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起きていて見る夢

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 ユースホステルであれば、当日の予約でも結構いけたりするので、旅先で友達になった人の予定を聞いて、まだ行っていないところであれば、
「じゃあ、俺も今日はそっちに行ってみようかな?」
 と言って、行動を共にしたりする。
 そんなことができるのも大学生の特権のように思えた。そのたあめには。
「いかに安くあげるか?」
 ということが大切なのである。
 関西に大学がある松阪は、山陽地方など、恰好の旅行先であった。
 当時はまだ、四国大橋などもなかった頃で、宇野と高松を結ぶ、宇高連絡船というのが運航していた時代だった。旅行するには、岡山、倉敷あたりから、山陽道にぬう形で、福山、尾道、三原などがあった。尾道、三原などからは、瀬戸内海に浮かぶ島々にも行けて、結構幅広い観光ができた。
 さらには、倉敷から北上し、備中高梁、新見と、中国山地に向かっていくと、こちらも山陽道と違った情緒豊かな街を拝むことができるのだ。
 大学二年生の夏は、山陽地方に行った。一番の印象深い場所は、個人的には、井倉洞だった。あそこは、全国的にどれだけの有名なところなのかは分からない。実際に松阪自身も、行くまでは知らなかった。
 だが、実際に行ってみると、その壮大さには、度肝を抜かれた。
 日本でも有数の鍾乳洞である、山口の秋芳洞に、中学の修学旅行で行ったが、その時と変わらないほどの感動があったのだ。
 なんといっても、井倉洞のすごさは、
「普通に平地を、軽く登ったり下ったりしているだけだと思っていたが、気が付けば山の上に来ていたようで、洞窟から出ると、そこは山の上だった」
 ということであった。
「それだけ、中がらせん状になっていて、直線にすると、相当長かったのだろう。一つの山単位の螺旋階段を上り詰めた」
 と言ったところであろうか。
 高いところから下を見ると、めまいがしてくるようだった。下は、河原になっていて、川の水があまりない分、大きな岩が、ゴロゴロ転がっている。しかも、真っ白な石なので、眩しさもあってか、めまいがするのはそのせいなのかも知れない。
 下まで来てから上を見上げると、
「思ったよりも高くないかな?」
 と一瞬感じたのは、上から見た時のめまいを思い出したからで、すぐにまた、
「いやいや、結構高かったんだな」
 と思い直したものだった。
 この洞窟は、当時、映画の撮影にも使われたということで、また、すぐ近くにある備中高梁の丘の上にある大きな屋敷も、当時別の映画の撮影にも使われたということだ。
 あの辺りは、ちょうど映画撮影の舞台だったのか、実はこの二つの映画は、同じ映画会社製作で、しかも、その主役が同じ俳優だったというのも、
「ただの偶然だったのだろうか?」
 と疑いたくもなってくるというものだった。
 そこから今度は、山陽道に回ったのだが、今度はまったく違った光景が広がっていた。
 今までは、山間の落ち着いた雰囲気で、少し閉鎖的に見えたが、今度は、目の前には瀬戸内海が広がっている。外海のような壮大さはないが、その分、重厚に漂っている雰囲気が素晴らしい。特に、太陽に照らされた波の穏やかな海面は、丘の上から見ると、その荒々しさのない壮大さは、余計に落ち着きを感じさせる。
 それは、山のように迫ってくるものではなく、
「限りない広さ」
 を思わせ、山地とは相まって、お互いの良さを引き立てるものであった。
 映画で見た、尾道の街を実際に歩いてみると、
「これがあの時のシーン」
 というように思い出されてきた。
「尾道三部作」
 と呼ばれた作品は、実は作品が好きだから、あるいは、女優のファンだからということで見たわけではない。
「話に聞く尾道という街での撮影」
 ということが気になったからだ。
 というのは、自分が住んでいる街と同じで、目の前を海、後ろには山が迫ってきていて、自分たちの街と同じで、
「坂道だらけの街」
 と聞いていたのだ。
 そんなところは、きっと、
「街の中心に神社があって、その上に鎮守様があるのだろう」
 と勝手に想像していたが、どうも違っていたようだ。
 山の上には寺があり、街のあちこちに寺があるというところであった。
 目の前に迫っている島とは真っ赤な橋でつながっていて、そこを漁船だけではなく、輸送船も走っているというのは、ビックリだった。
 自分の住んでいた街にも、前に島があるが、そことは橋でつながってはいない。いずれ繋ぐという計画すら内容だった。
 大学に通い始めてから、都会に出てきたが、都会も、同じように、前には海、後ろには巨大な連山が広がっている。
 もちろん、規模はまったく違っていて、日本有数の貿易港として有名なこの場所は、実に、
「住めば都」
 だったのだ。
 狭い範囲に、私鉄が二本、そして、当時の国鉄が通っていた。当時、国鉄は民営化寸前ということもあり、赤字経営でボロボロだった。私鉄が強かったのも当然であり、街には私鉄が経営する百貨店が乱立していたのだった。
 新町駅というのは、そんな都心部の、繁華街の近くにある、私鉄の駅だった。
 国鉄の駅も近くにあるが、私鉄の駅の方がきれいで、しかも、待ち合わせをするのにちょうどいいスペースもあったのだ。
 若者が利用するのは断然私鉄の新町駅の方で、国鉄を使うのは、年配者が多かった。
 国鉄の駅近くには、神社があったり、オフィス街であったりと、大学生が立ち寄る場所ではないということだった。
 尾道はまったく比較にならないところであるが、自分の実家の街に似ているという意味で、
「行ってみたい街ランキング」
 であれば、ベストスリーには入っているとこであった。
 りほの田舎は、確か、あのあたりだといっていたような気がする。松阪が、旅行の地を、この山陽に選んだのは、心の奥で、
「りほのふるさとだ」
 と思っていたからだろう。
 まさか再会できるなどという奇跡を望んでいたわけではないが、近くに行くことで、懐かしさが味わえると思ったのも確かだった。
 松阪の故郷は反対方向で、地域とすれば近江の方だった。京都から少し入ったところになるのだが、琵琶湖が近く、いいところだとは思っていた。
 だが、育った環境は、
「山には近いが、海のないところ」
 というイメージだった。
 確かに日本一の湖である琵琶湖のほとりではあるが、大海ではないのだ。りほのふるさとはいくら瀬戸内海と言っても、立派な海である。海産物も淡水の琵琶湖とはまったく違う。あこがれのようなものがあったのは事実だった。
 大学のある街にしても、そうである。海が近いことで、入学したての頃に、よく海を見に行っていたものだ。
 りほと知り合ったのは、ちょうどその頃、りほも海が好きだったので、話をしていて、お互いの共通点が海であると分かると、よく港に出かけたものだ。
 今では港には大きな商業施設が立ち並んでいるところは、昔は国鉄の資材置き場だった。駅からも近く、ゆっくりと海を見ることができる環境としては、ちょうどよかったのだ。
 観光クルーズも近くから出ていて、何度乗ったことだろう。
 デートという形ではなく、趣味の共有という形だと松阪が感じていたのは、
「彼女には彼氏がいるんだろうな」
作品名:起きていて見る夢 作家名:森本晃次