探偵小説のような事件
「それは、逃げようとしたんじゃなくて、後ろからなのではないかと思います」
と杭瀬は自信をもっていった。
「どうしてそう言い切れるんです?」
「彼女は、うつ伏せで向こうを向く形で倒れていましたからね。後ろからでないと、あんな倒れ方はしないと思うんです」
「なるほど」
と、刑事も納得していたのだ。
「ところで、あなたが見たという、その人物。見覚えはありませんか?」
と聞かれた杭瀬は、
「いいえ、ありません。先ほども申しましたが、逆光になっていましたし、顔どころか、性別も分かりかねるくらいでしたからね。でも、あれは女性の可能性も十分にあると思いました。逃げる時の走り方が、少しぎこちなかったからですね。もし、男性だったとすれば、犯人はどこかケガをしていたんじゃないですかね? かなりぎこちなさそうに逃げていきましたから」
と、いうと、
「なるほど、それがあなたの見た印象だったわけですね?」
と刑事に聞かれて、
「ええ、そうです。私がそう感じたということですね」
と杭瀬がいうと、
「分かりました。我々も、杭瀬さんの話を参考に捜査を行ってまいります。また、ご足労願うことになるかも知れませんが、その時はよろしくお願いいたします」
と言って、その日はお開きにあり、若い刑事に、車で杭瀬の部屋の近くまで送らせた。
「今日はご協力ありがどうございました」
「いいえ」
と言って挨拶を終わって、杭瀬は部屋に入っていく。病院に戻ると、先輩刑事が待っていて、
「どうだい? やつの言葉には信憑性はあると思うかい?」
と聞かれた若い刑事は、
「ええ、あると思います。彼にウソをつく理由はなさそうですからね。先輩は何か気になるところがあるんですか?」
「くん、杭瀬氏に関してはそうでもないんだけど、気になるのは、犯人なんだよ」
「どういうことですか?」
「被害者を、狙った犯行だと思うんだよね? 相手は彼女限定なのか、誰でもいいのかは別にして、手にナイフを持っていたということは、最初から、人を刺すつもりで待ち伏せていたわけだよね?」
「ええ、そうだと思いますが」
と、若手刑事は先輩が何を言いたいのかを分かりかねていて、
「そうだとすると、あれだけ傷が浅かったというのが、どうも気になるところなんだ。最初から、殺そうと思っていたのであれば、一気にやるはずだよな? ナイフまで用意しておいて、こんなに浅い傷というのもおかしい気がするんだ」
「でも、犯人が寸でのところで思い誤ったと思ったんじゃないですか? 後悔があったとか」
「それも考えられるんだけど、それ以外に何か理由があるんじゃないかと思ってね」
「危険を犯してまで、殺すつもりのない傷害事件を起こそうとしますかね? 障害だって、十分に前科が尽くし、捕まれば人生が終わってしまうと考える人は多いはずでしょう? あっ、そういうことか、だったら一思いにとか思いますよね。それが先輩には不自然さを感じるわけですね?」
「そういうことだ。それを思うと、彼女を狙ったはいいが、最初から殺すつもりもなく、まるで通り魔か、ストーカあー犯罪か何かだと我々に思い込ませる必要があったんじゃないかな?」
「それじゃあ、何かの事件のカモフラージュだと?」
「それもないとは言えない気がするんだよ。とにかく、何か違和感があるんだよ。今回の事件にはね」
「まるほど、じゃあ、さっきの杭瀬という男は、目撃者か何かに仕立て上げられたか、それとも彼の仲間の一人で、目撃者になることで、これから警察に事情も聴かれるだろうから、その機会に乗じて、警察の考えを知ろうという考えかも知れないですね?」
と、若手が聞くと、
「勘ぐればいくらでも想像できるのだが、どこかからは、明らかな考えすぎにあるはずなんだ。それを見極めて、考えていく必要があるじゃないかな?」
と、先輩刑事は言った。
「やはり、被害者の回復と、杭瀬氏の証言が問題になってくるでしょうね。それと、鑑識からの詳しい報告ですね。ただ、ハッキリと言えるのは、被害者が無事で本当によかったということと、さらにそこから生まれた疑惑が、何かの事件の発端にならないことを期待するしかないということではないでしょうか?」
と、若手刑事は言ったのだ。
一時的な記憶喪失
事件を目撃した杭瀬は、次の日、刺された女性のお見舞いに行った。当日は手術後で、それどことではなかったが、命に別条がないこと、そして、手術もそんなに難しいものではないということ、そして、医者が刑事に対して、明日であれば、状況によっては、少しくらいの時間だったら、事情が聴けると思うというのを話していたこともあって、お見舞いに行こうと思ったのだ。
病院に行くと、昨日は夜だったことと、救急車の中で、外が見えなかったことから、結構遠いところにあるのかと思っていたが、実際に、事件現場から、そんなに遠いところではないということが分かった。
バスでいえば、3つくらいの停留所を通りすぎたくらいのところに、病院があった。ちょうど、いつも降りるバス停から、歩いて10分くらいの事故現場、そして、病院とを結ぶと、直角三角形になるような感じだった。昨日の救急車は、一直線に進んでいるようには見えなかったので、きっと、大通りを進んだのだろう。時間が掛かったように感じたのは、そのせいだったのかも知れない。
事件翌日は、ちょうど、昼から休みの半休状態にしておいたので、昼一番で病院にやってきた。刑事が詰めているかと思ったが、その場にはいなかったので、
「午前中で事情聴取は終わったのかな?」
と思ったが、とりあえず、ナースステーションに行ってみると、
「個室に移りました」
ということであった。
号数だけを教えてもらったのだが、さすがに看護婦は、不審な目で見ていたが、それでも、
「昨日の救急車で、一緒に乗ってきたものです」
というと、ナースステーションの奥にいる人が昨夜のことを覚えていて、
「ああ、昨夜の方ですね?」
ということで、やっと変な誤解が解けて、部屋に晴れて案内してもらえることになった。
ちょうど看護婦さんも、
「体温を測る時間なので、ちょっと確認に行く必要があるので、ご一緒しましょう」
と言ってくれたので、一人で行くよりも何ぼかか安心であった。
まさかとは思うが、自分が犯人で、隙をついて、殺そうなどという、まるで推理小説のようなことを考えているとは思えないが、昨日の事件の被害者に、いくら付き添いで来た人間だからと言って、二人にするわけにはいかないだろう。
それを思うと、ここの看護婦はちゃんとしていることがよく分かった。
部屋に行くまでに、
「あの方は、面会しても大丈夫なんですか?」
と、とりあえず聞いてみると、
「ええ、普通にされていますよ。まだ頭がボーっとしているようで、事件のことも、ほとんど覚えていないらしいんです。少なくとも、自分が刺されたという意識はないようで、傷口が痛いのはどうしてなのか? あるいは、どうして入院しているのかということを、ハッキリと分かっていないようです」
と看護婦は言った。
「記憶喪失なんですか?」
と杭瀬が聞くと、
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次