ずさんで曖昧な事件
しかし、何が悪いというのだ。
「こちとら、金払って食べてるんだ。おいしいはずのものをまずいと分かっていて、どうして食べなきゃいけないんだ」
ということである。
おいしいと思ったから注文したのに、まずかったら、誰だって怒るだろう。もちろん、ほとんどの人は、
「なんだ、このまずさは」
と感じ、嫌だと思いながらも、最後まで食べはするが、
「もう二度と、こんな店にはこない」
と思うのではないだろうか?
大好きなものをまずいと思って食べさせられて、しかも金まで取られて、
「じゃあ、今度は違うものを注文すればいいんだ」
などという、聖人君子のようなことを思う人っているだろうか?
「どうせ他のものだって、もっとひどい」
と思うのが関の山ではないだろうか。
怒りがこみあげてきて、その怒りから、
「もう二度と来ることはない」
と感じるに違いない。
結局、最後はどちらであっても、結果は同じなのだ。
「二度とこない」
と思うまで、最初から文句を言って食べずに出てくるか。それとも、嫌なおのを食べさせられ、怒りを感じながらも、食べた以上、怒ることもできなくなった自分に、少なからずの後悔を抱きながら、結局は二度とこないということに落ち着くのだ。
白河も、最初から、ここまでハッキリした考えを持っていたわけではない。他の人のように、怒りを隠して、我慢して。最後には同じ思いに至っていた。
ただ、後悔と怒りのチャンポンは、かなりきついものだったのだ。
要するに、
「怒りをぶちまけて、後悔をしないか。我慢させられる形で、後悔をするか?」
というだけの違いだったら、前者の方がいいに決まっていると自分で納得したのだ。
要するに、泣き寝入りは嫌だという性格になっていたのだ。
白河という男
そんな白河は、親が嫌いだった。もちろん、親のすべてが嫌いだったわけではないのだが、矛盾した態度を感じてから、嫌いになったのだ。
子供の頃から常々言われていたのは、
「自分が何をしたいのか、その主張をしっかりしなさい。人には口に出して言わないと、分かってもらえないわ」
というのが、母親の基本的な教えだった。
小学生の頃からおとなしく、あまり友達もいなかったことから、母親はそういう言い方をするようになったのだろうが、なかなか自分からいけないのが、白河少年だった。
「母親はどうして、そんなに簡単に言えるんだ?」
と思っていたが、なるほど、母親を見ていれば、それも分かるような気がする。
いつも、近所の奥さんの輪の中に入って、大声で大げさなくらい笑っていたりしていて、子供の白河から見ても、
「明らかに、輪の中心にいたい人なんだ」
と思ったものだ。
今でいえば、
「マウントを取りたがっている」
と言ってもいいだろう。
特に母親は、父親と、あまり仲がいいわけではなかった。喧嘩になることもしょっ中で、下手をすれば、白河に不満がぶちまけられることもあった。要するに、
「子供に八つ当たりをする」
ということである。
そんな母親が、白河が中学になってから、少しずつ変わってくる。
あれだけ、自分の言いたいことを主張しなさいと言っていたくせに、友達と喧嘩になって、学校で、派手な喧嘩になったことで、親が学校に呼び出され、先生から叱られているのを、ただただ、
「すみません」
と平謝りをしているだけだった。
その態度も正直気に入らなかった。子供の言い分も最初から聞こうともせずに、ただ先生に謝っている。これでは、まるで、
「自分の息子が悪い」
と言っているのと同じではないか。
今までの母親の教えであれば、息子が悪くないと思っていれば、先生にそれなりの話をしてもいいはずだった。
それをすることもなく、ただ、平謝りをしている母親のその姿こそ、矛盾の塊だったのだ。
そのくせ、先生の文句が終わってから、一緒に学校を出ると、帰り道、一切何も話そうとしない。家に帰ってからやっと、口を開いたかと思うと、信じられない言葉がその口から出てきたのだった。
「お前は、一体なんてことをしたんだい? お母さん恥ずかしくて、世間に顔を合わせられない」
といったのだ。
完全に、
「息子は恥ずかしい存在だ」
と言い切り、息子がなぜそんなことをしたのかということは、まったく関係ないと言わんばかりである。
これを聞いた時、
「この人は結局。自分がかわいいだけなんだ。俺の態度で、自分が世間に向けて作ってきたイメージを勝手に崩されたことが許せないんだ。それが息子であっても同じことであり。いや、逆に息子だからこそ、怒りに震えているんだ」
ということだと認識している。
親と言っても、いや、親だからこそ、自分の主張や立場を崩されると、完全に敵対してしまうというのが分かったのは、子供の頃に言っていた。
「自己主張をしなさい」
という言葉と、先生の前でただ謝っているだけの態度に大いなる矛盾を感じたことで、母親の本性が見えたのだろう。
「しょせん、大人ってそういうものなんだ」
と感じ、
「こんな大人だったら、なりたくなんかない」
と感じるのだった。
学生時代は友達もそんなにいる方ではなかった。中学高校時代など、友達らしい友達もおらず、いつも一人だったが、本人は、
「別にかまわない」
と思っていた。
それは別に強がりというわけではなく、どちらかというと、
「一人の方が気楽でいい」
と思っていたからだ。
大学時代になって友達ができたのも、別に自分から作ろうとしたわけではなく、自然とできた友達だった。きっかけが何だったのかと言われても本人たちも覚えていないくらいであり、きっと、
「似たような考えの人は、それなりに、くっつくものだ」
ということなのかも知れない。
学時代に友達になった人は少なかったが、それだけ、話が通じる人間だった。お互いに、
「まさか、俺と同じ気持ちのやつが、こんなに身近にいたなんてな」
というと、
「ああ、まったくだ。探してみれば、もっとたくさんいるかも知れないな」
いうくらい、お互いに似た考えの人がいたことに感動していた。
「俺は異端児だと思っているからな」
というと、
「俺だってそうさ。まわりが人に気を遣っているのを見たりすると、イライラしてくるくらいだからな。なんであんなにまわりに気を遣う必要があるのか、まったく合理性なんか、無視じゃないか」
と、友達はいうので、
「そうそう、そうなんだよ。合理性を追求しないから、話に矛盾が出ていることに誰も気づかないんじゃないかって思うんだ。冷静に見れないのがいけないのか、それとも、当事者感覚で考えると、矛盾を感じないのか?」
「それこそ、自己中心的な考え方だと思うんだけどな。それを皆、優先するんだよな」
と、友達が言った。
要するに、二人とも、
「人に気を遣うということよりも、合理性を重視する」
と思っているのだ。
子供の頃によく見た、奥さん連中がよくやる、レストランなどでの、レジでの会話。見ていて虫唾が走るほどに腹が立つのだが、
「奥さん、今日は私が払いますわ」
と言って、伝票を持ってレジに急ぐ一人の奥さん。