起きていて見る夢
と医者は感じたが、そのうちに患者の寝言が聞こえてきた。
「眠れない」
と言っているのだ。
なんと、患者は、
「不眠症で苦しんでいる夢を見ている」
ということだった。
医者は、一瞬あっけにとられ、すぐに笑い出した。
「何だ、そういうことだったのか」
とそこまでいうと、今度は逆に顔が青ざめてくるのだった。
「ということは、どういうことになるんだ?」
というのは、この患者は不眠症が原因ではなく、
「眠れないという夢を見ている」
ということ自体がおかしいのだ。
完全に精神的な歪みがあることで、このような奇怪な夢を見せている。このような症例は今までにあまり聞いたことがない。どのように治療や治験、さらに、処方をしていけばいいのか、まったく分からない。
「なんとも厄介な患者を引き受けてしまったものだ」
と感じることだろう。
最初は、簡単なことだと思い込んでいて、医者もタカをくくったが、それは一瞬のことであり、ある意味、医者はその一瞬、
「夢を見たか」
というような感覚に陥ったことだろう。
それが、医者にとってどのようなものなのかということを、誰が分かるというのか、それこそ、
「医者を診る医者」
というものの存在がなければいけないのではないかと考えるというのが、そのマンガだったのだ。
読んだ時、ゾッとするものを感じた。本来なら笑い話で終わらせるべきものを、わざと疑問を投げかけるというところまで描いていたのだ。
「読者に考えさせる」
それがテーマだったのだろう。
今から思えば、最初のデートの後、彼女が田舎に帰ると言った時、
「寂しい」
という感情があったのは確かだったが、それ以外にも、もっと別の感情があった。
それというのは、確かに寂しさはあったが、それが一過性のものだという確信めいたものがあったからだ。
「また近いうちに遭える」
という信憑性のないはずの発想に、疑うという気持ちがなかったのだ。
今思えば、あの時、
「予知夢」
というものを、起きていて見たのかも知れない。
ただそれだけではなく、また寝ている時にも見たことで、余計に信憑性を増したのかも知れない。
それを思うと、起きていても寝ていても、同じ夢、しかも予知夢を見たということであろうか?
そもそも、起きて見るのが妄想なのだから、ある意味、現実味があっても当然のことである。それを、妄想だと思うのは、
「起きている時に夢を見るなんて、誰が信じるのだろうか?」
という思いがあるからではなかろうか。
だから、りほが連絡を入れてくれた時、驚きよりも喜びの方が強かった。もし驚きがあったのだとすれば、予知夢というのが本当に存在しているということを感じたからであろう。
さらに、その予知夢が的中したという喜びもある。だから、予知夢も、彼女が連絡してくれたことも、驚きの後に喜びがきたのである。
そのタイミングが同じだったのかどうか、ハッキリとは分からない。シンクロしていたというイメージから、若干タイミングがずれていたのだろうと思う。
この場合、タイミングがぴったりだと言われても、ずれていたといわれても、どちらに対しての信憑性も、変わることはないような気がしたからだった。
りほが田舎に帰ってから、りほのことを考えることはあまりなかった。デートをしたということを思い出として頭に思い浮かべることはあったが、りほの顔が思い浮かぶことはなかったのだ。
時間が経つにつれて、りほの顔がおぼろげになってくる。逆光のせいで、顔が見えないというあの状況を思い起こさせる。
正直言って、りほから電話があるまでは、その顔はおぼろげにも思い出せなくなっていた。完全に、
「忘却の彼方」
に消え去ってしまっていたかの如くである。
りほの顔を思い出せなかったはずなのに、受話器を取って、声を一声聞いた時、
「りほだ」
と思ったような気がした。
あくまでも、後追いでの感覚なのでそう感じているだけで、本当にそうだったのか、今となってみれば、よく分からなかったのだ。
「ねえ、本当に私のことを覚えていたの?」
と、電話で言われたような気がした。
電話を切ってからしばらくは、彼女との会話は肝心なところしか覚えておらず、聞かれたこと一言一言を詳細に覚えているなど、ありえないのであった。
電話を切ってから、放心状態だった松阪は、喜びがこみあげてくるのと同時に、りほの顔が思い出されてきた。
しかし、次の瞬間、
「もう一年も遭っていないのだから、彼女も変わったことだろうな」
と感じた。
松阪自身は、あまりイメージチェンジをすることはないので、あまり気にしないが、友達の中には、一週間か、二週間単位で、まったく違ったいでたちで現れる人もいた。だから、たまにしか会う機会がなかった時などは、二、三回のイメチェンを見逃してしまったということも無きにしも非ずであった。
松阪にとっての、りほは、どのような存在だったのだろうか?
大学に入ってから、今まででデートをしたことがあるのは、りほとのその一回だけだった。
別にりほのことを思い続けているから、そのあとデートをしていないわけではなく、単純にデートをする相手がいないというだけのことだった。
デートをするということがどういうことなのか、あまり深く考えたことはなかった。
りほと最初にデートをした時、最初に考えたのは、遊園地だったり、水族館などと言った、いわゆる、
「中学生のようなデート」
だったのだ。
しかし、さすがにそれはないだろうと思い、次に考えたのが、ショッピングや食事と言った、
「大人のデート」
だった。
しかし、実際には、その真ん中を取ったとでも言えばいいのか、彼女自身が賑やかなのが好きではないということで、落ち着いた博物館や、公園の散歩と言ったコースだったのだ。
「じゃあ、今回も同じようなデートがいいのかな?」
とも考えたが、一年も遭っていないのだし、相手は環境が変わったのだから、昔と同じだと考えるのは、少し違うのではないかと思うのだった。
だが、いまさら、
「どのようなデートがいいの?」
などと聞けるはずもない。
もし、聞くのであれば、最初に聞いておかなければいけなかったのだろう。聞いていないということは、自分の怠慢であり、デートというものを真剣に考えていないのではないかと思われても仕方がないかも知れない。
ただ、本当であれば、恥を忍んで確認するくらいの方がいいのだろうが、どうしても、恥ずかしさと恰好をつけようという考えから、承服できるものではなかった。
そこには、プライドというものがあり、
「プライドが邪魔をするから聞けなかった」
というのは、あくまでも、考えの甘さを示している。
だが、いったいどうすればいいのか、とりあえず、
「一般的なデート」
というものを考えてみることにした。
本屋によって、地元の観光案内の本を探した。
いまさら地元の観光案内を見るというのは、田舎から出てきて最初にやったことだったが、あの時と、実は心境が似ていた。
あの時は、気持ちに余裕があった。もし、今と違うのだとすれば、
「気持ちの余裕のあるなしではないか?」