ずさんで曖昧な事件
刑事は、定岡氏の話を聞きながら、昨日、第一発見者の姉川氏と話をした内容を思い出していた。
姉川氏も別に大したものを見たわけではないと言っている。
ただ、
「姉川氏が最初の目撃者になったのも、何か犯人側の作為があるのではないか?」
と、刑事は思っていたが、ここにもう一人定岡氏という目撃者も出てきた。
しかも、脅迫めいたものを受けているのである。その脅迫では、普通ならあるべき、
「警察に話すとただではすまない」
などということもないのだった。
そういう意味では、脅迫としては弱い。
ということになると、この事件において、犯人が何を考えているのかが分からない。
果たして、定岡氏が今回の事件を目撃したのは、ただの偶然だったのか?
偶然だったとすれば、あの写真は何を意味するものなのか?
ひょっとすると、脅迫をした犯人が、何かを確認したいということで、あの場所から、スクショを狙っていたとして、偶然取れてしまったことなのか。それが、脅迫してきた人にとって、都合の悪いことだったことで、何かを口止めしようとしたのかであろうが、その口止めのための理由を、どうも定岡氏が分かっていないということになるのだろうか?
刑事たちは、この脅迫している人が、この事件の犯人とは関係のない。いや、
「暴行未遂事件への関与はしていないのではないか?」
と考えているのだった。
定岡氏の話は、あまりにも曖昧な話であり、実際に事件の話としての内容は、逆に脅迫者による、
「送り付けてきた写真」
が、そのすべてを物語っているのだった。
実際に、写真があることで、
「論より証拠」
とはまさにこのことで、送り付けてきた連中としては、脅迫めいたことをしておきながら、殺人未遂事件の目撃者としての定岡氏を、
「フォローしている」
といってもいいのではないだろうか。
それを考えると、よく分からない部分が膨れ上がるような気がした。
今回の事件は、他の事件とは、結構変わっていた。
計画がずさんというのか、見えている部分が結構あるわりには、どうしても、超えることができない結界のようなものがある。
これは、どんな事件にだって存在するのだが、それは、犯人が必死に考えた計画を、警察が捜査や鑑識による科学的解明によって、犯人に徐々に近づいていく中で、何段階かによって、結界のようなものを感じる。
一種の、
「壁にぶつかった」
というところであろうか。
そんな時、それまで地道に捜査してきた内容が、頭の中でフィードバックされ、どこが問題だったのか、それが分かれば、今度はどこを注視していけばいいのかということが分かってくる。
それが、過去の経験であり、警察官としての感覚であった。
だが、今回の事件においては、分かっていることが、最初から結構ある。
それだけに、最初から捜査しないで言い分、捜査についてあまりよく分かっていない人たちは、
「簡単にかたが付くことだろう」
と思っているに違いない。
それが警察部外者だけなら、まだいいが、警察幹部のような、あまり現場の捜査を自分の足で捜査をしたことがないキャリア組には分からないことであろう。
それだけに、
「すぐに解決することだ」
ということで、思っていると、捜査があまり進展していないことに、
「お前たちは何をやっているんだ。これだけ分かっていることが多いのに、まだ犯人を特定できないのか?」
ということになる。
警察が恐れているのは、冤罪事件でもあった。そういう意味でも、揃いすぎている証拠であったり、犯人を特定して、頑なに犯行を認めない容疑者に対しては、捜査員であれば、たいていの場合、頭の中に冤罪というものがちらつかないとは言えないだろう。
したがって、捜査が煮詰まってくるにしたがって、余計慎重にならなければいけないということでもあるのだ。
特に、今回のような、殺人未遂事件であると、被害者は死んだわけではない。
犯人が、本当に殺害目的があって、最初の事件が、
「失敗だった」
とするならば、次に本当の殺人が起こらないとも限らない。
そのことも考えなければならず、捜査も、被害者のことを考えながらということになるだろう。
当然、被害者には、プライバシーというものが存在し、プライバシーというものを守らなければいけない。
もちろん、殺人事件であり、被害者が死んでいても、死んだ人間のプライバシーがないというわけではないが、生きている人間の場合は、これからも生きていかなければならないわけなので、被害者を追い詰めるようなことは絶対にできないのだ。
下手をすれば、
「殺人未遂被害者が、警察の捜査によって、プライバシーを侵害された」
と報道されかねない。
そうなると警察の立場はないというものだ。自殺でもされると、それこそ、今度は警察による犯罪ということになってしまい、負の連鎖はどこまでも続くことにならないとも限らないのだ。
姉川の存在と藤原の正体
姉川という男と白河は、それぞれ小説を書いていて、それぞれ、
「長政と老中」
というペンネームで、お互いを知らないまま、SNSの小説サイトだけで繋がっていた。
しかし、実際にも、二人には共通点があったのだ。
それが、今回の犯人と思しき人間の目撃者であり、さらに、脅迫めいたことを言われた定岡だったのだ。
彼が、姉川と面識があるのは、同じマンションの住人ということで不思議はない。ただ、部屋がフロアも違っているので、知り合いという発想はなかなか出てくるものではないだろう。
また、白河という男性のことを知ることになったのも、これまた偶然だったのだ。
というのも、定岡の知り合いの姉川という男は、小説を書くのに、結構図書館に行っていた。図書館で、執筆をすることもあれば、その近くの喫茶店で執筆をすることもあった。
そんな姉川は、別に直接白河と仲良くなったわけではない。芦沢が、音楽を作るのに、図書館の近くの喫茶店で、作詞作曲をしていたのだ。
そんな二人をマスターが、それぞれに紹介し仲良くなったのだが、その喫茶店を利用している人の一人が定岡だったのだ。
定岡と二人は知り合いというわけではなかったが、姉川が、
「あれ? 同じマンションの方ではないですか?」
と、普段から孤独を楽しんでいた姉川が、この喫茶店でだけは、常連ということもあり、知り合いには結構声をかけていたのだ。
姉川を少しでも知っている人はビックリする。
「あの孤独を地で行っているような姉川さんが」
と思って、きょとんとすることだろう。
意外と姉川というのは、ひょうきんなところがあり、人が自分に対して、きょとんとした態度を取ったりするのを見るのが好きで、わざとそんな表情にさせようと、意表を突くことがある。
それを見て、
「姉川さんって、思ったより、人懐っこいところがあるんだ」
と、まわりに思わせて、そう思わせることを快感にしているところがあったのだ。
そんな姉川は、定岡にも気軽に話しかけ、芦沢に紹介した。
その時、芦沢は、姉川と話をする中で、自分の友達の過去のエピソードを話したのだ。