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起きていて見る夢

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 もちろん、朝食として食べれるわけではないのだが、それ以外で食するのであれば問題ない。流し込む食事だからかも知れなかった。
 そんなこんなで、朝食を食べる習慣のない松阪は、少々早めに家を出た。
 駅まで歩いてくると、まだまだ寒さの残る時期だったので、暖まるというわけでもないので、電車までの時間、少し時間があるので、駅前の喫茶店に寄ることにした。
 その店は、午前七時から営業している店なので、ちょうどよかったのだ。
 駅前のその店は、何度かモーニングを食べに寄ったことがあるので、馴染みの店でもあった。その日は、コーヒーだけでは口が寂しい気がしたので、モーニングを食べることにした。
 ベーコンエッグのモーニングが好きで、ベーコンは、固くなるまで焼くのではなく、やわらかい状態、タマゴは白身が固まるくらいの焼き加減で注文した。正直白身のねっとりしたのが大嫌いなので、残っていると、いつも、フォークで、避けている。ある意味、こだわりのある食べ方だ。
 親からすれば、
「そんな汚い食べ方よしなさい」
 などというのだろうが、
「なんで嫌いなものを、金払ってまで食わなきゃならんのか?」
 と言いたいのはこっちである。
 実に合理性のないことではないか。これをわがままだというのであれば、
「考え方が違う」
 と放っておいてほしいものだと考える。
 学生時代から、人のことにいちいち口を出すやつとは、付き合いきれないと思ったのは、きっと親とのトラウマがあるからではなかろうか?
 モーニングを食べながら、普段はあまり読まない新聞を見ていた。
 まだまだ電車までには時間があったからだ。新聞を久しぶりに見ると、一面には、近々、衆議院選挙があると書かれていた。
「そういえば、俺も二十歳になるんだから、初めての選挙権を持った選挙になるんだな」
 と感じた。
 大学に入った頃は、選挙権を得たら、選挙にはすべて行こうと思っていたが、それもいつの間にか、どうでもいいと思うようになっていた。大学というぬるま湯に浸かってしまったことが、今の世の中をどうでもいいと考えるようになったのか、自分でもよく分からなかった。
 大学に入ったら、友達をたくさん作り、彼女もできるだろうから、それなりの大学生活を夢見ていたものだ。
 だが、いつの間にか、そんな夢は崩壊していて、彼女ができないことが、その崩壊の象徴のようになったのか、それとも、学校に行くことを嫌だとも感じないほど、無関心になったのかも知れない、
 ただ、バイトをして、旅行に行ったり、たまに趣味として小説を書いてみたり、そんな毎日が、今の自分の生活だった。
 そこには何も目標もない。ただ、将来、就職に対する不安と、その前に控えている就職活動。ここにも不安がある、
「不安がある就職のために活動する就活にも不安があるって、何重苦なんだ」
 と感じる。
 どうでもいいと、世の中を思っていながら、不安を感じないわけにはいかない。そんな状態で、情緒不安定にならないわけもない。何もしないで、刻々と大学時代という時間が無駄に過ぎていくのだ。
 どうすればいいのか、頭の中を整理することはできない。だからこそ、必要以上に何も考え合いようにしているのかも知れない。
 ただ、その日は、そんな思いが普段にも増して強かった。そんなおかしな朝だったのだった……。

                 大団円

 新聞を読んでいると、いつも読みながら、別のことを考えていて、せっかく目で文字を追っているのに、内容が頭に入ってこない。その時にいったいどんな内容のことを考えているのか、覚えていない。
「まるで夢を見ている時のようだ」
 と考えたのは、自分でも、実に的を得ていると思えたのだった。
 この夢は、寝ている時に見る夢のことではない。起きている時に、時々、新聞を読んでいる時のように、ふと別のことを考えていて、集中力が極度になくなってしまったせいで、集中していたと思うことを覚えていない。
 その時に、何か別のことを考えていて、集中できていないのだということは分かっているのだが、その別のことというのも思い出せないのであった。
「一体、その別のことというのは何だったのだろう?」
 と言って、思い出そうとしても思い出せないのだ。
 それを考えた時。
「これって夢と一緒だ」
 と感じたのだ。
 夢から目が覚める時に、目が覚めるにしたがって忘れていくというのは、ひょっとすると、
「他のことを考えていて、そのことを思い出せないことで、一緒に、夢の内容まで、思い出せないようなメカニズムになっているのではないだろうか?」
 と考えた。
 一つしかない頭で、二つのことを同時に考えようとするなど、できるはずもない。そのことを人間に思い知らせるために、夢というのは見るのであって、夢で見たことを覚えているということが、まるで、
「神への冒涜」
 だということを、考えさせているのかも知れない。
 人間、例えば、片方の手が冷たくて、片方の手が熱かったとしよう。その両方を握り合わせた時、熱さと冷たさのどちらを感じるだろうか?
 両方を一緒に感じることはできない。すると、どちらかを強く感じないといけないのだろうが、それもできないような気がする。ただ、熱さと冷たさを自分の手が持っているということは理屈としては分かっているのだ。
 あくまでも理屈でしかないので、感じなければ、自分で信じることはできないだろう。
 そんなことを考えていると、
「俺はいったい何を考えているのか?」
 と、急に我に返ってしまい、まるで目が覚めた時のような感覚を覚えるのだった。
 それは、
「起きている時の夢」
 を見ているという感覚であった。
 新聞を読んでいて、やはり頭には入ってこない。そんな自分を周りはどんな風に見えているのだろう?
 もし、自分が新聞を見ながら、それと同時にまわりを見ることができたとすれば、モノクロームの背景の中で、時間が凍り付いてしまうという、以前、夢に見たあの光景がよみがえってくるのではないかと思えたのだ。半分夢を見ていて、半分起きているような、そんな感覚になっているような気がしてきたのだった。
「今日は早いじゃないか?」
 と、入店してからすぐ、馴染みのマスターから声を掛けられて、苦笑いをしてしまったことで、それ以上は、マスターは話しかけてこなかった。
 それだけ、自分で思っているよりも、表情が怖っているのかも知れない。
 やはり、今回のりほの、
「お誘い」
 を、本人は楽しみだと思いながらも、どこかに恐怖と不安が募っているように思えてならない、
 それが、態度になって現れるのか、それとも、この店に来た時に、いつも感じる、
「親へのトラウマ」
 を、いつもは、一瞬で終わるものが、他の不安と重なることで、忘れるタイミングを逸してしまったことで、なかなか頭から離れてくれないと思っているのか、
「もし、このまま離れなければどうしよう」
 という、普段は感じることなどない不安に居たたまれない気分にさせられるのだった。
 モーニングが出てくるまで、かなり時間が掛かったような気がした。
作品名:起きていて見る夢 作家名:森本晃次