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ずさんで曖昧な事件

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「若い頃というのは、1日が長いと思う時は、1週間があっという間だったり、逆に、1日があっという間に過ぎたかと思うと、1週間がなかなか過ぎてくれなかったりしたものだが、年を取ってくると、1日もあっという間であれば、1週間もあっという間、そんな時期なのだ」
 と感じさせられる。
 だから、過ぎてみて、何も心に残らなければ、本当に何もなかったとして、意識が記憶に変わるのが若い頃なのに、年を取ると、記憶に変わらず、しいていえば、
「忘却の彼方へと過ぎ去るのだ」
 と言ってもいいだろう。

                 小説の内容

 そして、あっという間に過ぎてしまった10年だったが、その頃には、
「もう彼女なんかできなくてもいい」
 と思った時、思わぬ出会いから、付き合える女性が現れたのだ。
 彼女もバツイチだった。娘がいるのだが、娘はすでに独立していた。本人曰く、
「娘は、21歳の時の子供だ」
 という、姉川がその時、44歳、彼女も44歳、ちょうど年齢も同じだということで意気投合したことから、付き合うようになったのだ。
 最初は、彼女が、
「付き合っていく自信がない」
 と言い出した。
 しかし、姉川は、そんな彼女に対して、
「大丈夫だ。俺に任せろ」
 というセリフを吐いた。
 少し前まで、彼女などいらないとうそぶいたのは誰だったのか?
 そんなことを思わせるのだったが、人間、変われば変わるものだ。
 と言っても、性格が変わったわけでもなんでもない。ちょっとスイッチが入っただけなのだ。そのスイッチも誰がいつ押したものなのか分からない。自分が何かに触れた時に、偶然入ってしまったのだろうか?
 そんなことを考えていると、自分がもう44歳になったということが信じられないくらいだ。
「1日が、なかなか過ぎてくれないというような時期が訪れてくれるのだろうか?」
 と、そんなことを考えながら、二人で過ごす時間は、明らかに充実していた。
 完全に若い頃の自分に戻ったかのような感覚だった。自分が年を取ったなどと考えたことがあったなど、信じられないくらいだった。
「今年は、クリスマスもバレンタインも楽しみだ」
 と、その間に誕生日があるのに、それも楽しみなくらいだった。
 そんな彼女が、まさか、40代になってできるなど思ってもみなかった。
 自分がまだ20代の頃、会社の課長で、離婚歴があり、40代で再婚した人がいたが、まるで他人事のように思っていた。
 実際には2年も経たないうちに離婚することになったようだが、その時に、
「離婚するなら、結婚なんかしなきゃよかったのに」
 と、40過ぎてからの結婚に、どんな意味があるのかと思っていたはずなのに、自分が実際に彼女ができると、その時のことが頭をよぎりはするが、それ以上でもそれ以下でもない。
 なぜなら、その時の自分が、
「俺はまだ、20代なんだ」
 という意識があったからだ。
 20代の自分が、40代の人を見た時とは、見ている目線が違っているということであった。
 20代であれば、40代の女は、おばさんに見えるはずのだろうが、同い年という感覚からか、年を取っているという感じがしない。
「あの時の課長も、今の俺と同じ感覚だったのではないか?」
 と思ったのだ。
 だから、抱くことも若い時のような感覚で、普通にできた。ただ、さすがに40代ともなると、精力が衰えているのは仕方のないことだが、女もそれで文句をいうようなことはなかった。
 もちろん、その時、何らかの文句が出ていれば、一瞬にして、冷めてしまい、次、会うことはなかったかも知れない。それだけ40代というのは、肉体的にも精神的にもデリケートであり、人生経験が豊富なだけに、相手に妥協を許さない部分もあるに違いない。
 実際に付き合っていると、お互いに妥協しあわないと、若いカップルほどうまくはいかないだろう。
 肉体の衰えもあれば、精神的な充実もある。自分に自信を持っている人であれば、特にそうで、ある意味、マウントを取りたがるかも知れない。
 そうなると、すでにぎこちなくなっていて、
「そんな精神状態でも付き合う必要があるのか?」
 という思いは、若い連中に比べれば、大きいに違いない。
 そんな若さゆえに、未熟な点が若い時にはあるが、それでも、その年齢が適齢期であり、適齢期に結婚した人の離婚率も高いが、さらに高齢での結婚の方が、圧倒的に離婚する率が高いのではないだろうか。
 年齢を重ねれば、重ねただけの人を見る目が備わっている。さらには、自分の年齢を考えて、妥協もできない。さらに、別れたとして、孤立したとしても、今までだって、そうだったではないか?
 そう感じると、いまさら、また別れを経験したとしても、別に痛くもないと思っている人が多いだろう。
 孤立を痛いとは思わない。戸籍に傷がついたとしても、最初から一つはついているのだ。
「1が2になるだけだ」
 というだけのことである。
 だから、離婚の1つや2つと思うのだ。
 まわりがどう見ているかなどということも、もう関係ない。
「どうせ、あの人、すぐに離婚すると思ったら。やっぱりね」
 と言われたとしても、それも最初から覚悟の上である。
「別にあんたに迷惑をかけているわけではない。逆に話題を作ってやったんだから、感謝してもらいたいくらいだよ」
 というくらいに大きな気持ちでいれば、そんな陰口を叩くやつに対しては、こっちは気にしていないと示すことで、苛立つことも何もない。
 孤立を怖がっていては、高齢になって何もできない。そもそも、孤立だったわけで、元に戻るだけではないか。
「どうせ、俺は、このままずっと孤独なんだ」
 と分かっただけでもよかったと思う。
 そうすれば、孤独なりにどのような人生を過ごせばいいかということを考えればいいのだ。
「孤立だから、パートナーがほしい」
 と考えたのだから、今度は、
「孤立したから、何か趣味をすればいい」
 と思えばいいのだ。
 孤独だと思うから寂しいわけで、孤立したのだと思い、孤立したことで、自由になんでもできると考えれば、別にマイナスでもない。人生というのは、そういうものではないだろうか?
 そんな姉川にも、自分なりの春がやってきた気がした。正直、彼女と一緒にいて実に楽しい。しかも、彼女の雰囲気、態度が、結婚前に付き合っていた、
「今までの人生で、一番好きな女性」
 であり、そして、
「決して忘れることのできない女」
 に似ているのだ。
「私、あなたと付き合っていく自信がない」
 と言って、何度も、ごねられたものだったが、それは、姉川のことを考えてのことだったと思っているので、本当に、同じような思いを感じさせる彼女の雰囲気は、自分の精神年齢を20代に引き戻すだけの力があったのだ。
 そもそも、自分の精神年齢が20代に近づいたことで、彼女と出会えたのではないかとも思っていたのだ。どちらが本当なのか分からないが、自分の中の血が滾ってくるのを感じたのは、それだけ、
「愛に飢えていたのではないか?」
 そして、その思いが、大願成就したのではないかと思うのだった。
作品名:ずさんで曖昧な事件 作家名:森本晃次