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謎は永遠に謎のまま

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 だが、それでよかった。
「きっと、飯塚も曖昧な時間を貴重だと思ってくれているに違いない」
 と勝手に思っているが、この勝手な思い込みこそ、曖昧な考え方に違いないと思うのだった。
 そもそも、夢というのが曖昧なものだといえるからだろう。
 夢というものは、潜在意識が見せるものだというが、夢を見ていて、その続きを見ることができないことから、その言葉を納得できる気がしたのだ。
 潜在意識というのは、言い換えれば、
「無意識」
 と言ってもいいだろう。
 自分の中に潜在しているものなので、潜んでいる存在、一見、矛盾しているように思う感覚。それが潜在意識なのではないだろうか。
 潜在する意識とは、実際に感じている顕在意識とは違い、拡張性のあるものだと考えられる。
「曖昧さゆえに、そこから生まれる膨らみというものをいかに感じるか?」
 というのが、自分だけが感じる、夢という感覚なのではないかと思う。
 潜在意識という意味で、
「超能力」
 と言われるものも、その一つではないだろうか?
 予知夢のように、予知能力のような超能力との共通点だってあるわけだ。それを思うと、夢も超能力の一つなのかも知れないと思われる。
 そうなると、夢では普通は怒りえないというようなことも、実は起こっているのではないかと思えてきた。
 たとえば、
「夢の共有」
 などという考えもそうである。
 自分の夢には、登場人物がいるだろう。友達だったり、家族だったり、親友だったり、恋人だったりである。
 そんな人が夢に出てきた時、目が覚めても覚えている夢であれば、
「夢というのを、共有しているのではにあか?」
 と考えることがある。
 自分が見ているのと同じ夢を、相手も見ているという意味での共有であるが、それがリアルタイム。つまり、まったく同じ時間である必要はないと思っている。もちろん、お互いに夢なのだから、夢の共有を信じていない時点で、同じ時間に見た夢だということを意識できるはずもない。ひょっとすると、日にちだってずれているかも知れない。それを果たして、
「夢の共有」
 と言ってもいいのか、疑問ではないだろうか。
 しかも、
「夢というのは、目が覚める数秒で見るものだ」
 と言われている。
 確かにどんなに長い夢を見ていたとしても、夢から覚めるにしたがって、意識が現実に移り変わっていくうちに、夢の時間が曖昧になってくる。まるで、厚みがあったものが、どんどん萎んでいき、気が付けば平面のように、べったり背中がくっついているかのような感覚になっているのだ。
 それを思うと、
「夢というのは二次元ではないか?」
 と考えてしまうのだ。
 つまり、
「次元を調節するのが、夢だとすると、時間の感覚がマヒしてしまう四次元のような発想と、平面に変わるという二次元の発想が一つの夢で繰り広げられるということになり、その感覚はまるで、四次元から二次元に、三次元という現実を通りこしてしまうことではないか?」
 と思うのだ。
 つまり、四次元も二次元もどちらも夢だと考えるのだとすれば、二次元と四次元という空想の世界を形作る夢というものがあり、
「三次元の世界を現実だとすれば、それ以外の夢の世界や死後の世界などの別の世界は、すべて、次元の違うものではないか?」
 と言えるのだと考えていた。
 それも、最初に考えたことが、どんどん拡張していくことで成り立っているものだ。そう考えると、元に発想が戻ってきて、そこで生まれる発想は、
「曖昧さが拡張し。拡張を夢だと考えるのだとすると、三次元以外の異次元は、夢のような曖昧なものとして発想がスパイラルになっているということではないか?」
 というものであった。
 結局また元に戻る発想は、決して輪ではなく、螺旋階段のようなスパイラルではないかということであった。
 そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようだ。
 その時に思いついたのが、笑い話のようで滑稽なのだが、それが、
「夢を見ている夢」
 だったのだ。
 何が滑稽だったのかというと、これは昔見たギャグマンガだったが、
「主人公が、眠れないと言って不眠症になっている夢だったのだが、その夢を突き詰めてみると、眠れないという、不眠症の夢だったというオチ」
 だった。
 夢というのが、曖昧で、異次元の発想だということを、裏付けているようで、その感覚が勝手な妄想を思い巡らせているかのようだったのだ。
 その日は、夢を見たという感覚はなかったが、ひょっとすると、夜話をしていたのが、そもそも夢だったのかも知れない。
 二人ともまったく同じ夢を見ていて、夢を共有しているのだとすれば、夢の中で夢を見ることと同じくらいに不思議のないことに思えてくることが不思議だったのだ。
 その日、目が覚めてから、身体が起き上がるまでに結構時間が掛かったような気がする。身体の節々に痛みを感じ、まるで風邪でも引いたのかなと思うほどであったが、暖房が入っていて暖かいはずの部屋に、スーッと隙間風が入ってくるようで、そのおかげか、痛かった身体をほぐしてくれたような気がした。
 ほぐされたことが分かると、また暖かさを感じるようになり、身体がポカポカしてくるのを思うと、今度は、ゆっくりと起き上がると楽に起き上がれるという簡単なことを思い出せた気がした。
「加減乗除は得意なはずなのに」
 と感じるのだが、まさにその通りだったのだ。
 顔を洗って、朝食を食べた。
 昨夜は遅くまで話をしていたこともあって、もう時計は、11時近くになっていた。午前中を完全に潰した形になったが、実際には、日付が変わってから、3時間以上も起きていたのだから、12時就寝だと思うと、今は、まだ8時過ぎという計算になる。休みの日の起床とすれば、ちょうどいい時間ではないだろうか。
 朝食の時間があっという間だった。
「気が付けば、食べていた」
 というのは、まだ少し頭が眠っていたからなのかも知れない。
 意識として感じるのは、過ぎ去った時間が、すべて同じ時間としての距離に感じる。すべてが、壁に塗り込まれたように、横に時系列として続いているはずのことが、同じ時間の壁として、縦並びに並んでいるのを感じたのだ。
 その感覚を飯塚に話すと、笑いが止まらない感覚になっていた。
 彼の特徴は、本当に可笑しいと思うことがあった時、笑いのために、感情を抑えることができなくなり、笑うことが苦しいくらいになるのだった。
「まるで聖徳太子みたいだな」
 という。
 聖徳太子というと、
「一時に、十人の人間が話していることを理解することができる」
 という逸話が残っている人だ。
 たぶん、そんな話を知っている人は今は少ないのではないかと思うが、少なくとも自分たち二人は知っているのだ。それだけ希少価値な人間がこんな田舎で一晩一緒にいたというのが奇跡な気がしていて、それを思うと思わず噴き出したくなったのだろう。
 ただ、彼の笑いの意味はそれだけではなく、
「そもそも、聖徳太子って、今は呼ばないからな。学校では、厩戸王というらしいんだ」
 というではないか。
作品名:謎は永遠に謎のまま 作家名:森本晃次