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小田原評定

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「すでに、自分の思惑ではないところに独り歩きを始めたんだ」
 と感じるようになったのは、少ししてからのことだった。
 やつらのやり口は、いきなり本人に来るのではなく、まずまわりを固めているようだ。荻谷少年は、家事はしない代わりに、買い物などによく出かけていた。
 最初の頃は、専門のお店に出かけて、そのメモを店の人に見せることで、店の人も分かっているのか、必要なものを揃えてくれた。最近では、スーパーでも買い物はできるようになったが、今までのように、肉なら肉屋、野菜なら八百屋と言った具合に、専門店での買い物も欠かさない。
 それは、店の人ともかなり仲良くなり、コミュニケーションも図れることから、馴染みのお店も客を大切にしてくれるので、スーパーで買うよりも安くしてくれることもあったりするのだ。
 さすがに毎回ではないが、お店の人たちとの繋がりはありがたかった。
 店の方からしても、一人でも常連のお客さんはありがたかった。何しろ、その時代になると、いよいよ郊外型の大型商業施設が、幹線道路沿いにできてきたことから、駅前商店街の専門店にとっては、かなりの痛手になる心配が募ってきた頃であった。
 まだ、そこまで大きな打撃のなかった頃だが、実際にどうなったかというのは、歴史が証明している。
 そんな時代の転換期、確かに自家用車を持っている人は、郊外型のショッピングセンターに買い物に行く。特に週末などは、レジャーランドに出かけるような感覚で買い物に出かけられるのだ。
 母親が買い物をしている間。子供はゲームセンターで遊んでいたり、旦那は、専門店街を見て回るなど、一日中いても、飽きないくらいの設備があるのだから、何も歩いて、近所の商店街に出かけることはないだろう。
 実際に車を持っていれば、荻谷家も、大型ショッピングセンターに通ったかも知れないが、車がないことと、荻谷には父親がいない母子家庭ということもあって、別に、
「家族団らん」
 を望む必要はないのだ。
 むしろ、そんなところで、団欒を見せつけられても、どうすればいいのか? 
ということである。
 せっかく商店街では、荻谷少年が、週に何度か買い物に来てくれるということで、マスコット的存在になっていて、結構かわいがってもらえた。荻谷もちやほやされて嬉しくないはずもないし、荻谷少年の境遇もしている商店街の人たちは、昔気質の人情に厚い人たちなので、そんな人たちにかわいがってもらえるということは、これ以上の喜びはなかった。
「俺って。意外と昭和気質なのかも知れないな」
 と感じていた。
 その頃までは、まだ昭和の良き時代を振り返るようなドラマや映画もあり、やっと普及し始めたビデオテープに、ドラマなどを予約録画して、見ていたものだった。
 昭和かたぎの映画などを見て、人情に触れるのが好きなのは、荻谷少年だけではなかった。実は母親もそういうドラマや映画が好きで、よく一緒に見たものだ。
 そんな荻谷少年だったが、最初から商店街の人たちから好かれていたわけではない。
 一番最初は、まだ小学生だった荻谷少年が、健気に買い物にきてくれることを素直に、商店街の人は喜んでくれたのだが、そのうちに、予言めいたことをはじめ、昔気質の性格からか、
「ちゃんと聞いてあげないといけない」
 という思いから、意見を大切に聞いていたが、その内容が、あまりにも、ウソが多く、いい加減であることから、次第に、大人たちも冷めてきたのだ。
 ウソが多いというよりも、本当のことは一つもなかった。そんな状態であれば、さすがに大人は、
「バカにされているのではないか?」
 と思い、面と向かって、
「あんまりいい加減なことばかり言ってるんじゃない」
 と言われるようになった。
 さすがにその頃には、商店街でも、オオカミ少年扱いされるようになったが、そのうちに、逆のことを言い出して、すべてが的中するようになると、現金なもので、それまでいうことを信用しなかった人たちが、見直すようになったのだ。
 それを見て、少年は、
「自分の決断は間違っていなかった」
 と思ったが、その本心を誰も知る由もなかった。
「きっと、本人の中で何かきっかけがあって変わったのだろう。今まであまりにもうまく行っていなかった歯車が、噛み合うようになったのかな?」
 と考えるようになったが、その考えもまんざら、間違った考えというわけでもなかったのだ。
 元々、民放の放送局が、番組を作るに至った経緯の中に、実は知られていないが、この商店街の人からの紹介があったのが一つのきっかけになったことであった。
 荻谷少年が、
「オオカミ少年」
 と言われていたことで、あれだけ商店街の人たちも、
「オオカミ少年のいうことに惑わされないように」
 という一種の結束のようなことがあったのだが、しばらくすると、今度はまったく逆になってしまった。
 それを、昭和かたぎで、真面目にものを考える人たちにとっては、
「こんな神がかったことは、常人の考えではなかなか理解できるものではない。やはり、あの子には、何かがついているのではないか?」
 と、いい意味で見直されてきたに違いない。
 しかも、それまでのどちらかというと情けなさそうで、顔色を伺っていそうな少年が、言っていることが当たるようになってきて、その表情に自信めいたものが漲ってきているのを見て、
「これが、あの少年の本当の姿なのではないか?」
 ということを感じ始め、その感覚が、
「彼は、覚醒したのではないか?」
 とまで思われるようになったのかも知れない。
 覚醒という言葉は、大げさなのであろうが、何か見えない力によるきっかけがあったのではないかと思うに至るには十分なのではないだろうか?
「きっかけがあって、覚醒したのだとするならば、そもそも、彼にはその力があって、今までは未熟だっただけで、これが本当の力として、認めてあげなければいけないんじゃないか?
 ということで、まわりが、少年を、
「仲間扱い」
 するようになったといえるのではないだろうか。
 そんな少年のことを、マスゴミが勝手に煽って、テレビ番組まで作ったことは、あとから考えれば、
「失敗だったのではないか?」
 という結果論に至ったのだが、当初は、
「彼の覚醒を、我々だけで知るよりも、皆さんに知ってもらうことが、皆のためではないか?」
 ということで、商店街が押しての、一種のプロジェクトのようなものとして、商店街の人たちが考えていた。
 だから、テレビ局に売り込むような形をして、
「自分たちが、彼を売り込んだということは、彼には知られないようにしてくださいね」
 と、まるで、自分たちの手柄のように思われたくないということを示したのも、やはり昭和気質のようなものがあったからなのかも知れない。
 ただ、彼らの思惑は、完全に、成功することしか頭に描いていなかったのだ。
 これをしたことで、どのようなデメリットがあるかということまで考えていない。
 これが一種の、
「昭和かたぎ」
 というものなのではないだろうか。
 だが、商店街でも、密かに盛り上がってきて、実際に放送されることになるというのが決まった時は、商店街の人たちは喜んだ。
作品名:小田原評定 作家名:森本晃次