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ずさんで曖昧な事件

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 いや、分からなかったというよりも、分かっていて、認めたくなかったと言ってもいいかも知れない。
 それは、
「釣った魚に餌をやらない」
 という、まさにその意識である。
 つまり、
「いつでも手を伸ばせばそこにいることで、簡単に手に入るようになると、それだけで満足してしまうということか」
 それこそ、
「ウナギが焼ける香ばしい匂いだけで、満腹になってしまう」
 というような感覚に違いであろうか?
 心情は少し違うが、本能的にはそういうことなのかも知れない。
 そんな彼が、初めて、
「俺は結婚に向かないのではないか?」
 と考えたのだ。
 セックス以外の部分では、仲良くできているので、離婚などはありえないとおもっていたが、嫁は違っていたようだ。
 彼女もセックスを望んでいるわけではなく、寂しさに耐えられなくなったのではないかと思った。結婚していて、いつでも手を伸ばせば手に入る距離にいるのに、実際には、絶対に手に入れられない領域を作ってしまい、自分で、結界を設けてしまった。それが、彼女にとっての、離婚への引き金になってしまったということなのだろう。
 彼女は、
「身体だけの関係」
 というものを毛嫌いしていたかも知れない。
 だが、身体の関係を切り抜いた関係をありだと思っていたが、実際にはそうはいかなかた。その肉体と精神のバランスの崩壊が、彼女に離婚を決意させたのかも知れない。
 姉川の方は、精神と肉体の乖離は別に問題ないと思っていた。別にセックスをしなくても、妻への愛さえあれば、やっていけると思ったのだ。それが、男としての責任であり、結婚したことの証が、その覚悟だと思っていたのだった。
 つまり、嫁には、寂しさの限界が存在し、姉川には、まだそれが分からなかったとうことなのだろう。
 姉川に、結婚している間、寂しさというのはなかった。心の奥で、
「いずれ、嫁の気持ちはまた俺に戻ってくる」
 と思ったからだった。
 それまで、嫁との関係は、
「気持ちが一時的に離れているだけなのだが、一歩間違えると、取り返しのつかないことになる」
 という感覚はあった。
 どうなってしまうのかということまでは、想像が行き着かなかったが、離婚という二文字がちらついたのは間違いない。
 しかし、それを真剣には考えていなかった。離婚に対して、どこか他人事のような気持があったからだ。
「離婚してしまうと、戸籍に傷がつくということを、彼女も嫌っているに違いない」
 という思いは、自分と同じだと思っていたのだ。
 だが、そう思っていたのは、姉川だけだった。彼女の方が思っていたよりも現実的だったのだ。ただ一つの誤算は、男と女というものの感覚の違いだった。
「俺だったら、以前一緒にいって楽しかった時のことなどを思い出してしまうと、決して離婚に走るなどという発想は起こらないものだから、彼女だって同じだろう」
 と思っていた。
 しかし、他の人がいうには、
「それは男だから、そういう未練たらしいことを考えるのであって、意外と女はそんなロマンチストではなく、もっと現実的なんだ。だから、お前のように、昔の懐かしさにしがみつくようなことはしない。別れると思ったら、覚悟を決めてくるから、説得は難しいんじゃないか?」
 と言われた。
「そうなのか?」
 と聞くと、
「ああ、女というのは、ギリギリまで我慢するのさ。それで我慢できなくなったら、初めてその時に、相手に感情をぶつけるんだ。だから、女から言い出した時というのは、すでに女は自分だけで覚悟を決めているので、なまじっかな説得が聞くわけはないんだ」
 と言っていたが、まさにその通りだった。
「女が覚悟を決めたのなら、いくら過去の楽しかったことをネタに話そうとも、絶対に無理だというものだよ」
 と言われたのだ。
 だから、話をしても、もう無駄だった。戦争だって、将棋の世界や、選挙に至るまで、
「始まった頃には、もうすでに勝負は決している」
 などと言われるが、相手に対する時には、すでに万全の手は尽くされていたりするもので、何もしていなければ、与するしかないのだろう。
 結局、離婚することになった、いや、させられてしまった姉川は、そのまま、離婚をすることになり、身軽になったのだが、離婚の時に感じた、
「身軽だ」
 という気持ちが案外と気楽なもので、
「彼女くらいなら、いくらでもできるだろう」
 とタカをくくっていたが、なかなか、そうもいかなかった。
 女の子の友達は、それ以降、何人かできたが、自分の中で何かが物足りない。もちろん、身体の関係にもなったのだが、身体の関係になったとたん、何か思っていた感覚と違う思いを感じたのだ。
 それは確かに相手に感じた思いではあったのだが、相手を嫌いになったりしたわけではなく、女を抱いた時、ハッとした感覚になったというのか、それまで抱いていた、彼女ができたことによるドキドキ感が、急に冷めていくのを感じたのだ。
「明らかに結婚前の感覚とは違っている」
 という思いであった。
 それを感じたのが、初めて身体を重ねた時だというのが、不思議な感覚だった。
「身体を重ねることを目的に付き合ってきたはずだったのに」
 と感じたのは、身体を重ねることが最終目的だというよりも、身体を重ねることで、すべてを知ることができるという達成感のようなものが得られるような気がしたからだ。
 結婚前までの感覚というよりも、結婚してから、嫁と初めて身体を重ねた時を思い出していた。
 あの時も何かざわっとした感覚があったのだが、あの感覚に似ていた。
「ということは、達成感を通り越して、憔悴感すら感じてしまったということなのだろうか?」
 と感じていたのだ。
 離婚してから、10年近く、彼女と言えるような女性ができても、ほどんどすぐに分かれてきた。
 そう、漢字で書くと、
「分かれる」
 になる。
「別れる」
 ではないのだ。
 これはどういう違いがあるかというと、別という字で書いた時の別れるというのは、相手が人間である時に示す。つまり、離婚であったり、死別であったり、別居であったりと、いう場合だ。
 だが、分という字で書いた時は、人間関係以外の場合に分かれる場合で、分離、分解、などという時に使うものだ。
 そういう意味では、暖かさを含んでいるといえば、別なのだろうが、その暖かさを引き離すわけだから、残酷性は別の方にある。
 つまり、付き合っていた女との、
「分かれ」
 というのは、まるで血が通っているわけではない分かれなので、味気もなければ、感情も、思い入れもないという感じであり、気が付けば時が過ぎていたという、無為に過ごした時間だったということだ。
 若いうちの無為と、年を重ねても無為とでは、まったく意味が違ってくる。年を取ってからであれば、時間がもったいなく感じられる。つまり、その間、ただでさえ、時間があっという間に過ぎるのに、無為のうちに過ぎてしまうのは、もったいないというより、焦りが感じられるほどなのだ。
作品名:ずさんで曖昧な事件 作家名:森本晃次