んだ末、家を継ぐことにしたのだが、このままいけば、間違いなく、先行かなくなることも分かっていることであった。
 商店街の人に話しても分かるはずもない。皆、商店街を継ぐというだけの意識しかなく、
「このままの商店街が、半永久的に続く」
 ということを思っているようであった。
 だが、実際にはそんなことがありえるわけはない。商店街の未来がないことは、世間のニュースを見ていれば分かることだが、商店街の二世たちにとっては、それほど、深く刺さることではなかった。
 まるで、
「対岸の火事」
 という程度にしか思っていない。
「こいつらが、ここまでバカだったとは思ってもみなかった。商店会の中では、どうしても多数決でしか決まらないので、こちらは自分ひとりだけでは、太刀打ちできるはずなどあるはずもない」
 というのが、彼の考えであった。
 実際に、商店会での彼の意見が通ったことはなかったのだ。
 そこで彼なりに、他の連中にはあまり気づかない方法で、水面下で動いたりした。
 地元の商社に密かに話を持って行ったが、なかなか足元を見られて、交渉にすら発展しない。八方ふさがりになっていた。
 そこで考えたのが、ちょっとした方向転換だった。
「きっかけは何でもいい。小さなことであっても、団結できるようなことがあれば、それが、商店街の八方ふさがりな状態を打開できるのではないか?」
 ということであった。
 つまり、
「今が一番の底辺であり、これ以上下がることはない。だから、ちょっとしたきっかけがあれば、上を向くことができ、上を向くことができれば、上に這い上がることができるのではないか。スピードはゆっくりであっても、向上心というものを皆が持つことができれば、この状態を救うことができるはずだ」
 という考えである。
 それを叶えてくれそうなのが、荻谷少年の存在だった。
「あの子のように、商店街を好きでいてくれる人が、今では皆の信用を取り戻し、それによって、前を向くための団結に一役買ってくれるのではないか?」
 と、考えたのだった。
 そんな考えを持っている人たちが、皆、言葉は悪い多、
「自分たちの結束のために、子供を祀り上げて、そうすることで、皆が幸せになれるともくろんでいたとすれば、放送の不人気は、計算外だっただろう。
 しかし、それで終わればまだよかったのだが、変なところから、
「やらせ疑惑」
 を、提唱している人が少なくとも一人はいるということである。
 今のところ一人だけなのだから、
「そんなバカな」
 と誰かがいえば、無為無根ということで、すぐに消えてなくなることなのだろうが、当時のテレビ局では、やらせ疑惑というのは、致命的なことだった。
 それが、公も場でまことしやかに叫ばれるようになると、疑惑を掛けられた方とすれば、完全に鎮静化できなければ、火だねとして残ってしまい、それが致命的なことになりかねなかったりするので、慎重にことを受け止めなければならなかった。
 なぜなら、中小の放送局が作成したバラエティ番組で、
「やらせ報道があった」
 ということで、世間が一気にその放送局を攻撃した。
 最初は、そこまでひどくはならず、少しの間静かにして我慢をしていれば、
「人のうわさも七十五日」
 などという言葉もある通り、すぐに世間は忘れてくれるだろう?
 と思っていたのだった。
 しかし、実際には、一人が批判すれば、他の評論家も、右に倣えで、どんどん思惑とは別に、火種が広がってくる。
 そうなってしまうと、世間が忘れてくれるどころか、世間を完全に敵に回してしまった。何も言わずにやり過ごそうとしたことが完全に裏目で、
「説明責任を果たせないということは、本当にやっていた証拠だ」
 と言われてみたり、
「言い訳ができないことで、話題の自然消滅を企んでいる」
 と、まんざら嘘ではないことを言われてしまうと、もう、何も言い返せなくなってしまう。
 少しでも言い返せていれば、放送局側にも、言い分があると思って、下手をすれば、今以上に炎上するかも知れないが、少なくとも他人事だと思っていて、逃げ腰だとは思われないだろう。
 そうなってしまうと、玉砕覚悟で世間と真っ向勝負をするか、それとも、逃げて逃げて逃げまくって、卑怯者のレッテルを貼られたまま、静かに消えていくかのどちらかになってしまう。
 この放送局は、後者だった。
 他の放送局からすれば、自分に置き換えると、屈辱であり、一歩間違えると、自分の身に降りかかってきてしまうと思うだろう。
 しかし、では、彼らがその放送局に対して、何か援助をしたかというと何もしていない。要するに、苛めが行われているのを、自分に火の粉が降ってこないように状況を見守りながら、自分への保守しか考えていないということである。
 そんな連中が何を言っても、説得力などあるはずもなく、放送局としての限界を、放送業界全体が知ることになったといってもいいだろう。
 そうなってしまうと、自分たちがどうすればいいのか分かるはずもなく、そんな状況に陥らないようにするしかないのだ。
 そうなると、
「放送氷河期」
 と言ってもよく、放送倫理などあってないようなものになりかねない。
 それでも、この、
「バブル崩壊不況」
作品名:小田原評定 作家名:森本晃次