謎は永遠に謎のまま
小学5年生になった頃くらいからであろうが。作文をそんなに嫌いではない気がした。今まであれだけまったく書けないと思っていた作文なのに、気が付けば書けるようになっていた。
「一体、どういうことなのだろう?」
と思っていると、
「想像することができるようになってきたのかな?」
と思ったことだった。
作文というと、あったことをそのまま書くのだと思っていたが、少々のウソであれば、拡張して書くということで許されると思ったからだ。
「そっか、作文というのは、エープリルフールでなくても、ウソをついていいものなんだ」
と勝手に思い込んでしまったのだ。
その思いが、早苗に作文を書かせたに違いなかった。
そんな作文を書いていると、
「確かに、作る文章なんだから、事実だけをそのまま描いたのなら、まるで絵を描いただけのようになってしまう」
と思った。
絵を描くのも、子供の頃から嫌いだった。
「目の前にあるものを、忠実に書かなければいけないなんて、簡単そうに見えるけど難しい。だけど、そのまま書くことのどこが面白いというのだ」
と思うようになっていた。
だから、作文も嫌いだった。
「その時に起こったことをまるで、実況中継のように書くだけ、それの何が楽しいというのだろう」
と感じた。
しかし、実際の作文には、自分の気持ちやまわりの感情を織り交ぜて書くことが大切だと分かっておらずに他人の作文を読んだので、
「みんな、上手だよな」
と感じ、自分の作文が恥ずかしいくらいの愚作にしか思えなかったのだ。
そのため、瞬間的に、
「作文なんか嫌いだ。自分には向いていない」
と思わせ、一気に作文から自分を遠ざけた。
それは絵画なども同じことで、音楽なども、学校では、楽譜に書いてあることを謳わせたり、演奏させるだけしかしないではないか。あらかじめ決まっていることをさせられるというのは苦痛であり、
「何が楽しいというのか?」
と感じさせるに過ぎなかったのだ。
それを思うと、中学時代に算数から数学に変わった時、
「公式に当てはめて解くだけじゃないか」
と思い、これも楽しくなくなった。
学年が進むうちに、そして進級していくうちに、学問というのは、そのほとんどが、公式のような決まった形に当てはめて、それを解くだけという勉強に変わっていった。
しかも、試験勉強というと、ほとんどが詰込みであり、しかも、試験というと、マークシートによるものばかりであった。
だから、勉強が嫌いになり、成績もどんどん落ちていった。
とりあえず、盛岡の高校を卒業するだけでいいと思っていたが、
「せめてどこか大学を卒業していれば違うだろう」
という、親の方も、何も考えていないかのような発想で、とにかく、三流であっても大学だけは行かせることにしたのだ。
結局短大であったが、ちゃんと卒業し、地元の会社に就職した。
早苗はそういう人生を歩んできたのだ。
早苗という女性は、時々、人生の節々に当たるところで、それまでになかったような力を発揮することがある。
それが中学の時に書いた作文であり、人には見せられないと思いながら、どうしようか考えた時、思いついたタイムカプセルという手を使うことにした。
誰も、何も疑わず、
「思い出作り」
として、タイムカプセルを埋めることにした。
タイムカプセルは、学校の外の山間に埋めた。
早苗は、
「10年後に掘り返す機会ができれば、掘り返せばいい」
というだけの気持ちだったので、途中、短大に通っている間くらいは実際に忘れてしまっていた。
最近思い出すようになったのだが、それがなぜなのかと考えていたが、それが、飯塚の存在が大きいのだと、最近になってやっと分かった。
「あの人が東京から帰ってきたことで、中学時代の思い出がよみがえってくるような気がするんだよな」
と感じたのだ。
中学生だった頃に考えた、思い出せが顔から火が出るような小説。10年も経っているのに、まるで昨日書いたことのように、内容が思い出された。
それは、昨日雪崩が起きるような話を皆がしていたその日の夜に、自分が誰かに襲われるという悪夢を見たからだった。その夢が、小説の内容と同じなのかどうか自分でも分からない。そういう意味で、
「どうしてももう一度読んでみたい」
と感じたのではなかっただろうか。
パンドラの匣とノックスの十戒
見つかった箱には、もう一通の手紙が入っていた。そこには、今回の事件を暗示するようなものが入っていたのだが、それは、早苗の書いた小説とはまた違った内容だった。
それを見た刑事は、
「こっちの話は暴行されるという陰惨な内容ではあるが、人が殺されるという内容ではないが、逆にこちらの話は、人が殺されるというシーンは描かれているが、どうしてその人が死ななければいけないのか? ということには触れていない。同じ人間が書いたわけでもないのに、同じ箱に二つの小説めいた話が書かれたノートが入っているというのは、ただの偶然なんだろうか?」
というのだった。
「しかも、その中に凶器と思われるナイフがあり、同じタイミングで、白骨死体と、この箱が発見された。これは、雪崩の影響なので、偶然なのかも知れないが、それにしても、一体何が、あったというのだろう? あの小説だって、筆跡は明らかに違うし、内容が、どちらかが続きというわけでもないので、単独の話なのだろうが、一体どういうことなんだろう? とりあえず情報として分かっているのは、行橋早苗という女性だけが、実名を書いている。他の人はイニシャルだったり、無記名だったりで、手掛かりは、やはり、行橋早苗という女の子と、凶器と思われるナイフということだろうね」
ということであった。
「でも、これが殺人事件なのか、どうなのかということが、問題ではないですか?」
と部下の刑事がいうと、それを聞いた先輩刑事が、
「うん、そうなんだ。この事件は少なくとも死体遺棄だけなのか、それとも殺人が絡んでいるかということなんだろうけど、もし、死体遺棄事件だけだったら、すでに時効は成立しているので、事件にすることはできない。問題は誘拐の場合だが、基本的に、身代金目的の誘拐でなければ、10年だったら時効が成立するだろう。だが、誘拐された人間が白骨死体で発見されたとすれば、ほぼ殺害された可能性が高いので、事件として扱うことになるだろう。とにかく、この仏さんの身元がハッキリしないと何とも言えないだろうな」
というのだった。
とにかく、事件なのか、事故なのか? ただ、登山道やオリエンテーリングなどが行われる場所で行方不明になったというのであれば、まだ分かるが、こんな田舎の村人以外近寄ることのないこのあたりに、わざわざ他から来て、行方不明になったりするだろうか?
誰かに見つからないように、服毒自殺でもしたというのであれば、それも分からなくもない。だが、それなら死体はすぐに見つかるはずだ。誰かが埋めたりしない限り、見つかることはない。