ずさんで曖昧な事件
今度はこっちに吸い殻を寄せることはなかったが、どちらにしても、臭いは残るし、相手の玄関先を通らないと、出られないので、どうしても通ることになる。まるで踏み絵でもさせられるかのような心境だ。
踏み絵とは逆なのだが、踏まなくてもいいものを踏まされるという意味では同じである。そう思うと、また我慢ができなくなって管理人のところに行くと、さすがに管理人もウンザリするようで、
「分かりました」
とはいうが、そのあとまったく変わることはなかった。
さらにエスカレートしてきて、また前のように吸い殻をこっちに寄せるようになったのだ。
こうなってくると、管理人もあてにならない。どんどんイライラしてきて、
「どうして、俺だけがこんな思いをしなければいけないんだ?」
という苛立ちが襲ってくる。
しかも、そのうちに隣から、それまで聞こえなかった物音が聞こえてくるようになった。
それは、完全に部屋の壁の薄い部分を叩く音であった。薄い部分というのは、まるで乾いた木のような感じなので、本当に、響くという感覚である。寝ている時にそんなことをされると溜まったものではない。完全に嫌がらせをしているのであった。
「あの音は他の部屋だっていやなはずだよな」
と、今度は音に関して、管理会社に直接話に行くと、管理会社の方は、完全に嫌な顔になっていて、
「他の部屋からも文句が来ていませんか?」
と聞くと、
「いいえ、そんなことはありません、あなたが神経質すぎる」
と言われてしまった。
こちらとしては、
「それを管理会社が言ってはいけないだろう」
と思い、もう完全に管理会社が信用できなくなったのだった。
もう苛立ちは最高潮に達し、普通なら我慢できていたような些細なことにも、イライラして、我慢ができなくなった。それは完全に、まわりに味方がいなくなり、自分が四面楚歌に突入したと感じたからだった。
隣の住人が引っ越してきてから、半年も経つと、またしても引っ越していった。トラウマだけを残して引っ越していったのだが、結局、隣人の顔を一度も見ることはなかった。どんなやつがいたのか、まったく分からない。さぞや、
「チンピラのようなチャラい男だったのだろう」
と思っていた。
ここまでくると、
「果たしてどうすればいいのか?」
と考えた。
「こんな管理会社のマンション、さっさと引っ越した方がいいんだろうか?」
とも思ったが、もしまた引っ越した先で、さらにひどいところだったら、
「引っ越しに金も時間も手間もすべてがかかるのに、そう何度も繰り返すわけにはいかない」
と感じ、さらなる引っ越しができるわけもない。
会社を転職する場合もいうではないか、
「転職すればするほど、今までよりも条件は悪くなるって」
という言葉を思い出した。
今でこそ。キャリアアップなどと言われているが、それだけの実力のある人間ならまだしもそうではなくて、特に嫌で会社を辞める場合は、条件面では、前の会社以上のものを求めてはいけないことになるだろう。
このままいるということになると、このまま我慢していなければいけないわけだが、いつ隣にまた誰かが入ってくるかも知れない。転職の時と同じで、
「前よりもいいと思うのは、希望的観測でしかなく、限りなく悪い方であり、どんなによくても、前と同程度と考えると、考えるだけ無駄だということになるだろう」
と思わざるおえないことになってしまう。
こういうのを、
「沼」
というのではないかと思うのだった。
一度嵌ってしまうと、抜けることができなくなり、あがけばあがくほど、深みに嵌ってしまう。
よく、
「底なし沼」
と言われるが、果たしてそんなものが本当に存在するのであろうか。
そこがなければ、沼の中の液体は、どこにいくというのか、それこそ、昔の漫才ネタではないが、
「地下鉄はどこから入れた?」
という発想と同じになってしまう。
これを言葉で表すとすれば、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
というのと同じである。
それに一度嵌ってしまうと、捻じれるようにして深みに落ちていく。それはまるで螺旋階段のようであり、それをどのように表現するかというと、
「負のスパイラル」
という表現しかないだろう。
ただ、長いトンネルのようなものだとするならば、
「抜けないトンネルなどありえない」
という発想であれば、どこかに抜けるのは間違いない。
ただ、それもポジティブに考えるから、トンネルを抜けたところに幸せが待っているなどと思えるのだ。今回のような負のスパイラルでは、抜けた場所が今までロクでもない場所だったという意識から、一歩踏み出せないのではないか。そう思うと、
「トンネルというものは、抜けた先が必ずしもいいものだとは限らない」
と言えるのではないだろうか?
隣が引っ越してから、真剣、他のマンションに引っ越そうかと考えたが、家賃や給料、さらに不便さなどを考えて、マンションを移るということは、当欠した。
やはり、実際問題と、
「どこに移っても、根本的な問題は解決しない」
ということである。
「根本的な問題を解決しようとするなら、マンションに住まずに、一軒家を探すしかない」
ということになるのである。
「マンションというのは、あれだけ音が出るのに、どうして、誰も文句を言わないのだろう?」
と考えたが、結局は、自分も音を出すかも知れないということで、他人にだけ文句を言うわけにはいかないということだ。
自分のように一人暮らしであれば、自分が気を付けていればいいだけだが、家族と住んでいると、どうしても、音は出てしまう。特に子供などできてしまうと、音を出さないようにすることなど、不可能だと言ってもいいだろう。
そうなると、自分から文句をいうことが、なかなかできなくなる。夫婦二人だけの時はそうでもないが、子供ができて、子供が小学校などに上がったりすると、今度は、父兄会などがあり、どうしても、近所づきあいをしなければいけなくなる。
そうなった時、自分たちの意見だけを押し通してしまうと、子供の世界では、立場が逆になる可能性もある。そして、子供の間でギクシャクしてくると、大人の世界も、それにともなって、おかしくなってくる。それだけは避けなければいけないのだ。
したがって、マンションに住んでいて、子供の問題が絡んでくると、簡単に動くことができなくなってしまうのだ。
しかも、マンションの古株の人がいれば、その人が主導権を握ることになるだろう。年功序列であったとしても、古株の方が年齢が高い場合が多いので、新参者は、従うしかないのだ。
それこそ、嫌なら、出ていくしかないということになるのだった。
中には、
「マンショントラブルに何度も巻き込まれて、ジプシーのように、彷徨っている」
という人もいるかも知れない。
マンションのトラブルは騒音だけではない。
ゴミの問題、普通の人間関係。
そこには、グループが最初からできているところに飛び込むことになる場合は、圧倒的に不利である。