謎は永遠に謎のまま
それが一体誰になるのか、その時ハッキリと分かっていて、その人が自分の結婚相手だということまで書いたような気がした。
ただ、かなり情緒が不安定だったこともあって、書きながら考えがまとまらず、最初に書き始めた時の心境と、書き終わった時の心境ではかなり違っていたような気がする。
最初の頃は比較的穏やかな気分だったはずなのに、書いているうちに精神的に不安的になっていって、次第に誰を好きなのか、勝手に妄想してしまい、それをまるで小説を書いているかのように書き綴っていたのだ。
「どうせ、10年後に開くんだから、完全に時効よね」
と思っていたが、今から思えば、この10年間はほとんど変わっていなかった。
要するに大人になれていないというか、あの頃がもうすでに成熟していたといっていいのか、ただ、身体は大人になっていた気がした。
誰か大人の人に蹂躙されたような記憶がよみがえってきた。
「忘れていたはずなのに」
と思うのだが、なぜか、悪夢のような思いではなかった。
蹂躙されたのも、最初は恥ずかしくて、生きていられないとまで思うくらいだったが、そのうちに、蹂躙されたのは自分が悪いわけではないと思い始めると、蹂躙してきた相手を許せる気がしたのだ。
そして、その人が真剣に自分を好きになってくれているのであれば、その愛を受け止めようとすら思っていたのだった。
だが、その人は、真剣ではなかった。遊びというわけではなく、どうやら、家族に相手にされない悔しさを、早苗で埋めようとしたようだった。
もし、これが遊びだったら、早苗は許さなかったかも知れないが、自分を使ってストレスの解消をしようとしてくれたことに対して、却って嬉しく思えるくらいだった。
その人は担任の教師だったのだが、
「先生が私で満足してくれるのであれば、私、先生に尽くしちゃおうかな?」
と言った瞬間、先生は理性を失ってしまったようだ。
早苗は、もうそこから先は先生に蹂躙されるわけではなく、自分の身体が先生を誘惑していて、先生の欲望を受け入れていると思っていたようだ。
そんな二人のことを誰も知るはずなどなかったのに、それを知っている人がいた。その人はどこの誰なのか知れなかったが、先生に脅しをかけてきた。先生は、身を守らないといけないと思い、その男のいいなりになった。
男は、先生に対してお金を要求してきて、さらに、早苗に対して、今度は欲求をぶつけてこようとしたのだった。
先生は、早苗をその男に差し出すことにした。もちろん、先生も罪悪感に苛まれていたに違いない。
その男は、早苗を蹂躙しながら、
「お前の先生は、俺にお前を売ったんだ。どうだ? 悔しいだろう?」
と罵られて、早苗はまた意識が朦朧としてきた。
その時、先生に感じたのとはまったく違う思いを抱きながら、早苗はその男の蹂躙を受けた。
後日先生は行方をくらませたが、数日後、山奥で見つかったという。もちろん、早苗とのことは誰にも言わないし、早苗も何も言わない、男に蹂躙されたことも誰も知らないが、その男がそれから早苗の前に現れることはなかった。
誰も、その男の存在を知らない。早苗すら、その時だけの妄想の中に記憶が残っている程度で、ほとんど思い出すこともなかった。ただ、時たまわけもなく恥辱に塗れた気持ちになることがあった。
それがどうして、どこから来るものなのか分からなかったが、数分間意識が朦朧として、一日だけ、記憶を失うという症状がそれから起こるようになった。
医者もよく分からないと言っているが、早苗もその事情をよく分かっていない。早苗に起こったあの日の出来事も、知っているのは早苗と先生だけだ。あの先生も、もうあの時からどこかにいなくなってしまい、10年近く会っていない。他のクラスメイトも、そんな先生がいたことすら覚えていない。それだけ存在が薄いタイプの先生であり、村の人でも、たぶん、ほとんどの人の記憶になど残っていないことだろう。
ただ、この話は、完全に早苗の妄想だった、ただ、こんな妄想をするくらいなので、かなりの情緒不安定だったことは間違いない。
その時の思いを早苗は、一気にノートに書き、それを書き綴ったものをどうしようかと考えた時、タイムカプセルを作って、そこに封印しようと思ったのだ。
せっかく妄想とは言え書いたものを捨てたり燃やしたりするのは実につらいものだ。だからと言ってめったなところにも埋められない。そのまま埋めるとすぐに傷んでしまうし、どうすればいいのか? ということを考えていた時、思いついたのがタイムカプセルだった。
これだったら、自分で書いたものを他人が読むわけにはいかない。皆の友情の証で書いたのだから、皆の同意の元に掘り出すのだ。
もし見られたとしても、
「小説を書いたのよ。子供の頃のちょっとした思い出」
と言ってしまえばいいだけのことだ、
ウソではない。いくら妄想がひどいとはいえ、小説をあの時は真剣に、
「自分なら書ける」
と思い書いてみると、思ったよりも書けたのでびっくりした。
その余勢をかって、それ以降も小説を書いてみようとしたが、まったく何も思い浮かばない。あの時は、思い浮かんでもいないはずなのに、勝手に指が動いて、どんどんかけたのだ。
手が疲れるということもなかった。それなのに、それ以降は、2,3行の手書き文章でも、指がしびれてしまって書けなくなるほどだったのだ。完全に、
「ロウソクが消える前の勢いの炎」
のようだったのだ。
早苗は小学生の頃、作文は得意だった。好きだったわけではないのだが、勝手に指が動いてイメージしたことが、勝手に原稿用紙を埋めてくれた。
「私って、作文の天才なのかも?」
などと小学生の時に思ったくらいだったが、そんな思いはあくまでも、妄想でしかなかった。
卒業文集のようなものを作ったが、その時は結構楽しかったような気がする。ただ、文章を書くのが好きだったのはその時だけだった。
それ以外の、特に中学に入ってからというもの、何も書けなくなった。
それは今思えば、
「何も考えていなかったり、頭に浮かんでこない時の方が、結構文章が書けるのかも知れない」
と思った。
ただ、例外として、文章がうまく書けたその次の機会で文章を書こうとした時、まったく何も頭に浮かばばいのに、文章が書けなくなっていた。
「前の時に、すべての力を出し尽くしたのかしら?」
と感じたほどだったが、その思いも無理もないことだったのかも知れない。
小学生になってから、文章を書くことは嫌いではなかったが、友達の文章を見て、
「自分は、あんな風にきれいに書けるわけはない」
と思ったことで、作文が嫌いになった。
しかも、教科書の文章などを見ていると、実に整った文章になっていて、作文での皆の文章も同じレベルに感じられたのだ。
自分だけが取り残されていると思うと、やる気がまったくなくなり、それは作文に限らず、他の教科でも同じことだった。
まさか、たかが作文という一つの教科の中の課題というものが、自分の中で、勉強という大きな括りを締め付けることになろうとは思ってもみなかった。