謎は永遠に謎のまま
飯塚がどうして競争心が旺盛なのかの原因までは分からないが、きっと二人が仲良くなった原因の一つに、この、
「自分がトップでなければ気が済まない」
というところがあるからではないだろうか。
だが、幸いなことに、二人が一つのことを一緒に好きになるということはあまりなかった。だから、競争をしたという意識は、川北にはなかった。飯塚がそうなのか、分からなかったのではあるが。
川北は、電車に乗る時など、毎日のように乗る路線では、どの位置に乗れば、改札に一番近いのかということを知っているので、いつもそこに乗るようにしている。もし、座っていたとしても、駅に到着するだいぶ前から立ち上がって、扉の前で一番に飛び出せるようにしていた。
そして、扉が開けば、あとは改札までダッシュである。他にダッシュする人がいれば、そいつには絶対に負けないようにして一番を目指すのだ。これは、中学生くらいの頃から初めて、すぐに日課となり、違和感がなくなった。
今では当たり前のようにしている。
もっとも今では、伝染病のせいで、密になってはいけないということで、これも当然のことである。今の時代にあっても、走らずに、たくさんの人と一緒に改札を抜けてくる連中の気が知れないと思うのだった。
その走ってくる光景はさながら、関西で行われる戎神社大祭の、
「福男レース」
を思わせる。
関西にある、ある戎神社では、
「正門から駆け出して、神社の境内までの距離をダッシュして、最初にゴールした上位三人を福男とする」
という、いわゆる、
「開門神事福男選び」
という行事が毎年十日えびすの1月10日に行われるのであった。
その距離は230メートルということなので、その間には、直角に曲がるところなどもあり、滑ってひっくり返る人も続出するという。
そんな神社を走り抜ける様を、子供の頃は、
「一体何をやっているんだろう?」
と思って見ていたが、自分が目的は違うがやっているのを思うと、何ともむず痒い気持ちになるのだった。
そんな川北なので、自分ではそうは思っていなかったとしても、わんこそばのようなものがあれば、知らず知らずに気合が入ってしまって、急いで食べようと競争心をむき出しにするに違いない。
そうなると、夕飯に影響してしまうのは必至。
「あの時、よく思いとどまったな」
と、思ったほどだった。
大げさかも知れないが、
「虫の知らせ」
というものがあったのではないかと思うのは、無理もないことではないだろうか。
せっかく提案してくれた飯塚には悪い気がしたが、今の状態を考えると、結果的によかったと思ってくれるだろう。逆に、
「これでよかったんだ」
と思ってくれるに違いない。
飯塚という男は、そういう男なのであった。
川北は、目の前の食事を目を輝かせながら、舌鼓を打つのだった。
その日の夜は、酒を飲みながら、大学時代の話に花を咲かせた。お互いに、田舎から出てきて、最初のうちは、
「友達を作ればいいんだ」
と思っていたが、なかなか声も掛けられず、皆が簡単に仲良くなっていくのを見ると、次第に焦ってきたりしたものだった。
そのせいで、そんな自分が次第に孤立してくることを感じ、そのうちに、
「どうして東京の学校なんか選んだんだ?」
と思うようになった。
田舎の大学だってよかったではないか。ひょっとすると、少しでも、自分を変えたいという思いが強かったのかも知れないと思うと、その時の自分の体たらくが、最初の思いとのあまりにも違いに、恥ずかしくなってきたのであった。
それを思うと、もうすでに、自分のまわりには誰もいなくなってしまったのだと、川北は感じていた。
しかし、まったく同じようなことを感じているやつが、自分の近くにいたことに気づかなかった。本当に目の前にいたはずなのに、そんなことにも気づかなかった自分が情けないと思うのだった。
「そんな時、偶然だとはいえ、まさか、君と近くの博物館で出会うことになるなんて思ってもみなかったよな」
と川北がいうと、
「ああ、そうだよね。あの時、僕は、自分と同じ趣味を持っている人が近くにいるなんて、想像もしていなかったので、本当に嬉しかった。芸術なんて、友達を作るうえでは何も影響がないんだと思うと、情けなくなっちゃってね。そのせいで、東京に出てきてから、博物館にも美術館にも、一度も出向くことはなかったんだ。でも、あの日、偶然、出かけたんだけど、君に会えてよかったよ」
と飯塚は言った。
「どうして、その日、出かける気になったんだい?」
と川北が聞くと、
「あの日、とっても天気がよかったんだ。ずっと部屋にいるのが、なんだかもったいない気がしてね。それでちょっと出かけてみようと思って、行ってみたんだ」
と、飯塚は言った。
「そうか、そうだったのか。実は今だからいうんだけど、俺は、本当は芸術に造詣が深かったわけじゃないんだ。友達もできずに、ずっと一人でいつもフラフラしていたんだけど、その日もフラッと出かけただけだったんだけど、美術館の前で、懐かしのソフト屋さんが、屋台のようなのを引っ張って店を出していたんだ。それが何とも懐かしくて、食べてみたくなって、そこで買ったんだよ。美術館の前の大きな公園で座って、ソフトを食べていると、目の前に大きな建物があるだろう? ちょうど日は当たって、眩しかったんだけど、そのせいもあってか、やけに大きな建物に見えたんだ。よく見ると美術館って書いてある。せっかく出てきたんだから、美術館にでも入ると、少しでも落ち着いた気分になれるんじゃないかって思ってね、それで入ってみたんだよ」
と、川北は、その時の心境を明かした。
もちろん、こんな話をするのは初めてだった。だが、
「いや、そんなことだとは思っていたけどね。だって、君は仲良くなってから、一度も芸術について、自分から話をしようとはしなかっただろう? 最初は照れ隠しで言わないんだろうと思ったけど、それも何か違うと思っていると、きっと、芸術に興味なんかないんだろうと思ったんだよ」
と言った。
ちょっとびっくりしたが、どこか救われた気分にもなった。
「そっか、そうだったんだね。まあ、普通に考えればそうだよな。興味があるなら、もっとたくさん話をしているよな。そうなんだ、俺は正直、芸術作品を見ても、実際には何とも思わない。それはきっと、自分が絵を描いたり、彫刻を作ったりすることをしないからなんだろうな」
というと、
「俺だってそうさ、最初はまったく絵を描いたりなどしなかったので、芸術に興味なんかまったくなかったんだけど、ある日、急に描いてみたいと思うようになると、美術館で芸術作品を見ている自分が何か羨ましく感じられ、しかも、描けるような気がしていたんだけど、結局、絵を描くことはできなかったんだ。これからもずっとできないかどうかは、分からないんだけどね」
と、飯塚はいうのだった。
二人があの日出会ったのは、
「いい天気だったからだ」
というのは、お互いに今でもそう信じていることであった。
学生時代のほとんどを一緒に過ごしたわけだったが、喧嘩がなかったわけではなかった。