小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

謎は永遠に謎のまま

INDEX|14ページ/26ページ|

次のページ前のページ
 

 この話は、伏線として、最初の1ページのところで、大いなるヒント、いや、挑戦状を作家から与えられていたのだ。そのことを最初に読者が感じるかどうか、これが問題なのだ。ある意味、まだストーリーの全貌が見えてこないところで伏線を敷くというやり方は。実に画期的で、ある意味的を得ているといってもいいのではないだろうか?
 それを思うと。
「叙述トリック」
 というのも、トリックとして十分にありえることなのだ。
 そんな探偵小説のトリックの話をしていたが、川北が、少し話の矛先を変えた。
「探偵小説というのは、今でいうホラーや、SF、などの要素も踏まえたところのような気がするんだ。今ではミステリーや推理小説とか言っているけどね。でも、そんな探偵小説と呼ばれていた時代に、本格派探偵小説であったり、変格派探偵小説などという言われ方をしていたのを知っているかい?」
 と言い出した。
「ああ、聞いたことがある。誤解されやすい言葉のようだけど、本格派というのは、トリックや謎解きなどを、優秀な探偵が解明していくという話であり、いわゆる探偵小説の正統派と言ってもいいような話だよな。でも、変格派というのは、それ以外の小説で、トリックや謎解きというよりも、ストーリー性であったり、猟奇殺人や。耽美主義と言った、今のミステリーにはあまりないようなものもあったという。SF、ホラーなどを織り交ぜた小説をいうのではないかな?」
 と飯塚がいうと、
「まあ、そういうことだね。俺が考えるのは耽美主義というもので、いわゆる、モラルや理性、秩序というものよりも、最優先で美というものがあるという考え方だよな。確かに。美というものは、大切であるが、考え方が歪んでしまうと、犯罪としてのストーリーになりやすくもある。そもそも耽美主義というのは芸術社会の中から生まれたもので、芸術自体が、美を至上主義にしていることもあり、芸術の耽美主義は当たり前のことなんだ。そのうちに犯罪を耽美主義に置き換えることで、猟奇犯罪を正当化する考えも出てきたのかも知れない。特に。猟奇犯罪であったり、異常性癖による犯罪などは、美を追求するために、美を自分だけのものにしておきたいという発想から生まれた心理学的な犯罪心理ではないかと思うんだ。耽美主義こそが、変格小説の礎だと思っている意図もいるかも知れない。そこまで歪んでしまったのは、探偵小説に責任があるということなんだろうか?」
 と、川北は言った。
「そんなことはないと思う。人間、少なからず、敵対する人間がいるというもので、逆に仮想敵がなければ、人間は張り合いをなくし、生きる支えを失ってしまう動物であり、それを、「必要悪」 という形で表現していたりする」
 と飯塚が付け加えた。
 それを、今度は飯塚が、
「必要悪というものが、本当にあるとすれば、どうなんだろう? 警察の中には、本当の極悪を成敗するため、あるいは、中和する効果を求めて、そこまで世間を苦しめない悪とされているものを容認していたりする。たとえば、パチンコ業界であったり。やくざの中でも、巨大な組織との間の仲介役のような形で容認していたりする組織もあったりする。大きな悪を抑えるために、小さな悪を利用するというのが、必要悪というものであって、勧善懲悪の人間は、それを認めようとしないとするならば、完全に融通が利かないといってもいいのではないだろうか?」
 というのだった。
「それは難しいところだよな。抑えのために悪を使うというのは、現実的に考えると仕方のないことだが、すべての悪をこの世からなくしてしまうというのが勧善懲悪の考え方だとするならば、この争いは、永遠に終わることはない。なぜなら、必要悪を滅ぼして、悪をゼロにしてしまったとすれば、強い悪は必ず蘇る。そのために、また必要悪をよみがえらせようとしても、もう無理なのだ。そうなって気づいても後の、祭りであり、必要悪というものが、細菌やウイルスの世界でいうところの、集団免疫が、一種の必要悪だという考え方がある。これは、ことわざでもあるように、「毒を持って毒を制する」という言葉に表されるがごとくのことだよな」
 と、川北が言った。
「目には目を歯には歯を」
 という言葉もあるが、まさしくその通りである。
 それらの発想をいかに考えるか、それが必要悪というものをいかに扱って、本来駆逐しなければいけないものが何かを見極めないと、本来の敵をやっつけてしまい。墓穴を掘る形になってしまうのは、実に情けないことであろう。
 そんなことを考えながらバスに乗っていると、次第に都会の光景に車窓が変わっていき、盛岡の街に入ってきた。
 盛岡の街は、村とはまったく違い、ほとんど雪は残っていない。きれいな晴れた天気で、太陽が眩しかった。
 それだけに、村での雪崩の危険が現実味を帯びてきたということでもあろうし、気にしなければいけないところであった。
 川北はともかく、飯塚はどうしても気になっていたのだ。

                 タイムカプセル

 帰りのバスに乗っていると、まるでデジャブを思い出していた。デジャブというのは、日本語で言えば、「既視感」のことであり、
「初めて見たはずの光景を、以前にも味わったこと」
 をいう。
 しかし、最近はその言葉の意味を過大解釈して、広義の意味で、
「前にもまったく同じ現象に陥った時、以前にも同じ現象を感じたことがあるような気がするということを思い出すことだ」
 というのも含まれるようになってきた。
 この時に感じたデジャブは、広義の意味でのデジャブだったのだ。
 このデジャブを感じたのは、昨日のことであり、昨日のことなので忘れてなどいるはずはないのに、それでも、
「まったく同じ感覚を味わった」
 といまさらながらに感じたのは、必要以上に、偶然というものを意識させられたからだった。
 その偶然というのは、
「昨日同じバスで、同じ人間に出会った」
 ということであり、その相手というのが、飯塚の同級生だと昨日紹介された、行橋早苗だったのだ。
「あら? 偶然ね、また同じバスに乗り合わせるなんて、私は嬉しいけど」
 と言って、ニッコリと笑った早苗は、田舎育ちを感じさせない垢ぬけた雰囲気に、さぞや人気があるのではないかと思わせたのだ。
 だが、今になって思えば、
「そういえば、先ほどから、飯塚は、時間を急に意識するようになったな」
 と感じていた。
「そうか、これは偶然ではなく、偶然を装って彼女に会いたいというある意味ベタな作戦だったのではないだろうか?」
 と、川北は考えた。
 ただ、昨日は完全に偶然だったはずだ。ということは、昨日の偶然が、飯塚をその気にさせたのか、それとも、飯塚というのが、そこまで純情だったということなのかを思わせた。
「やっぱり飯塚は、本当に田舎の純朴さを失っていなかったんだ。東京の会社に就職しなかったのは正解なのかも知れないな」
 自分でさえ、東京の会社で苦労したのだ。特に田舎者扱いされたことがかなりショックだった。そのショックをはねのける力が川北にはなく、一度劣等感を感じると、あとはどんどん悪い方にしか進んでいかない。それこそ、
「負のスパイラル」
作品名:謎は永遠に謎のまま 作家名:森本晃次