探偵小説のような事件
あれだけ一撃で殺傷能力のあるだけの力があるのだから、当然相手が致命傷を負っているのは分かっているだろうに、なぜ後から申し訳程度と言ってもいいほどの傷をつける必要があったのか? 何か一撃で殺せるだけの人間が犯人ではないということを言いたかったのか。どちらにしても、その部分は疑問だったのだ。
だが、ここで疑問が残ってくる。それは、
「致命傷になった傷が、本当に最初の一撃だったのか?」
ということである。
なぜかというと、被害者の身体にはナイフが刺さっていた。その傷口が致命傷であり、他の傷がついているということは、他の傷をつけた後で、もう一度致命傷の傷口にナイフを突き立てたということか?
それは考えにくい。致命傷が最初の一撃だったということは解剖結果から見ても分かることだった。
だとすると、他の傷をつけるためにナイフを一度引き抜いたとすれば、まわりに血が散乱しているはずである。返り血も浴びただろうし、あたりが惨状になっていていいはずだ。
その証拠に、警察も最初に現場を見た時、
「ナイフで刺されているのに、殺人現場はきれいなものだ。大惨劇になっていても仕方のないことなのに」
と思うと、案の定、身体にナイフが刺さっていたことで、納得のいくことだったのだ。
それなのに、身体に余計な刺し傷があることで、さらに分からなくなった。
「犯人は一体、どのようにして、被害者を刺したのだろう?」
という疑問が残ったのだ。
ちなみに、ナイフには余計な指紋はついていなかった。本来ならついているはずのナイフを買ったのだから、店員さんの指紋がついていてもいいだろう。
ということは、犯人が一度はナイフの指紋を拭き取ったということだろう。
今回の犯罪では犯人は手袋でもしていたであろうから、それも当然だ。そういう意味では、していた手袋に血がついているかも知れない。犯人がいまだに持っているかどうか分からないが、犯人の性格から、まだ持っているような気がしていた刑事も多かった。
今度の事件で、捜査していく中で分かったこととして、まずは、被害者の身元だった。
これに関してはいきなりすぐに分かった。なぜなら、被害者のカバンの中から、定期券も、運転免許証も、健康保険証も出てきたからだった。
これは、第一の犯罪との一番の違いだったと言ってもいいだろう。
被害者の名前は、斎藤優美という。彼女の家は、ちょうど、殺害された日にイベントをやっていた会場の近くで、都心部に会社があることで、杭瀬の降りるバス停と同じところで降りてから帰宅することで、彼女もそこを通勤路にしていることから、あそこに彼女がいたことは、不自然でもなんでもないことだったのだ。
ただ、杭瀬と出会わなかったのは、杭瀬がいつも同じバスに乗るのと同じで、彼女も毎日同じバスだった。しかも、一台前のバスということで、一台違いというだけで、これほど二人が遠い存在だったというのも、それだけ二人が律義な性格だったということだろう。
しかも、仕事はそんなに忙しいわけではなく、二人とも会社を定時に終わって事務所を出れば、乗車するバスは、このバスになるのは自然なことだといえるほどだったに違いない。
二人の間に存在するのは、
「交わることのない平行線」
だったのだ。
もし、どちらかのバランスが崩れて、一度くらい出会うことになっていれば、杭瀬は憶えていかかも知れない。それくらい殺された女性は特徴的で、杭瀬にとって、好みの女性だっただろう。
そう思うと、この間の被害者である記憶を失った女も、同じように、ニアミスをしていたのかも知れない。
前のバスということは、殺された優美という女とは毎日のように会っていたのかも知れないと思うと、感慨深いところがあると言ってもいいだろう。
そのことについては、警察も考えていた。
捜査員を派遣し、いつも杭瀬が乗るバスの一本前に乗って、聞き込みを開始していた。
被害者の写真と、記憶喪失の女性の写真を、乗客に見せて、
「この二人をご存じですか?」
と聞いて回っていたのだ。
中には、二人とも覚えている人もいたこと、そして、二人が時々話をしていたことなどから、
「二人は知り合いなのではないか?」
という話を複数聞くことができた。
ただ、同じ会社ではなさそうだということと、昔の話を時々することから、二人が学生時代から知り合いだった可能性もあるというのを、匂わせたのだ。
そう思った刑事は、被害者の写真を持って、記憶喪失の女性のところに話を聞きに来た。もちろん、記憶喪失の相手ではあるが、病気だということもあり、
「被害者が殺された」
ということは言わなかった。
ただ、
「この女性なんだけど、見覚えあるかな?」
と聞いたが、分からないというだけだった。
だが、この質問は却って彼女の中に疑惑を芽生えさせたようで、
「どうして、彼女の写真なんですか? もし、私が知っているかも知れないと思う女性だったら、直接連れてくるんじゃないのかって思ったんだけど」
と、彼女は相変わらずの高飛車であった。
相手が警察であっても、容赦のないところが、彼女の潔さを思わせて、それは記憶喪失という特殊な状態から来るものだというよりも、彼女の持って生まれた性格なのではないかと思えたのだった。
刑事も、捜査や相手の感情を読んだり、性格を考えたりするのは、職業柄、得意であった。
「彼女は、記憶喪失でなくとも、あまりウソをいうタイプではないんだろうな? ただ、記憶を失っていても、自分の中で絶対に譲れない結界のようなものがあって、その覚悟を彼女の中で全うしているのかも知れない」
と、刑事は考えた。
ただ、彼女は文句は言ったものの、すぐに、
「覚えていないですね」
と一言言った。
警察のやり方に疑問を感じながら、ウソが言えない性格である彼女の、実に彼女らしいところだと言ってもいいのだろう。
刑事は、当然医者に彼女の記憶について再度訊ねてみた。
「本当にまだ記憶が戻っていないんですか?」
と、少し焦っているのか、切羽詰まって聞いてみた。
刑事からすれば、それはそうだろう。一度事件が起こっておきながら、最初は未遂で済んだのに、今度は別の人が殺されてしまった。もし、これが通り魔のような連続犯であったとすれば、確実に警察の落ち度である。
問題は、この事件が連続事件だったという大前提のもとに、犯人を見た場合、この犯人がただ、異常性癖のようなもので、殺意などなく、ただ女性を傷つけるだけで快楽を覚えるような人である可能性と、本当に凶悪犯で、最初の彼女に対しては、何か予期せぬ出来事があって、殺すまでには至らなかったなどという場合である。
もし、凶悪犯だとすれば、最初の事件で、被害者を殺さなかったのは、何か理由があるのかも知れないということであった。
たとえば、ナイフで刺そうと思って、一度刺したが、致命傷に至らず、そのまま倒れこんで、どこかで頭でも打ったかの知れないというパターンである。そうであれば、犯人はその時、彼女が死んだと思い、それ以上はしなかったとも考えられるし、記憶を失ってしまったのは、その時のショックが原因かも知れないというものだった。
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次