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探偵小説のような事件

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「警察は何をしているんだ。被害者が可哀そうだ。ストーカーなんて卑劣な犯罪をしたやつを、死刑にでもすればいい」
 と感じた。
 しかし、その反面では、自分だってストーカー行為をしかねないと思っている。そして実行すれば、必ず嫌われるか警察に通報されるか何かして、自分の立場は地に落ちてしまう。
 そうなると相手を逆恨みして……。
 と考えると、今度は、ストーカーの犯人の立場になって考えてしまう。
 そして、その気持ちが、分からないわけではないと思うと、
「俺っていったいどっちの味方なんだ?」
 と、ジレンマに陥ってしまう。
 そのジレンマがトラウマになって記憶に残ったというわけだ。
 その頃の自分が、
「二重人格ではないか?」
 と絶えず思っていた。
 そう思うきっかけになったのが、この事件だったのではないかと思ったが、二重人格であっても、共通した性格としては。
「勧善懲悪」
 という感覚があったのだ。
 ストーカーに走ってしまいそうな時に陥ったとしても、頭の中から、
「勧善懲悪」
 が消えてしまうわけではない。
 その時に自分を、
「悪ではない」
 と感じることで、それを言い訳にして、正当化しようとしている自分がいて、その自分がトラウマを作ってしまうのではないだろうか。
 それだけ、自分の中で生まれたトラウマというのは、元をただせば、勧善懲悪というものが影響しているのであり、それが苦しみの元凶であると感じると、いつの間にか、自分がまわりの人を避けているかのような感覚になるのを感じたのだった。
 そんなことを考えていると。
「俺って、将来、何かの犯罪を犯す人間になるのではないか?」
 と感じている自分が怖くなった。
 怖くなったというのは、勧善懲悪な自分が、そのことを意識しているからではないかと感じているからだったのだ。

                 殺人未遂事件の目撃者

 令和3年の2月の寒い日、夜のとばりの降りた時間帯。杭瀬は、
「このあたりで、20年前にストーカー殺人があったんだよな。もう誰も意識をしている人なんかいないだろうな」
 と思っていた。
 あれだけ社会問題になったはずなのに、騒がれたのは、2か月くらいだった。それまでは、テレビの取材などで、連日マスゴミが訪れたりしていたが、一気にその熱も冷めてしまった。
「人のうわさも75日」
 と言われるが、75日というと、ちょうど2か月半というところか。
 それを思うと、2か月騒がれたのも、それだけ反響が大きかったということか。
 それから1年くらいは誰かが事件現場に花やお供え物をしていたようだが、それもなくなり、1年以上経ってしまうと、そこで事件があったということすら覚えている人はいないのではないかと感じるほどだった。
 さすがにトラウマが残った杭瀬であったが、それも、この1年くらい、尾を引いたという程度で、それ以降は、たまに思い出す程度だったのだ。
 高校生になって、大学受験を考え始めると、頭の中はいい意味で、リセットされた気がしたのだ。
 さすがに20年も経つと、あの時の犯人も出所しているだろうし、どこで何をしているのか分かったものではない。また犯罪を繰り返し、
「ムショとシャバを行ったり来たりしているのではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 たまに思い出すのは、この20年という時間を感じるというよりも、自分が昔を思い出す時に、頭を掠めることがある。そんな過去を思い出す時に限って、なぜかこの場所が多いというのは、消えたつもりでも、意識としてトラウマが残っているからではないかと思うのだった。
 そんな事件を思い出したのか、これは、最近のことだったが、
「前にも、ここと似たような場所に行ったことがあったような気がするな」
 と感じたからだった。
 それは、社会人になってからのことなので、ここ10年以内のことであっただろう。もちろん、まったく同じというわけではなく、雰囲気として似ているところ。つまりは、真っ暗な通りで、横の塀が思ったよりも高くて、その間には、店もなければ、窓もついていない。まるで、大きな西洋の城の高い壁に挟まれたような場所だった。
 街灯も申し訳程度にしかついていない。今は、街灯もだいぶ明るくなったようだが、こんな気持ち悪いところを歩いていて、街灯だけだと、足元を見た時、その足元から放射線状になった自分の影が、三つくらい、自分の足を中心に細長く放射線状に伸びているのだった。
 そんなところを歩いていた時、あの時は、この場所を思い出したはずなのだが、この場所で、かつて似たところを通ったはずのその場所を思い出そうとした時、正確な日にちや、どこだったのかということを思い出せないのだった。
 しかも、それを思い出すのは定期的にであり、2か月に一度くらいの割合で思い出しているような気がする。最初はそこまで意識しなかったが、途中から定期的に思い出すのが気持ち悪くなって、思い出した日を手帳に記入するようにしていた。
 すると、定期的に、ほぼ2か月に一度くらいの割合だったのだ。
 1か月以内だと頻繁に感じるだろうし、半年に一度くらいでは、たまに思い出すという意識になるのだろうが、2か月というと実に中途半端な気がして、定期的に思い出すというのが2か月くらいだということが分かれば、中途半端な期間でも、定期的にという意識になるのだということを感じるのだった。
 それと、思い出す時のキーワードが、
「足元から3本伸びる放射状に広がった影」
 であった。
 それを感じた時、いつも、
「以前にも見たことがあるような」
 という風に思うのだが、それは逆にいうと、
「2か月に一度くらい、足元に伸びる影を意識してしまう」
 ということを意味しているのだった。
 その日は、
「ちょうど、その2か月に一度の日なのかな?」
 と思って手帳を見てみると、以前がちょうど年末くらいだったので、ちょうど、感覚に間違いはなかった。
「そうだな、確かに気忙しい感覚を覚えた時だった。街中のクリスマスの雰囲気から一転したことで、余計に、寂しさがこみあげてきたのかも知れない」
 と思ったような気がしていた。
 夏の間は、日が長いこともあって、ここを通る時は、夜のとばりの降りていない時が多い。それでも、たまに8月などの繁忙期で遅くなった時、足元が気になってしまうのか。冬に比べて数少ない光景に、意識が思い出させようという潜在意識になるのかも知れない。
 冬ともなると、ほとんど毎日、夜のとばりの降りた時間帯にしか通らない。真っ暗なことには慣れているので、誰もいなくても、怖くはない感覚だった。
 このあたりはバス停の近くの住宅街を通り越し、さらに奥に入ったところなので、それも仕方がないだろう。
 このあたりに部屋を借りたのは、なんと言っても家賃が安いということが最大の魅力で、バス停から少し時間はかかるが、別に気になるほどではなかったのだ。
 ただ、ここを借りる時、この道をまったく意識していなかったのだが、なぜ意識をすることがなかったのか、自分でもその理由が分からない。
「どうしてだったのだろう?」
 と思ってみたが、
「無意識だったんだろうな」
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次