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後味の悪い事件

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「僕がそのエレベータで、1分前に5階に来たわけですよ。それが8階まで行っているということは、誰かが、エレベータに乗って8階まで行ったのか、それとも、8階で誰かがエレベータを呼んだのか? ということですよね? でも、8階から降りてきたエレベーターには誰も乗っていなかった。普通に考えれば、8階まで誰かが行ったということですよね? 僕が5階に降りてからのことだから、ロビーに一度降りるだけの時間はないし。ましてや、もう一基がロビー階にいるわけだから、考えられるのは、6階か7階の人が乗り込んで、8階で降りたということではないかと思うんです。そして、僕が5階で時間を費やしているちょうどその頃に、7階で殺人事件があったんですよね? 何か関係があるのではないかと思ったんですが、どうでしょうか?」
 と松岡君がいうのを聞いて、思わず、
「うむ」
 と唸ってしまった桜井警部補であった。
 この間まで、手が付けられないとまで言われた不良少年の松岡君が、実はここまで鋭い感覚を持っているということに感心したのだ。
「これはもう、感覚というよりも、感性なのかも知れないな」
 と思ったほどだった。
 それを思うと、嬉しさを隠せない桜井警部補であった。

                 見えていなかったトラブル

 松岡君の情報は、捜査会議でも話題になった。
「なるほど、その松岡君というのは、結構鋭いところを思い出してくれましたね。これで少し捜査の的が絞れそうな気がします」
 と、防犯カメラの映像を借りてきた山崎刑事がいうと、
「そうですね。あの建物が法地だったということは分かっていても、それが事件と関係があるかどうかということも何ともいえない状態だったので、その情報を仕入れてきてくれた山崎刑事にも感謝ですね」
 と、黒岩刑事は言った。
 黒岩刑事は、山崎刑事の後輩であり、何かと山崎刑事を頼りにしている。山崎刑事の後姿を見ながら、刑事としての成長を考えているといっても過言ではないだろう。
「法地というマンションの構造上の問題が、この事件に何らかの関係があるような気がするんだ。今の話を聞けば、ロビー階から見た8階というのは、6階と同じ発想だということだよな? それは、土手と反対側の、車が入るところから見ればの話しだけどな。これが何かの錯覚を利用した、錯誤の世界を作り上げ、犯行を形成しているというのは、見方によっては、そんなに強引なことではないような気がするな」
 と、桜井警部補は言った。
 桜井警部補も、前にいた署での殺人事件の捜査で、法地のマンションで起こった殺人があったのを思い出した。
 あの時は、法地であるとは分かっていたが、まさかそれを利用した殺害計画だったなどというのには気づきもしなかった。
 犯人の中途半端な計画のせいで、最初はまったく思いつきもしなかった犯行だったが、一つのことが解明すれば、あとは芋ずる式に、事件の全貌が見えてきた。
「こんなに単純な事件だったんだ」
 と、拍子抜けしてしまいそうなほどのものだったのだが、まさかと思った事件の解決に。その時から、
「まさかと思うようなことでも、普通に犯行に利用されるんだ」
 ということを、改めて思い知らされたような、そんな教訓のような事件だったのだ。
 それを思い出すと、また引き締めた捜査をしなければならないと思い、指揮官として、あらゆる可能性を考えるようになったのだ。
 ただ、まだ捜査は、途中であり、一番の問題は、防犯カメラの解析にあるだろうと思ったのだ。
 それは、捜査員皆が感じていることで、とりあえずは、防犯カメラの解析と同時に、それを裏付けるようなマンション内の聞き込み、さらに、行方不明者の捜索、そのあたりが問題になってくる。
 そこで飛び出した松岡君の証言と、一番今のところ事件に深くかかわっている管理人の証言、それらを元に、再度地道な捜査をしなければいけないということになるのだろう。
 捜査会議は、そのことを主に話し合われることになるのではないか?
 今集まっているのは、桜井警部補と、黒岩刑事、山崎刑事の班であったが、他の捜査員は、今も聞き込みをしていた、捜査会議と並行して、彼らのもたらしてくれるであろう情報が待ち遠しいところであった。
 捜査本部の今は、そういう状況だったのだ。
「まず、考えなければいけないのは」
 と口を開いたのは桜井警部補だった。
「被害者が、708号室で殺されていて、708号室の住人が行方不明。それだけではなく、被害者が、元々住んでいた場所の今の住人の行方不明。これは何を意味しているかということだよな? これは本当に偶然なのか? そういえば、708号室の本当の住人の捜査はどうなっている?」
「川崎明美は、まだ行方不明のままです。でも、行方不明になっておいて、人を殺すというのは、解せない部分ではありますね」
 と、黒岩刑事が言った。
「川崎明美の店に、殺された山岸が行っていたという話はあるんですか?」
 と聞かれて、
「いいえ、その形跡はないようですね。それよりも、殺された山岸という男、調べてみると、どうも、おかしな性癖を持っているというようなことが分かってきました」
 と、山崎刑事が言った。
「どういうことだい?」
「彼の仕事は、大学尾研究員なのですが、年齢的にはまだ30代なんですが、研究者としては優秀で、結構若い時点で、准教授に就任したのだそうです。ただ、まわりの意見としては、教授への昇進までには、少し時間が掛かるのではないかということでした」
「それが、その性癖によるものだというのかい? そんなに大学の教授というのは、厳しい職業なのかね?」
「それは確かにそうなんですが、それだけではないそうです。山岸という男は、変態的なところがあり、それを隠そうとはしていなかったとのこと。普通なら出世のために隠そうとするじゃないですか? でも、彼は隠そうとするよりも、却って露出する方に燃えるとのことで、だからこそ、まわりから異常な目で見られているそうです」
「うーん、頭がいい人というのは、えてしてそういう性癖を持っているものなのだろうか?」
 と桜井警部補はそういったが、実際には到底理解できるものではないだろう。
「山崎刑事はどう思う?」
 と、差し返した。
「私にはアブノーマルな世界はよく分かりませんが、今まで扱ってきた事件の中に、猟奇的な犯罪や、耽美主義のようなものもあったので、理解はできないけど、そういうものが存在するということを否定はできませんね」
「耽美主義というのはどういう意味なのかな」
 と桜井警部補が聞いた。
作品名:後味の悪い事件 作家名:森本晃次