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後味の悪い事件

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「私もそんな気がします。一種のお忍びでもあったんでしょうね。楽しい思い出になるのであれば、旅行を楽しむオーラみたいなものを感じることができるでしょうし、せめて、相手の名前はイニシャルだけでも、旅行先や、時間の記入くらいはするでしょうからね」
「じゃあ、花丸というのは、どういうことだったのかな?」
「私が考えるに、花丸というのも、赤い色のマジックではなく、黒色だったんですよ。彼女は楽しみなイベントと思しき日には、必ず赤などの明るい色を使っていましたからね。それを思うと、重要な日ではあるけど、決して嬉しくも楽しくもない。決意の日だったのではないかとですね」
 と黒岩刑事はいうのだった。
「とりあえず、そのTというのが、旅行先なのか、彼女が不倫をしているとすれば、その相手なのかを調べる必要がある。黒岩君、お願いしよう」
「分かりました」
 ということで、黒岩刑事の報告が、桜井警部補の最初の疑問に対して行われた。
「さて、次に気になったのは、この部屋から管理人室に連絡を入れていたにも関わらず、救急車が来てから、消えてしまった人のことであるが」
 と桜井刑事がいうと、黒岩刑事の隣に控えていた山崎刑事が口を開いた。
「実はその件では、私が調べてきました。部屋の中に残った指紋から、該当するようなものは発見できませんでした。管理人に聞いても、声に聞き覚えはないというし、どちらかというと、若い人で、声の感じは上ずっていたので、慌てているようには聞こえたけど、そんなに支離滅裂な状態になっているほどではないということでした。ただ、管理人が気にしていたことなんですが、そもそも、部屋からのインターホンというのは、部屋の呼び鈴の横にあって、普通に知らない人であれば、それが管理人室や受付に直通になっているとは分からないのではないかと言っていました。確かにそれを聞いて確認しに部屋に行きましたが、確かにそうですね。しかも、慌てているのであれば、なおさらそんなことが分かるわけはない。だからその人は、このマンションのことをよく知っている人ではないかということなんですよね」
 という。
「じゃあ、このマンションの住人ということかな?」
「そうかも知れませんが、そうだとは限らないというのもありますね。例えば、よくあの部屋に遊びに行っている人だったり、実家の家族などはわかっているんじゃないでしょうか?」
「そうだな。その線から捜査を続けるのも大切かも知れないな。だけど、その人がなぜ救急車を管理人に呼ばせたのかという疑問があるよな。部屋のことをよく分かっているのであれば、部屋から電話を掛けることもできるだろうし、自分の携帯から掛けることもできるだろう? まさかケイタイ電話を持っていないとか、そういうことなのか? あるいは、壊れていて使えなかったとか?」
「それは、あまりにも考えすぎではないかと思います。そこまで都合のいいように壊れたり、持っていなかったりするものでしょうか?」
「まあ、確かにそうだよな」
 と桜井警部補も、自分が考えすぎていることを感じた。
 それは、自分が、
「犯人の立場になって考える」
 ということを今まで考えてきたことで、数々の事件を解決してきたという自負があったからだ。
 何もすべてのことに犯人の立場に立って考えるという必要はないのだろうが、他の連中にはなかなかできないことなので、
「せめて自分が」
 と思っているうちに、
「犯人の立場で考えさせれば、桜井刑事の右に出るものはいない」
 と言われるようになり、いつしか、それが署内でも有名になり、桜井刑事という名前を県警内でも有名にしたのであった。
 だから、桜井警部補が刑事の頃は、
「うちの署にほしい」
 などと言ってくるところも結構あったが、地元署の方で手放すはずもない。
 それが分かっていることで、ほとんど転勤はなかったのだが、今回は、署長が元副署長ということで、警部補に昇進したタイミングを狙って、見事にヒットしたのだった。
 転勤に関しては、最初から分かっていることなので、それほど気にはしていなかった。ただ、今まで第一線で捜査してきた中で、自分に逮捕されたことで更生した人たちのことだけが気がかりだった。
 転勤に際して、先輩の警部にそのことを話、
「くれぐれもお願いします」
 と言って、その人に託してきたのだ。
 桜井警部補のそんな性格や捜査方針を、下々の刑事は知らない人も多いだろう。だから、中には、
「桜井警部補って、どうも甘く考えすぎるところがないだろうか?」
 と感じている刑事もいるようだった。
 今回の担当である、黒岩刑事、山崎刑事ともに、まだまだ桜井刑事の本心や性格を見抜くには時間が掛かるだろうと、思われた。
 それにしても、捜査員としては、被害者側について考えすぎても、犯人側について考えすぎても、考えが偏ってしまい、同情などが生まれることで、真実を見失ってしまいかねないと思っていた。
 しかし、
「警察というのは、罪を裁くところではなく、真実を解明するところなんだ。そこから先の、犯人や被害者の気持ち、そして正悪というものは、起訴した後に裁判所で明らかにされていくことになる。俺たちは、犯人を探し出し、そして、何が起こったのか、その事実を解明していくことで、そこから、真実を解明するのは我々ではないんだ。我々が解明した事実を元に、真実に本当に迫るのは裁判所なんだ。だから、検事がいて、弁護士がいる。それぞれに真実に迫るために、行うね。そういう意味で、事実は表に見えていることで、捜査の段階で見えてくるだろう。事実が証拠というものの裏付けで見えてくるものだとすれば、真実は事実からだけでは見えてこないところもある。心情だったりが絡んでくることで、勧善懲悪だけでは解明できないこともある。下手をすれば、真実は事実よりもつらい場合だってあるかも知れない。そう考えると、裁判に入ってからの結審までにかなりの時間が掛かったり、さらには、裁判において、明らかにされる人間模様が、本当は見たくないものだったりする場合だってある。真実は常に正しいとは言えないんじゃないかと私は思うんだ」
 と、桜井警部補はよくそんな話をしていた。
 だから、警察組織は、縦割り世界なのかも知れない。
 人情や勧善懲悪の考え方よりなによりも、まずは、事実を解明することが大切であり、そのためには、少々の人の心に土足で立ち入ることも否めないということだってあるかも知れない。
 桜井警部補は、ずっと警察畑で捜査をしてきたので、そんなことは百も承知であったが、
「事件を解明するには、事件を起こすのも、被害者も人間であるということを理解したうえで、人情に入り込まないと見えてこない事実だってあるかも知れない。それを無視して突っ走ると、その反動はどこかで必ずくる。下手をして、自白に追い込んで起訴したはいいが、裁判の途中で、警察に自白を強要されたなどと証言されると、最初からひっくり返される形で、警察の努力が無駄になるどころか、起訴してくれた検事の顔に、泥を塗ることにもなりかねないんだ、このあたりは気を付けておかないといけない」
 とも言っていた。
作品名:後味の悪い事件 作家名:森本晃次