ずさんで曖昧な事件
「結婚というものは、本当にしたいと思う人がすればいいわけで、そもそも、結婚しなければいけないというような風潮が、今の時代にはあっていないのではないか?」
と思うのだった。
結婚する人よりも離婚する人の方が圧倒的に多いという。理屈的におかしいが、そういわれてみると、疑問には感じるが違和感は感じない。実に理屈に合わない感覚だといえるのではないだろうか。
そんな姉川は、性欲が出た時は、風俗に通うようにしていた。
「ここでだったら、変に好きになることもないし、お互いに、お金での契約なので、彼女にも求められないようなことをしてくれる」
という意味で、50代になってからも、風俗通いを続けている。
最初の頃は、お気に入りの女の子にずっと入っていたが、そのうちに、飽きが来るようになったのだ。
いろいろな女の子に入ってみて、気に入った女の子には、もう一度入ることはあったが、3度目はなかった。
飽きがくるのが怖いと思ったのと、変に感情移入してしまって、恋愛感情を持つというようなことがないようにと思うようになった。
「この年でまさかね」
とは思うのだが、万が一ということもある。
そうなってしまうと、もう、どうしようもなく、
「何度同じ過ちを繰り返すんだ」
と、自己嫌悪の塊となって、それまで以上の後悔が襲ってくるに違いない。
今のところ、そういう感覚はないが、もしあったとすると、そこから立ち直るのに、どれだけの時間が掛かるというのか。
そもそも、立ち直ることができるのかという思いすらあって、さすがにこの年での、色ごとでの後悔は、致命的ではないかと、思うのだった。
自分が孤立していて、孤独感を味わっているのは、分かっているが、その感覚は半分マヒしていた。
孤独であっても、寂しささえ感じなければ、別にかまわないと思っている。寂しさを感じないようにするには、感覚をマヒさせることが一番で、感覚をマヒさせるということが、
「後悔を伴わない」
ということに繋がると思うと、頭の中も繋がったような気がするのだった。
風俗では、
「癒し」
を感じることができる。
お金を払って癒してもらうという感覚に、若い頃だと自己嫌悪を感じていたが、今ではそんなこともない。生きる上での活性化と、精神的に落ち込まず、後悔をしないようにするために貰う癒しなのだから、自分で稼いだお金で得るものなのであって、何が悪いというのかである。
ある意味、マヒした感情を、再度活性化させるという意味での癒しであれば、何が悪いというのかということになるのだ。
そんな人生を歩んでいて、まわりの人は、
「年を取って、一人でいて、家庭も持っていないなんて、情けないと思わないのか? 惨めにしか見えないだろう」
ということをいう人が実際にはいるし、30代くらいまでだったら、そんな人を自分でも、
「惨めな人だ」
と感じたのだろうが、今の姉川には、
「言いたいやつには言わせておけばいい」
と考えていた。
彼には彼で趣味があった。これは偶然であったが、白河と同じで、
「小説を書くこと」
だったのだ。
小説は、サスペンスタッチのもので、どこかドキュメンタリーのような書き方が多く、実際にどこで起こっても不思議ではないような事件が多かった。
通り魔事件であったり、連続暴行事件などと言った事件を、老刑事が解決に導くというような内容の小説で、もちろん、プロではなく、若い頃は、新人賞などに投稿したこともあったが、それも、30代までで、40を過ぎると、
「プロになるのは諦めよう」
と思うようになっていた。
浅川が、
「孤立はしていない」
と感じるようになったのは、小説を書いていることで、人生が充実していたからだ。
40過ぎで彼女ができた時、少しの間、小説の執筆のペースを落としていた。それでも彼女と一緒にいる時期が楽しいと思えたからだが、別れてから、かなりの間、ショックが尾を引いていたが、その間でも執筆をやめることはなかった。さすがに、最初の1か月ほどというのは、手につかなかったが、それ以降は、ペースが落ちてはいたが、執筆はしていた。
「気が紛れる」
ということもあったからで、小説というのが、やはり自分にとって生きがいであったことを思い出したのだ。
「もう、これ以上恋愛をすることはないだろう」
と思うと、一抹の寂しさが感じられたが、一度通り越すと、そんな思いを忘れてしまうほど、生きがいがあることが、どれほどの自分の力になるかということを思い知った気がしたのだ。
それは、プロになる、ならないに関係がない。むしろ、ならなかったことで、生きがいとして自分の中に残るのだから、それはそれでいいことだと思った。
「趣味と実益を兼ねた」
という仕事ができる人を羨ましいと思った時期もあったが、精神的にきつくなった時、どこにも逃げ場がないことを思えば、それも、果たしていいことなのかどうか、考えさせられたものだった。
そんな彼が書いた小説は、最近では、SNSの無料投稿サイトに挙げられていた。
本当は、アクセス数の多いサイトがいいのだろうが、あまりにも多すぎると、
「誰にも見られることもなく埋もれてしまう」
という危惧と。
「ある特定のジャンルが、ほとんどを占めている」
という、偏ったジャンルのサイトになっていたことが、姉川にとって、敬遠する理由だったのだ。
そのジャンルというのが、
「異世界ファンタジー系」
で、半分以上がこのジャンルだと言われた。
一番多い時で、8割近くがそうだったのではないかと言われているほどだったのだ。
これも奇遇なのかも知れないが、実は姉川がアップしているサイトで同じくアップしているのが白河だった。
もちろん、お互いに知り合いというわけではないし、そもそも、本名で投稿するという人もいないだろう。ペンネームを使っていて、ちなみに、白河が、
「老中」
という名前で、姉川が、
「長政」
という名前を使っていた。
歴史に造詣の深い人であれば、何となく分かるとは思うが、二人も歴史が好きだったということなのだろう。
そんな中で、長政は、老中のことを意識もしていないが、逆に老中は、長政のことを意識していた。
それは、長政が書いている小説の中で、無視することのできない内容の小説があり、
「できることなら会ってみたい」
と感じていたのだった。
長政の書いている小説の中に。
「性欲の連鎖」
という内容のものがあったのだ。
その話は、連続暴行魔の話であり、通り魔のような男で、定期的に女を暗闇で遅い、車に連れ込み、そこで暴行するという話であった。
犯人はもちろん、一人ではない。3人組でやっていることであり、その3人は、罪の意識のかけらもない連中であった。
「捕まらなければいいんだ」
という程度の考えの連中で、まずは目を付けた女をワゴン車でつけていき、暗いトンネルの出口のところで、一人が車から飛び出し、女を抑えつけたところ、後ろからもう一人が、麻酔剤を沁みこませたタオルを口と鼻に当て、眠らせて、そのまま車に連れ込むというやり方だった。