後味の悪い事件
と桜井警部補に聞かれ、
「いや、そんなにトラブルはなかったと思います。ただ、このマンションはペット可ということですので、ペットに関しての苦情のようなものは、定期的にあったと思います。でも、それはマンション側としては想定の範囲内でありましたので、少々込み入った内容になった場合は、弁護士を紹介するようにしていました」
「じゃあ、何度か弁護士に相談するような事案が発生したこともあったんじゃないですか?」
と言われて、
「ええ、まあ、それなりにはですね。でも、ここ2年くらいの間、ほとんどトラブルは発生していないと思います」
「管理人さんの知らない間に、当事者間だけでのトラブルというのは?」
「そこまでは分かりませんが、一応、入居の際に、ペット関係でトラブルが発生し、ことが少しでも大きくなるようなことになりそうなら、こちらを通してくださいとは話をしています。そんなにことが大きくならない事案であれば、当事者間での解決ということもあったかと思われます」
「なるほど、じゃあ、今回の被害者、山岸さんはどうでしか? 山岸さんから、何か、ペットにこだわらず、何かの相談を受けたりしたことはありましたか?」
と聞かれた杉本は、
「いいえ、今思い出した中にはありませんでした。後でもう一度、相談ノートを見てみようとは思います」
「その相談ノートというのは?」
「いつ、誰がどのような相談をしてきたのかということを記録したノートです。分かる範囲で受け付けた時の話の内容を書いているものですね」
「後で拝見しましょう」
と桜井警部補は言った。
捜査経過内容
「じゃあ、警察に通報するまでのことを、お話していただきましょうか?」
と桜井警部補は話題を変えた。
「ええ、あの時は、まず私は、ロビー階にある受付にいたのですが、そこに、708号室から内線が入ったんです。このマンションは、インターホンで、私どものいる管理人室や受付に内線電話を掛けられる仕組みになっているんですが、その内容として、救急車を大至急よんでほしいということだったんです。それで私は急いで救急車を呼び、救急車が到着してから、救急隊員と一緒に、708号室に入ったんです」
と、杉本管理人がいうと、
「じゃあ、病人がいるから、救急車の手配をしてきたというんですね?」
という桜井警部補に対して、
「ええ、そういうことなんです」
と、管理人は答えた。
「部屋に駆けつけた時、通報した人は?」
と聞かれた管理人は、
「それが、もうその人は部屋にはいなかったんです。それで私がカギを開けて中に入ると、救急隊員が、倒れている人を覗き込むと、私に対して、この人はもう死んでいるので、警察に連絡してほしいと言われたんです」
「なるほど、それで110番されたというわけですね?」
「ええ、そうです。だから、今日はまず119番に連絡を入れてから、そのあと、少しして110番に連絡したということになります」
と、管理人は言った。
普通であれば、そんなに一日に何度も119番や110番をするようなことはないだろう。もっとも、管理人という立場であれば、通報する可能性は高いかも知れないが、管理人の話によると、このマンションではそんなたいそうなことは今までになかったというような話のようだった。
「管理人さんは、最初に救急車を呼んでくれと言ってきた人に、心当たりはないですか?」
と聞かれて、
「何しろ電話での声だけですからね。よくは分かりません」
「この部屋の本来の持ち主というのは、いったいどういう人なんですか?」
と聞かれたが、
「川崎明美さんという女性の一人暮らしだったと思います」
「ほう、女性の一人暮らしというと、このマンションでは家賃も大変なのでは?」
と聞かれたが、
「以前は旦那さんと住んでいたそうなんですが、離婚されたということで、今は一人暮らしをされていますね」
「今日は在宅されているわけではないようですね?」
「ええ、確か、2日くらい前だったでしょうか? 大きなカバンを提げていたので、旅行ですか? と声をかけると、ええ と言って、苦笑いをしていましたね」
「その時の様子は?」
「別に怪しむところはなかったですね。私には、普通に照れ笑いをしているようにしか見えませんでしたから」
と管理人は言った。
「ということは、旅行に出かけた部屋の住民が留守である間。以前、マンションに住んでいた人が、死体となって発見された。最初は、生きていたのか、救急車を要請する依頼があり救急車を呼び、部屋に入ってみると、すでに患者は死んでいて、救急車を依頼した人はもういなかったということですね?」
「そういうことになりますね」
「じゃあ、結構、疑問点も多いですよね? まず、どうして発見者は、自分で通府せずに、管理人に通報を依頼したのか? ということですね」
「それは私も思いました。でも、私も気が動転していたので、言われるままに救急車を手配したんですけどね」
「それと、その人が誰で、どうして救急車が来た時にいなかったのか? ということ。まあ、ただ苦しんでいる人を発見したのだけど、放っておくわけにはいかない。だけどその人に、他に急用があったとも考えられなくもない。だから、管理人に後を託そうと思ったのだとすれば、辻褄は合うけど、少し疑問も残りますけどね」
と、桜井警部補は言った。
「それに、この部屋が密室だったということが気になります。カギは私が開けましたからね」
「ここは、オートロックではないと?」
「ええ、違いますね」
「じゃあ、発見者が、自分でカギを持っていて、それでカギをかけていなくなっていたということでしょうか?」
「そういうことだと思います」
「それにしても不思議ですね。何もわざわざカギを掛けることもないのに」
という桜井警部補の疑問ももっともだった。
カギをかけておかなければならない理由でもあったのか、それは、いなくなった人に聞いてみるしかないことだったのだ。
「他に何か、気が付いたことはありませんか?」
と、桜井警部補は、再度管理人に聞いたが、
「とりあえず、そんなところでしょうかね」
と、管理人も、まだ気が動転したままなので、落ち着くのを待つしかないと思い、
「もし、何か思い出したことがありましたら、K警察署までご連絡ください」
と、桜井英富浩は言った。
ここの警察管轄も、消防署と一緒で、隣のK市を中心とした管轄で、このA市も網羅するようになっていた。K警察というのは、ちょうど、A市との境界線に近いところでもあるので、このプラザコートまでは、パトカーであれば、10分で到着できたというわけであった。
桜井警部補は、捜査一課の警部補で、以前は、県庁所在地のある警察署の捜査一課で、刑事だったのが、警部補昇進と同時に、このK警察への赴任となった。
別に左遷というわけではなく、ちょうどK警察の警部補が、定年ということで、一枠空いてしまったことで、桜井に白羽の矢が立ったというわけだ。
県庁所在地の警察署では、警部補はすでに三人いた。そういう意味では、誰か一人ということでの桜井だったのは、別に左遷ということではないだろう。