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探偵小説のような事件

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「なんとも言えない感じですね。記憶を喪失はしているんでしょうが、それが一過性のものなのか、それとも、大切な記憶のほとんどが消えてしまっているのか、そこまでは、今のところ判断がつかないんです。思い出そうとする時に、頭痛がするという、記憶喪失の時の典型的な症状が出ているようではないようですからね」
 と看護婦さんは言った。
「あなたは、まったく患者さんを知らないんでしょう?」
 と聞かれた杭瀬は、
「ええ、昨日の倒れているところしか見たわけではないので、その様子からは、自分の知っている人に似ている感じはありませんでした。ただ気になるのは、あのあたりをあの時間に通っているんだから、今までに何とか顔を合わせていても不思議はないと思うんですよね。時間的には、帰宅時間だからですね。でも、初めて見るような気がしたので、そこがちょっと気になるところですかね?」
 というのだった。
「分かりました。ご面会は、あまり長時間はできないことになっていますので、1時間をめどにお願いできますか?」
 と言われ、
「分かりました。ありがとうございます」
 と言っているうちに、彼女の病室の前にちょうど来ていたのだった。
「こんにちは」
 と言って先に杭瀬が入り、彼女の様子を見た。
 すると、彼女の反応はほとんどなく、その後ろから現れた看護婦さんを見て、やっと安心したような表情になった。
 このことで分かるのは2つ、
「看護婦が、わざと後から顔を出したことで、最初から彼女の反応を見ようと狙っていた」
 ということ、そしてもう一つは、
「看護婦の行動も踏まえたところで彼女の反応を鑑みれば、彼女の記憶が失われている」
 ということが事実だということであろう。
 別に言葉を疑ったわけではないが、その様子を見ていると、彼女は杭瀬のことを覚えているわけではないということであった。
 そういう意味では、見舞いに来たことは、ほとんど意味のないことであった。だが、彼女が何かの事件に巻き込まれたのかも知れないと思うと、警察が動いている以上、彼女の状況を知っておいてもいいだろうし、見舞いに来たということを警察が認識していることも、悪いことではないだろう。
 そう思うと、見舞いに来たことも意義があると感じ、彼女と普通に接すればいいのだと思うのだった。
「この方は、あなたのために、救急車を呼んでくださったのよ」
 と言って、私を紹介してくれた。
 それでやっと彼女の顔に笑みが零れたが、その時初めて彼女の笑みに、意識が籠っていないことに気が付いた。
「さっきの看護婦さんへの笑みも、心が籠っていなかったんだろうな。完全に形式的で、愛想笑いにしか見えないんだ」
 と思ったのだった。
「じゃあ、お熱を測りましょうかね?」
 と言って、腋に体温計を挟んだが、反対の腕に点滴が刺さっているようで、痛々しさが残っていた。
 1分ほどで体温が図れ、
「それじゃあ、時間厳守でお願いします」
 と言って、看護婦さんは出て行った。
 さすがに、表には、警官が控えているというような仰々しさであるが、本人がどこまで自分に起こったことを認識できているのかが分からないので、どう切り出していいのか分からなかった。
 もし、彼女に昨日のことを聞かれて、どこまでこたえていいのか分からなかったが、というほど状況を把握できているわけではない。実際に刺された現場を見たわけでもなければ、犯人を分かっているわけでもない。とにかく彼女が倒れていて、その横にナイフらしきものを持った男がたたずんでいて、こちらを見かけ、走り去ったというだけだ。
 状況からすれば、
「彼女を刺して走り去った」
 ということになるのだろうが、そのことはあくまでも客観的に見たことであり、事実ではない。
 本当であれば、被害者の意識が戻れば、事件で何が起こったのかということは、被害者の口から語られるというのが普通なのだろうが、彼女には今そこまでの記憶がないという。
「ひょっとすると、今までの同一の事件でも、被害者がその時のショックから、一時的な記憶喪失になっているということだってあったかも知れない」
 と思うと、
「その影響で、逮捕できたはずの犯人を取り逃がしたということだってあったのかも知れないな」
 と、勝手に想像を巡らせていた。
 それは、仕方のないことであり、強引に彼女の証言を得るために、無理な記憶の蘇生行為を行うわけにもいかない。本人の同意もなしにすれば、それこそ人権問題だからである。
 だが、そこまでしなければ、凶悪犯は逮捕できないかも知れない。相手が通り魔であったり、何人も殺しているような殺人鬼であったりするならば、そんなことを言っている場合ではないからである。
 そんなことを考えていると、
「仕方なく犯人を取り逃がすことも結構あったんだろうな?」
 と考えたのだった。
 杭瀬は、彼女の無表情な顔を見ても、
「やはり、見たことがない顔だな」
 と感じたのだ。
 昨日の苦痛に歪んだ顔を見比べても、
「これが昨日の彼女と同じ人の表情なのか?」
 と思うほど、別人に思えた。
 それだけ昨日の苦痛に歪んだ顔が異常だったのか、それとも、今の無表情に見える顔が不気味なのか分からなかったが、
「それだけ、両極端だったということではないか」
 と感じたのだった。
 彼女の顔を見ていると、こちらからの質問は、まったくの無駄であることが分かり、それだけに、何を話していいのか分からないと思うと、見舞いに来たことを後悔した。
「俺は何のためにここに来たのだろう?」
 と、最初は何かのつもりだったと思ったことを、忘れてしまっていた。
 確かに、警察の手前もあり、一度顔を見ておくのは心証がいいかも知れないという、よこしまな気持ちがあったことは意識していた。
 ということは、それ以外に何か感じたことがあったということだが、そう簡単に思い出せないということは、それだけ、一瞬の意識だったということが言えるような気がするのだった。
 彼女の顔を見て、今度は自分が苦笑いに近い愛想笑いをしているのだと気づいたが、同じ愛想笑いでも、彼女の場合とは違ったものだということは、分かっていた。
「昨日は助けていただいたとのことで、ありがとうございました」
 と、彼女が頭を下げた。
「あ、いいえ、ご無事で何よりでした」
 と、杭瀬が言ったが、彼女もそれ以上何を話していいのか分からないようで、戸惑っているのが分かった。
 一応、杭瀬は自分の名前くらいは言ったが、敢えてそれ以上のことは口にしなかった。口にすることができなかったと言った方がいいだろう。
 彼女の方とすれば記憶がないのだから、すべて人から聞かされた話、感情が籠っていない言葉など出てくるわけはないのかも知れない。
「先生の方から、けがは大したことはないと言われて、安心しているんですが、何やら刺されたということを警察の方に言われたんですが、記憶にないんですよね。今は自分があ誰なのかということも分からない状態なんですが、先生の話では、いずれ、日常生活の記憶は戻るだろうから、焦ることはありませんと言われたんですが、私もそのことに関しては安心しているところです」
 と言った。
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次