探偵小説のような事件
杭瀬は、とりあえずありきたりなことしか話せないと思った。少なくとも、記憶についてのこと、昨日の事件の話。それにかかわるような話はできないだろう。
しかも、まったく知らない相手、きっかけもなければ、内容を考える頭もない。どうすればいいのか。この時初めて深い後悔をしたのであった。
「一体、何を話せばいいのか、実際に困っちゃいますよね?」
と、杭瀬が口を開くと、彼女の方は、
「私、記憶が曖昧な感じで、自分が誰だかということも、今の段階では思い出せないんです。先生は、自分のこととかは、すぐに思い出すだろうと言ってくれたので、本当は私のことを知っている人が来てくれるのが一番ありがたかったんですが、どうやら、杭瀬さんは、私のことをご存じないようですね?」
というのだった。
杭瀬の方もまさか、彼女が混乱しているはずの頭で、
「よくここまでの思考を巡らせることができるものか?」
と感じたが、確かに頭の中がどうなっているのか分からないが、空白の状態であれば、思考を巡らせるだけの余地は十分にあると言っても過言ではないだろう。
そんな状態で、ここまで冷静になれるということは、普段から冷静に考える力のある人だろう。天真爛漫というよりも、知性的なタイプの女性なのかも知れない。
なるほどそう思ってみると、彼女は知性的なタイプにどんどん見えてくるから不思議であり、
「ひょっとすると、この場のマウントは、彼女に握られてしまうかも知れない」
と感じた。
いつもの杭瀬であれば、知らない人同士であれば、自分がマウントを取りたいと思うのだが、今回だけは、
「相手に取らせてもいい」
と感じたのは、相手が記憶を失っているという、特殊な状態にあるからなのかも知れない。
杭瀬は彼女の質問に対して、
「ええ、私はあなたのことを知りません。だから、お見舞いに来ても、記憶を失っていると伺ったので、何をどう話していいのか分からないんですよ。あなたが自分のことを知りたいから、自分を知っている人がいいと思うのは分かりますが、私はあなたのことを知らない。申し訳ないとしか言いようがないですね」
というと、
「そうですか。それは残念ですね」
というではないか。
正直、少し杭瀬はムッときていた。
「自分は、あなたを助けてあげただけなのに、それなのに、昨日は警察への話などで時間を取らされて、今日は今日で、気に合ったからと、見舞いにも着てやっているのに、何、自分のことばかり言ってやがるんだ」
と、心の中で叫んだ。
「なるほど、このような自己中心的な考え方しか持っていないような女は、人に狙われるのも分かる気がする」
と言いたいくらいだった。
それとも記憶喪失の女は、自分が分からないというような、暗黒の世界にいるかのようで、自己中になったとしても、それは無理もないことなのだろうか?
杭瀬はいろいろ考えてみたが、分からなかった。
それこそ、先生に聞いてみたいと思うほどで、先生というのは、どれほど、記憶喪失の人のことが分かるのか、それも疑問であった。
そもそも、記憶喪失状態というのは、どういう感じなのだろうか?
記憶を失ってしまったとしても、自分が分からないということや、その派生によって不安に感じてしまうのは、無理もないことだろうが、思考能力に関してはどうなのだろう? 衰えてしまうのか、それとも、自覚という意識がないことで、思考能力の羽ばたく余地が大きいというものなのか、実に疑問である。
記憶が薄れるということは、
「自分が誰だか分からない」
という一つの大きな問題が、寂しさを呼ぶことで、果てしない恐怖が巻き起こってくるのではないだろうか?
それを考えると、
「自分のことが分からない」
というだけで、どれだけの大きな穴が開いてしまうのか、想像がつかないからだ。
「ひょっとすると、我々が考えている大きさの頭の範囲よりもさらに大きな穴が開いているのかも知れない」
と思う。
それは頭という空間と、思考する空間では、思考する空間がまるで仮想世界、つまりバーチャルのようなものであり、孤独や恐怖などという感情の空間とでは、まったく違う場所なのかも知れない。
というよりも、自分たちが頭と単純に呼んでいる空間は、本当に存在しているのだろうか?
それを考えると、
「考えたり感じたりという空間が別々に存在していても、しかも、仮想空間であっても、ありではないか?」
という発想が生まれるのも無理のないことである。
そう考えると、
彼女の中の記憶喪失というのは、どの部分が欠落しているのかが難しいところである。
考えるということや、感じるということは、脳波というものの振動が関係があるのだとすれば、五感だって、振動に関係することもあるだろう。
例えば音だって、音波と呼ばれるものの振動によって感じることができるのであるし、見るものだって、光の波形によって、色が分かったり形が分かったりするものではないだろうか?
感じることが波動によるものであるとすると、考えるということも、波動ではないか、それを脳波だということであれば、今度は、感じるための波動と、脳波とは、同じ種類のものなのか? ということも問題になってくるのではないだろうか。
電波、音波、脳波、波にもいろいろある。今のところ、そのどれもが人間に影響を及ぼすものであるのは間違いない。電磁波などというものは、脳波に影響を与え、
「あまり、電磁波を感じないように生活しないといけない」
などということが言われていたのも懐かしいことである。
ブラウン管だった時代のモニターだったり、パソコンの近くなどには電磁波がたくさんあるから、仕事をする時も休憩を入れないといけなかったりしたものだ。
今はあまり言わなくなったが、以前、携帯電話が普及し始めた頃、
「病院内では、携帯電話の電源は切っておかなければならない」
と言われていたものだ。
それは別に通話だけに限ったことではない。
「携帯電話の電磁波が、医療機器に誤作動を及ぼし、人工呼吸器であったり、生命維持装置などの誤作動があってしまうと、人の死に関わる重大なことになってしまう」
と言われたものだった。
記憶というのも、脳波の中で、永遠に連結するものとして、継続する形で受け継がれているものだ。
決して消えることはなく、意識の中で、四次元としての時間軸が存在することで、領域が無限ではないといけない、仮想空間が存在していないといけないということなのかも知れない。
今の時代では、
「クラウド」
などと言って、仮想の領域に存在する無限の空間を、記憶は人間一人一人に与えているものなのだろう。
夢まぼろしと、逃げ水
そんな記憶喪失の相手が、どのような発想になるのかということがよく分かっていないのだが、とりあえず、今回は、
「不本意ながら」
相手にマウントを取らせてしまっていた。
相手は普段であれば、すぐに相手にするのをやめてしまいたくなるような、高飛車な態度を取ってくる。
だからと言って、ここで相手に対して怒りをぶつけても、その結果としては、自分が不利になるだけである。
作品名:探偵小説のような事件 作家名:森本晃次