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小田原評定

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 と言われたが、ここまで確信めいて話すということは、その企画を放送局に持って行ったのが、我々であることを知っていると言わんばかりだった。
 それを、
「知らない」
 と突っぱねるのは、
「知っている」
 という言葉を自分から言っているのと同じことになるではないか。
 そうなると、もう、ごまかすわけにはいかない。
「ええ、知っていますが?」
 と、相手の出方を見ていると、
「あの時にですね。やらせがあったのではないかという疑惑が持ち上がってきたんですよ。そのことについて、何かご存じかと思いましてね」
 と、いきなり、核心をついてきた。
「そんなの知るわけないじゃないですか」
 と、本当のことを言った。
 確かに、そんなウワサがあるなどということを、肉屋はその時まで知らなかった。
 ただ、同じ商店街の中で知っている人がいたのだが、彼は、他言無用だった。それは正解だったのだ。
 実際に、そんなウワサがあるなんて初耳だった。
「ひょっとすると、この人はこちらに変な揺さぶりをかけて、あることないことを少しでも引き出せば、それを記事にでもするのではないか?」
 と感じたのだが、それは一理あるかも知れない。
 実際に、この男は完全に前のめりで話に来ている。こちらが、しっかりと身構えていないと、相手の勢いに押されてしまいそうだった。
 そういう意味で、八百屋は気が小さかった。だから、ついつい余計なことを言ってしまいそうで怖かったが、何とか虚勢を張ることで、逃げようと思ったが、なかなか離してくれそうにないかも知れないと思うと、少し怖かった。
 だが、そんな思いを知ってか知らずか、もう少しで危ないと思ったところ、うまく離してくれた。ただ、あくまでも、
「初回だったから」
 ということだったのかも知れない。
 その日はそれでお開きになったのだが、肉屋の行動で正解だったのは、その後、こんなことがあったというのを、商店街の人たちに話したことだった。
「何だい、それは。まるで俺たちが荻谷少年を推して、テレビ制作をさせたことを知って、俺たちを狙い撃ちにしかたのようじゃないか? マスコミの人たちって、そういう強引なところがあるから、気を付けないといけないな」
 と、八百屋が言った。
「うん、何か弱みがあったり、落ち度がある相手に対しては、容赦のないのが、あいつらのやり方で、そのくせ、根拠があろうがなかろうが、話題性があれば、それを徹底的に煽って、自分たちの正当性を、報道の自由という言葉と、知りたい人に知らせる義務というような欺瞞で、自分たちを正当化する。だから、あいつらは、マスコミではなく、マスゴミと言われるゆえんなんだ」
 と。魚屋が、実にうまい表現をしながら、いかにも毛嫌いをしているかのように言った。
 ここでお魚屋の言葉には重みがある。
 なぜなら、魚屋というのは、商店街のグループの中でも、中立的な立場をいつも保っていたからだ。
 そんな彼が、こんなに興奮したかのように相手を蔑むような言い方をするのだから、その説得力は、相当なものであることに、間違いはないだろう。
 この場は、完全にマスゴミは悪だった。元々、商店街の人たちで、マスゴミをよくいう人は一人としていなかった。かといって、極端に毛嫌いしているわけでもない。ただ、自分たちに関係がないということであれば、それほど怒りがあるわけではなかった。
 しかし、今回は、明らかに自分たちが応援している人に対しての誹謗中傷に近いことを言っている。そして、
「それが事実であろうがなかろうが、少しでも疑いがあれば、あることないこと、書き立てるに違いない」
 というところまで来ているとすれば、これは完全に、
「敵」
 ということである。
 昭和かたぎの彼らは、性格的には、
「勧善懲悪」
 である。
 好きな相手を誹謗中傷されるというだけでも、怒りがこみあげてくるのに、その誹謗中傷を、あることないこと書き立てて、報道の自由という盾を使って、
「言葉の暴力」
 で、あたかも自分たちの推しである。荻谷少年を狙ったということは許しがたい。
 それだけ、商店街が舐められているということを示しているのかも知れないし、それならそれで、真っ向から、勝負に挑んでやると言わんばかりの、鼻息の粗さであった。
「まず前提として、余計なことを言わないということと、我々が団結をするということだ。憎きマスゴミの魔の手から、我が商店街と、荻谷少年の自由を守るということだ」
 と、八百屋が言った。
「そうだね。具体的には、インタビューのアポがあれば、すぐには約束せずに、我々皆に相談するということ、ただ、やつらは、アポなしで来るかも知れないので、その時は、相手にしないことで、そのまま、どこかの仲間のところに行って、その人の助けをもらうこと。相手は、自分が不利になりそうなら、入り込んでくることはないだろうから、効果的だと思う。そうすれば、こちらの団結も示すことができるので、一石二鳥だというものだな」
 と魚屋が言った。
 そんな状態で、今度はマスゴミが攻めてきたのは、八百屋だった。
 彼は性格的に、リーダーシップがしっかりととれる人であるが、ただ、彼の場合はリーダーシップというよりも、
「マウントを取る」
 と言った方がいいかも知れない。
 リーダーシップを取りながら、自分が中心にいるんだということを必要以上に誇張してしまうので、人によっては、八百屋のことを、
「少し鬱陶しい人だな」
 と思って、距離を必要以上に詰めないようにしている人もいる。
 だが、これは逆に、
「リーダーシップをとっているのだから、取りたい人に任せて、全面委任ができるというわけではない。放っておけば、自分がやりたいようにしてしまい。全体の損になることに舵を切ってしまうことになりかねないからだ」
 絶えずまわりに警戒されていれば、まわりも注意することになり、その状態をうまく平衡感覚が取れてくるのだと思うと、
「彼のような存在もある意味必要なのだろう」
 と考える人もいたりした。
 それを考えているのは魚屋だった。魚屋も、商店街の中での存在感は強く、ある意味一番周りから期待されているといってもいいだろう。
 八百屋の場合は、気を付けないと、マウントを取りたいと思っているだけに、独断専行をしかねない。一歩間違うと、彼のような人にマウントを取らせてしまうと、独裁の可能性も出てくる。だから、彼だけに任せることだけはできないというのが、まわりの共通した意見だった。
 もちろん、まわりがそんな風に考えているというのは、八百屋本人にも分かっている。だから、暴走はしないようにしている。もし、暴走してしまうと、これまで自分が築いてきたものを、自らで壊してしまうということになりかねないからだ。
 それを思うと、今回のように、取材に来たのをいいことに、いかにも自分から話すかのように仕向けておいて、懐に入れたところで、他の人たちと包囲殲滅しようと考えていたのだ。
 うまくインタビューに答えるような話をして、商店街の会合に参加させる形に持って行った。
作品名:小田原評定 作家名:森本晃次