後味の悪い事件
「もし黙っていて、後で何か自分とのかかわりが見つかったなどと言って警察がくれば、警察のことだから、どうせ、自分を犯人として疑うに決まっているんだ
と松岡君は感じた。
それなら、先手を打って、自分から話に行った方が印象もいいし、何か事件解決に自分の証言が役に立つかも知れないと思うと、
「今行くと行かないとで、天と地ほどの差があるではないか」
と考えたのだ。
そもそも、彼は警察組織というものを信頼もしていないし、毛嫌いしている、子供の頃からテレビが好きだったこともあり、よく刑事ドラマなどを見ていると、真面目な熱血漢の刑事が、キャリア組の管理官や警視正などに目を付けられ、うまく捜査できなかったり、所轄のいわゆる、
「縄張り争い」
という低俗な、まるで、子供の喧嘩のような無様な姿を見ていると、
「警察なんて、まるで子供だ」
と感じたほどだった。
それに、松岡君は、中学時代から少しグレテいた。何度か、警察で補導された経験もあった。
最初の頃は少年課もまだ優しかったが、刑事に顔を覚えられるようになると、態度が一変、最初は子ども扱いだったが、次第に、大人並みの扱いを受ける。
罵声を浴びせられることもしょっちゅうで、泣き脅しも通用しない。
「お前らはどうせ、更生なんかしないんだろう」
と言われ、
「いずれ少年院にぶち込んでやる」
と息巻いていた刑事もいたくらいだ。
このままいけば、反社会組織に入るか、どこかの組員まっしぐらというところであったが、定年間近の刑事に出会ったおかげで、今は改心し、真面目に働いていた。
その刑事というのは、かつての桜井刑事の上司で、ある事件を追っていた時、松岡君が、犯人連中の手助けを、何も知らずにやっていたのだ。
事件が解決して犯人は逮捕。操られていた少年たちは解放されることになったが、その中に、当時高校一年生だった松岡がいたのだ。
少年課の刑事は、
「やっぱりお前はロクな大人になんかなれやしないんだ」
と言われ、蔑まれたが、その老年刑事は、
「そんなこというもんじゃない。彼は俺たち警察に協力してくれたんだ」
と言って、その刑事を諭してくれた。
実際には警察に協力などしたわけではなかったが、その刑事は、
「君の中で、正義感というのを感じたんだよ。君は何かおかしいと思って行動していたんだろう? その気持ちに我々は気づいて、彼らの検挙に繋がったんだ。君のこれからについては、私も全面的に協力しよう」
と言って、少年課の刑事と連携し、いろいろ世話を焼いてくれた。
ちなみに、例の目の敵にしていた極悪な刑事は、やくざとの癒着が露呈して、懲戒免職を食らい、さらに警察に逮捕され、今は服役していた。
少年たちにきつく当たっていたのは、暴力団との癒着をごまかすためと、いずれ、更生できない少年たちを、やくざの世界に引きずり込むという役目を持っていたからだった。
もちろん、松岡君はそんなことは知らないが、それを知っているのは、警察でもごく一部の人たちだけだった。
「あんなひどいやつが警察官だったなんて。しかも少年課。そんな警察の汚点を、世間が知ったら、警察の威信はがた落ちになってしまう」
と上層部は言っていた。
松岡君は、それでも、何とか立ち直りはしたが、あの時のクズ刑事のトラウマから、いくら老年刑事に優しくしてもらったからと言って、警察自体をなかなか信用できるものではなかった。
警察に出頭してきた松岡君を見て、桜井警部補は、
「あれ? 松岡君じゃないか?」
と、言って懐かしんだが、例の松岡君が知らず知らずに手助けさせられていたという事件、老年刑事と一緒に捜査していたのが、桜井警部補だったのだ。
松岡君も覚えていて、
「これは、桜井刑事さんではありませんか、こちらの署に転属されたんですか?」
と、懐かしそうに話しかける。
「ああ、昨年、警部補になったので、それを機にこちらに転属ということになったんだよ」
「それはおめでとうございます」
と、お互いに、懐かしさを爆発させていた。
特に、松岡君の方としては、不安があった警察に出頭してきたところに、以前お世話になった刑事、いや、今は警部補か。その人がいるということで、ホッと一安心という感じであった。
「ところでどうしたんだい? 君が警察に来るなんて」
と、桜井警部補は聞いた。
「実は、昨日のニュースで見たんですが、プラザコートで殺人事件があったということなんですが、今自分、クーパーイーツで配達員をしているんですけどね。ちょうど事件があったと言われている時間くらいに、僕もあのマンションに配達に行ったんですよ」
というではないか?
「えっ、じゃあ、あのマンションに事件当時いたということ?」
と聞かれて、
「ええ、僕は508号室に配達に行ったのですが、ちょうど、お客さんは留守だったので、表に保温ケースに入れて置いておいたんですが」
ということを聞いた桜井警部補はびっくりした。
それでも、冷静さを維持したまま、
「ほう、君はあの時間、508号室に配達に行ったんだね? その時に何か、物音か何か聞かなかったかい?」
と、桜井警部補が聞くので、
「はい、それが物音というかですね。猫の声が聞こえたんです。何か少し変だったんですが、誰かに追いかけられているのか、キャインキャインという声が聞こえたんですよ。もし中に誰かがいるのであれば、呼び鈴は聞こえるはずですからね」
と松岡君は言った。
「それもそうだね。それに、注文しておいて、出てこないというのも、失礼な話だ。そういう留守だった場合はどうするんだい?」
と桜井警部補に聞かれた松岡君は、
「はい、そういう時のために、一応保温バッグに入れて、玄関先に置いておくんです。ひょっとすると、注文したもの以外で飲み物がなかったことに気づいたお客さんとか、配達の間に、コンビニにドリンクを買いに行ったりするお客さんもいるので、僕たちも、2、3回はベルを鳴らすんですが、すぐに諦めて、そのまま置いてきます」
「すぐに諦めるというわりには、2,3回ベルを押すんだね?」
「ええ、保温バッグを置いてくることになりますからね。今度わざわざ、これだけのためにまた取りにこないといけないし、それにお客さんが皆、保温バックを返してくれるという保証はないですからね。留守宅に置いてくるということは、そういうリスクも伴うことになるんですよ」
という松岡君の顔を見て、
「彼も成長したんだな」
という気持ちになり、胸に熱いものがこみあげてくるのを感じた。
「なるほど、それは大変だね。保温バッグというのは、クーパーイーツから支給されるのかい?」
「ええ、ただし、最初だけですけどね。いくつかは支給されるんですが、数に限りがあるので、もしなくなったら、自分で購入です」
「どうやって?」
「クーパーイーツの製品は、皆会社のロゴが入っていますので、特注なんです。だから、ネットで、クーパーイーツのサイトに入って、そこで注文するという形です。もちろん、自腹ですね。でも、そうでもしないと、配達員ができずに、給料自体が入りませんからね。正直、僕らは、クーパーイーツの言いなり、半分、奴隷のようなものですよ」