探偵小説のような事件
逃げ水は、自分の頭で描いた発想がら生まれた結果として出てきたものだ。それを覚えているということは、夢の最後の記憶があるのだろうということだった。逃げ水を覚えているというのは、途中までの覚えていない内容から作り上げられた結果だということを、意識が覚えているからであろう。そういう意味では、
「夢には時系列は、存在しないものだ」
と考えていたが、実はそうでもないのかも知れない。
物理的な発想と、論理的な発想が組み合わさって夢ができているとすれば、物理的なものは、記憶の羅列であり、論理的なものは、そこから時系列に沿って、作り上げられたものだ。
物理的な記憶が夢だとするならば、論理的な記憶が現実だといえるだろう。
「現実だからと言って、すべてがリアルというわけではない。リアルだと感じるのは。それだけ、理路整然としたものを、現実だと思いたいという発想から来ているのではないだろうか?」
そう考えると。今朝見た夢は、先日お見舞いに行った彼女のことと、その彼女が記憶を失くしているということから来るものではないかと思えるのだった。
その日は、例の事件が起こってから、そろそろ一週間が経とうとしていた日だったのだ。
金曜日の週末といっても、誰かと飲みに行ったり、食事をしたりということはない。だいぶ収まってきたとはいえ、まだまだ伝染病がゼロになったわけではない。マスクをするのも日常茶飯事。街を歩いていても、誰もが怪しい人間のようではないか。
すでにマスクが日常化してしまうと、今ではマスクをしていない方が気持ち悪い。
実際に、波が落ち着いて、一度マスク着用が緩和された時、会社の人は、
「マスクをしていないと違和感がある」
と言っていた。
「どうしてですか?」
と聞いてみると、
「今までマスクをしていたせいで、急にマスクをしないで済むようになると、街をマスクなしで歩くというのは、まるで裸で表を歩いているような気がする」
という感覚になってしまったというのである。
確かにそうかも知れない。
自分も、以前、マスクをせずに表に出ようとして、
「何か違和感がある。何か下着をつけていないような気持ち悪さだ」
と思った時、
「あ、そうか。口が寂しいんだ」
と思わず口にしたが、
「これって、タバコを吸っていた人間が急に吸うのをやめた時の発言ではないか?」
と感じたのと同じではないか。
ヘビースモーカーがタバコをやめた時、昔は、禁煙するために、パイプのようなものを、口に入れていたという。噛みタバコというのが昔はあったというが、人に迷惑をかけないように、煙の出ないたばこということである。
「今でいう電子タバコのようなものであろうか?」
と感じたのだが、その人がいうには、
「電子タバコというのは、実際に煙が出ないだけで、臭いは結構強いものだ」
という話であった。
だから、今の受動喫煙防止法の中で、電子タバコなら吸ってもいいという喫茶店があるのであれば、副流煙の観点からも、決して同席してはならないと言ってもいいだろう。
いくら電子タバコであっても、換気が十分な、喫煙室で吸うべきである。喫煙ルームであっても、換気が悪ければ、密室だけに、相当ひどい状態の中で、タバコを吸っているのと同じことである。
「それならまだ表で吸っている方がいいくらいだ」
とは言いながら、表で吸うと、それこそ本末転倒である。
「しょせんは、あの政府が考えることだ」
と言ってしまえばそれまでだが、結果、
「後手後手にしか回ることができない政府らしい」
ということである。
その日、会社からの帰り道、いつもの道を帰宅していた。先日の刺傷事件があったにも関わらず、最初に1,2日間くらいは、何となく気持ち悪さがあったが、数日経つと、気持ち悪いという感覚もなくなり、今では、
「そんなことがあったなんて」
と思うほど、考え事でもしながら歩いているだけで、忘れてしまっている自分がいることにビックリしていた。
その日も、仕事のことを考えながら歩いていたので、気が付けば、事故現場の近くを歩いていても、意識はしていなかったのだ。
この感覚というのは、実に不思議なものである。
考え事をしている時も、目の前に事故があった場所だということを分かっているはずなのに、平気でいられるのだ。
おいしいものが目の前にあれば、いくら違うことを考えていたとしても、お腹が減ってきてしまうのと同じ状況なのに、実際にはまったく違う結果や反応を起こしてしまうのである。
それを思うと、
「何が違うのか?」
と感じるのだが、そこにあるのは、
「意識の捉え方」
ではないかと感じるのだ。
つまり、意識には2種類あると言われている。もちろん、大きく分けてのことであるが、そのうちの一つは、
「顕在意識」
というものである。
顕在意識というのは、表面に出てきた意識のことであり、論理的な思考・理性・知性・意思・決断力のことだと言ってもいいだろう。
考えたことを判断し、決断することを行う意識が、顕在意識である。
また、もう一つは、
「潜在意識」
と言われるもので、無意識と言い換えることもできるだろう。
基本的に、
「人間の中に潜在している能力を引き出す力」
というものを持っている意識だと言ってもいいかも知れない。
いわゆる、
「超能力」
というものを引き出すのだ。
人間の脳は、一部しか使っていないという。残りの部分は、潜んでいる能力。つまり、
「潜在能力」として、誰もが持っているが、それを使いこなす術を持っている人が、少ないので、
「超能力」
という表現で、あたかも、能力自体を持っている人間が希少価値だということになるのは、そもそも考え方が違っているということであろう。
潜在能力と、それを引き出す意識としての潜在意識と、本能では、
「同じものではないか?」
ということであるが、そこは違う。
本能というのは、生まれつき持っているものを、ある行動に駆り立てるものだということであり、潜在意識というのは、あくまでも無意識なので、無意識であっても、意識であることには変わりがないので、本能とは別のものではないかということである。
つまりは見えているものであるにも関わらず、意識していないように感じさせるということなので、潜在意識のなせる業。つまり、夢と同じようなものではないかということで、一種の、
「目が覚めた状態で見る夢」
というのと同じことではないかと考えられる。
おいしいものが目の前にあり、それをおいしいと反応するのは、あくまでも、条件反射であり、条件反射は、意識的に行動するものではなく、先天性のものではない、後天性のものという意味での、
「無意識の行動」
という意味で、これも潜在意識の一つである。
夢などの潜在意識のなせる業とは、また違った意味での無意識の意識であり、
「夢は、超能力のような潜在能力の一つだといえるのではないか?」
と少し難しくはあるが、考えられることの一つではないだろうか?
家路を急いでいると、途中から、いつもと雰囲気が違うのを感じた。例の数日前に杭瀬が目撃した、刺傷事件のあの場所に、人が群がっていたのだ。
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次