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起きていて見る夢

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「テレビゲーム」
 のブームであった。
 今でこそ、家でテレビに繋いだり、ポータブル端末でゲームができたりするが、昔のは、テーブル形式だった。
 テーブルの上が液晶画面になっていて、座った時足の上に来るあたりに、コントローラーがついている。
 当時、爆発的な人気だった、
「インベーダーゲーム」
 何度も復刻しているが、そんなゲームも今の社会では、若者だけでなく、中年クラスまでもが熱中するものであった。
 まるでマンガの文化のようで、世代、性別問わず、親しまれているものとしての人気は根強いものである。
 松阪の大学時代というのは、実にそんな時代だった。思い出しただけでも、まったく違う文化だったが、今に通じるものも結構あったというのも、印象的だ。
 もっともっと、いろいろあったのだが、思い出していると、それこそ時間の感覚がマヒしてくる。とりあえず、記憶はこれくらいにしておこう。

                 予期せぬデート

 大学二年生の年度末試験が終わってホッとした時期のことだった。
 友達と街に出かけて、本屋や、レコード屋などを巡ってから、返り付いて少し下頃だった。
 松阪は実家を離れ、大学時代はアパートを借りて生活をしていた。仕送りを貰いながら、遊ぶお金は、アルバイトで稼ぐという。当時としては普通の大学生だったのだ。
 最初は、電話の使用権に結構お金がかかるので、一人暮らしを初めてすぐは、電話も引いていなかったが、大学一年の途中で電話を引いた。
「連絡が取れないと困るからな」
 と、特に試験の時に、情報交換できないのが大きかったことに気づいた松阪は、秋にあって電話をつなぐことにしたのだ。
 時々友達が遊びに来ていたので、電話をかけようにも部屋に電話がないことで、
「電話くらい引いてくれよ。連絡が取れないというのは不便だからな」
 と言われたものだ。
 確かに、大学に行けば、毎日のように会うと思って、意識していなかったが、試験前など、情報交換に直接会ってするしかないのがどれほど不便かということに気づいたのだった。
「俺は、夏までには電話を引くようにしたので、夏休み前の試験の時は、だいぶ助かったものだよ」
 と言っていたが、なるほど、
「電話があれば」
 と、不便さを身に染みて感じたことに後悔したのだった。
 電話がつながったことで、最初は、用もないのに連絡をしていたものだが、やはりあるのとないのではまったく違う。
 翌日に待ち合わせを控えていて、急遽相手がこれなくなったとしても、連絡の取りようがないことで、街亜合わせ場所に行って初めておかしいことに気づき、そこでやっと連絡を取ってみる。
 連絡が取れなかったことで、心配になったり、事情を察したりするが、相手からすれば、
「連絡の取りようがないんだから、しょうがないよな」
 ということである。
 電話をつなげたことで、友達との連絡が楽になった。さすがに、無用の電話はすぐに控えるようになったが、電話があると思うと、気が楽でもあった。
 なんと言っても、結構電話の使用権料もバカにはならない。今のように、携帯電話が普及し、家庭電話が姿を消していくと、家庭電話が不便で高いだけだったと思う人もいることだろう。
 特に市外局番などは大変で、最初は公衆電話しかないときは、十円を何十枚も握りしめて、夜中に公衆電話に掛けに行ったものだ。
 時に自分は違ったが、遠距離恋愛をしているやつは、夜中に十円玉を持って、公衆電話で、何十分も話をしていた。
 まだ、近くに十円しか使えない公衆電話しかなかった時は悲惨だった。
 そのうちに、テレフォンカードが出てきたことで、十円玉を大量に持っていく必要はなうなってきた。
 だが、そのテレフォンカードが普及し始めた頃に、電話を引いたというのは実に皮肉なことで、実際にテレフォンカードは持ってはいたが、それほど使ったという記憶はなかったのだ。
 部屋につけた電話機は、最初に感じたのは、
「軽い」
 というものだった。
 実家にあった家庭電話は、まだダイヤル式のもので、実に重たいものだった。
「まるで、大きな石を持っているような感じだ」
 と思っていたが、プッシュホンになると、実に軽くて、薄っぺらいものとなっていた。
 横から見ると、
「直角三角形」
 のように見えるダイヤル式の電話機は、本当に重たかった。
 ダイヤルがプッシュボタンになっただけでもすごいのに、それ以上に重たさの違いの方にビックリするというのは、それだけ本当に重たかった証拠であった。
「本当に、ダイヤル式の電話というのが、不便だったんだな」
 と感じさせられたのだ。
 その日の電話が鳴ったのは、午後八時半くらいだっただろうか。当時は、午後八時を過ぎると、遠距離などは、電話代が安くなったものだ。そういう意味で、夜の時間帯に電話を掛ける人が多かったものだった。
 三コール目くらいで電話に出た。
「はい、もしもし、松阪です」
 と言って電話に出たが、今であれば、ありえないことである。
 なぜなら、今のように個人情報の厳しい時代であれば、電話口で自分の名前を名乗るなど、自殺行為もいいところだ。
 だが、今は電話番号から、個人の特定はほぼ無理である。何しろ固定電話ではなく、携帯電話なのだから、どこにいる誰なのかなど、番号からは分からないだろう。
 しかし、昔の電話番号は、市外局番で、市町村はハッキリと分かる。そこから先は市内の番号を探れば分かるというものだ。
 しかも、今では詐欺に電話を使ったりもする。
 不特定多数の携帯電話に、ショートメールなどで、
「あなたが加入したサイトから、数万円が引き落とされます。身に覚えのない方は、こちらまでご連絡ください」
 と言って、電話を掛けさせるのだ。
 そこで、その電話番号が生きているということが分かり、そして名前を聞き出せば、相手も特定できる。それからが、詐欺が始まるわけだが、詐欺に気を付けている人は、相手に、
「あなたは、どこの誰にお電話をおかけ何ですか?」
 と逆に質問してみる。
「この番号の電話をお持ちの人です」
 としか答えない。
 それはそうだろう。適当な番号の先にメールを送り付けているだけなので、相手を特定できていないということだ。
 特定もできていないのに、引き落としもくそもないものだ。そこで詐欺だと分かる。
「分かりました。あなたの番号は、警察で照会してもらいます」
 というと、相手は、黙って切ってしまった。
 もうダメだと分かったのだろう。
 きっと、相手はアルバイトか何かだろう。電話をかけてきた相手に対しての対応マニュアルなどがあり、相手が怪しんだり、警察などと言う言葉を口にしたら、何も言わずに切っていいなどというマニュアルになっているのかも知れない
 そう思うと、
「してやったり」
 という気持ちになり、気が楽になってくるものだ。
 念のため警察の生活安全課に連絡を入れ、事情を説明すると、
作品名:起きていて見る夢 作家名:森本晃次