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小田原評定

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 と思っていたのだが、子ども扱いされることで、真面目な大人には、このままでは絶対になれないと思ったのだった。
 それは、まわりが、分かっていないのをいいことに、本当は自分の予言が、ある日をきっかけに正夢になったわけではなく、単純に反対のことを言っているだけだということを誰にも言わないことで、
「まわりを欺いている」
 と思うようになったことであった。
 実際お再現ビデオが出来上がったということで見せてもらった。
 その時は、地元の放送局に、スポンサーの人と一緒に行って、ちょっとしたミニシアターというのか、ラジオのスタジオのようなところがあったので、そこで視聴させてもらうことにした。
 内容は、かなりの誇張があった。主人公である、荻谷少年に扮している少年は、見た目、
「お坊ちゃん」
 の様相を呈していて、見方によっては、まるで、
「探偵少年」
 という雰囲気で、それこそ、少年探偵団に出てくる、
「小林少年」
 のような感じだった。
 その頃はまだ、
「じっちゃんの名に懸けて」
 であったり、
「名探偵コ〇ン」
 などというキャラクターは、それほど有名ではなかったので、何とも言えない感じだったが、今の人が見れば、どうしても、比較してしまうことだろう。
 その少年は、裕福な家庭に育ち、英才教育も受けているような少年だったが、どうしても、生まれつき、
「身体が弱い」
 という弱点があったのだ。
 そんな状態を気にした当主である父親が、わざわざ別荘を買って、一年に数か月ほど、その別荘で過ごすことで、自然に囲まれた環境の中、新鮮な空気を吸うことで、少しでも、静養になればと思っているようだった。
 それだけ、親からは期待され、かわいがられていたのだが、半分は、
「家の跡取りだ」
 という意識が強かったというのが本音だった。
 田舎の、避暑地のようなところだが、確かに別荘が周りにたくさんあって、軽井沢のようなところであるが、実は、ペンションなどの、一般人がくるようなところではなかった。
 本当にどこぞの会社の社長だったり、政治家が別荘地位として選ぶような、特区に近いような場所だった。
 そんなところに、ペンションを作っても、さすがに一般人は気後れして、訪れる人はいないだろうと思われるようなところだったので、そういう意味では、
「隔絶された場所」
 ということで、まわりから見られているところであった。
 そんなところで、少年は、自然に触れることで、それまで感じなかった予感が、いつの間にか漲るようになってきた。
 それを、自分だけの中にしまっておくことが、病弱である彼には耐えられなかったのだ。
 人のことが分かるのを、自分の中に抱え込んでしまうと、病弱の身体に、今度は精神的な圧迫が加わるのは、子供の小さな身体には耐えがたいものがあるという設定だったのだ。
 病弱な身体を癒すために、自然という癒しを精神的に受け入れることで、精神が噛み砕いてくれた精神的な癒しが、身体に影響を及ぼすことで、大いなるリハビリのような形になっていたのだ。
 それなのに、肝心な精神に圧迫があると、せっかくの自然環境がうまく浸透してこなくなり、
「この土地にいること自体が、本末転倒になってしまう」
 というのが、困ったことになるのだった。
 そんな状態になってはいけないということで、
「感じたことは表に発散させないといけない。人に迷惑の掛からないことであれば、発散させる方がいいんだよ」
 という、別荘に連れてきた専属の医者のいうこともあって、その指示に従うことにした。
 だが、せっかくの発散も、最初の頃は、ウソの情報が多く、
「せっかく話してくれたのだから」
 というまわりの忖度もあって、ウソはウソとして解釈するようにまわりが感がえていたというのが、前半の主な内容だった。
 後半になると、主人公の少年が、ある時、別荘地の奥にある鎮守の森に迷いこんでしまったというエピソードがあるのだが、そのエピソードというのは、少し、オカルトチックな話になっていて、そこに迷い込んでしまうと、抜けられないという状況に陥るというものであった。
 ただ、こんな状態になるのは、皆ということではない。偶然に偶然が重なるような形で、うまくすべてが絡み合わないと、発生しないというような形になると、そこから抜けられないのだ。
 ちょうどそんな状況に嵌ってしまったのだろう。それを少年は、恐ろしく感じているはずなのに、表向きには、まったく動じていないように見えていた。だが、本当は、泣きだしたくて仕方がないのに、泣くことができないということ。そのことが一番の恐怖だと感じたのだ。
「俺はここから一生出ることはできない」
 と思うと、恐ろしくて、考えれば考えるほど、悪い方に発想が行ってしまうのが分かる。
 それが怖かったのだ。
 だが、そんな恐怖は長くは続かなかった。
「夢を見ていたんだろうか?」
 と感じ、目を覚ましたのが分かった。
 祠から出てくることができなかったはずなのに、目が覚めると、ちゃんと、自分の部屋のベッドで寝ていたのだ。
 しかも、ちゃんと着替えまでして。
 ということは、最初から夢だったとしか思えない。
「そういえば、以前見た夢で、眠れない夢というのがあったな」
 と感じた。
 それは、
「眠れないという夢を見ていた」
 というオチであり、眠ってしまっているのに、眠れない夢を見ていたということを感じると、以前に見た、
「マトリョーシカ人形」
 というのを思い出した。
 ロシアの民芸品だという、
「マトリョーシカ」
 というのは、
「人形の中に人形が入っていて、どんどん小さな人形が中から出てくる」
 という、一種の、
「入れ子状態になった人形」
 のことである。
 その発想が、夢の中で、
「入り込んだら出られない。出たつもりなのに、またその場所に入り込むという状態」
 を考えてしまうというのだった。
 VTRの中では、その発想を、
「実はずっと頭の奥に潜んだ、潜在意識というものに格納されていて、何かの瞬間に表に出てきて、それを夢として見せるかも知れない」
 と感じると、
「普段の予言も似たようなものなのかも知れない」
 と思うようになっていた。
 それは、自分で感じたくもないのに、勝手に感じてしまうという、
「潜在意識のなせる業」
 という意味で、夢に近い物なのではないだろうか。
 夢についても、絶えず意識の中にあるもののようで、夢自体が、潜在意識だと考えると、堂々巡りを繰り返しているようで、反射的にマトリョシカを思わせるのは、まるで、条件反射を感じさせた。
 そう、まるでこの発想は、
「パブロフの犬」
 といっていいのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、後半の入りに少し違和感を感じたが、そんな気持ちにお構いなく、VTRは進んでいく。最後まで意識が遠のいていくようで、見ているVTRに何も感じていない自分を感じてくるのだった。
 そんな田舎町で、彼は、予言を初めてから、最初はまったく当たらなかった少年が、ある日を境に、ピタリと当たるようになった。
作品名:小田原評定 作家名:森本晃次