小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

起きていて見る夢

INDEX|12ページ/25ページ|

次のページ前のページ
 

 まだ、パソコンを持って、カフェで仕事に勤しんでいる人を見る方が、どれだけ真面目に見えるか。
 スマホをいじっている人を見ると、ほとんどが、ゲームをしているか、SNSなどの、
「遊び」
 しかしていないように見えて、
「何が楽しいのだろう?」
 としか思えない。
 まだ、昭和の頃は、新聞を読んでいたり、雑誌を見ていたりと、その頃の年配の人であっても、何か文句を言いたくなりそうな状況だったことを思えば、
「時代が変わっても、一緒なんだよな」
 としか思えない。
 それこそ、
「負のスパイラルでしかない」
 と言えるのではないだろうか。
 その日は、なるべく、当時のファッションにふさわしい恰好で来たつもりだったが、そもそも流行に合わせた服を持っているわけでもないので、ここで待ち合わせをしている連中から見れば、
「なんて、ダサいやつなんだ」
 と思われているに違いない。
 流行に敏感な友達もいるのだが、今日のコーディネイトを頼んだりすると。
「お前、デートか何かか?」
 と勘ぐられるに決まっている。
 大学の人であれば、それも気にしなければいいのだが、相手がりほだというと、話がちょっと変わってくる。
 自分の友達のほとんどは、りほのことを知っている。りほは皆から人気があったので、
「お前だけ、ずるいじゃないか」
 と言われるに決まっている。
 ずるいというのは少し違っているが、皆に黙って二人きりでということがバレると厄介な気がしたのだ。
 だが、松阪の中では、
「皆に嫉妬させたいな」
 という気持ちがあったのも事実だった。
「皆から人気のある女の子が、密かに自分のことを好きだった」
 などというシチュエーションは。実に気持ちを高ぶらせてくれる。
「皆がきっと、この俺に嫉妬することになるだろうな」
 と思うと、これほど楽しいものはない。
「上から目線」
 というべきか、嫉妬されることが、これほど楽しいなどと、思ってもみなかった。
「高所恐怖症のくせに」
 と感じ、思わず笑ってしまうのだが、今までにそんな感情に至ったことのない松阪は、まわりの人に嫉妬されたいという気持ちをいつも持っていた。
 それが、
「人と同じでは嫌だ」
 という気持ちにさせるのであって、
「人と同じだったら、好きになった人に比較されてしまい、もし自分を選んでくれたとして、そのあと少しでも自分に疑問を持ってしまうと、もう一人の方に走ってしまう可能性がある。それだけ同じくらいに好きだったということだからだ」
 と感じていたのだ。
 人と同じでは嫌だと最初に感じたのは、小学生の頃だった。
 小学生では、皆が同じで、
「可もなく不可もないという無難な性格で、皆と同じような分かりやすい性格であってほしい」
 と先生は思っているのかも知れないと感じた。
 なぜなら、その方が扱いやすいからである。
 学校の一クラス、四十人くらいの子供たちを、一人で見なければいけないのだ。
 特に小学生というと、何をするか分からないという感じなので、目を離すことができない。そんな子供たちをいかに一方向に向かせるかというと、洗脳して、扱いやすいようにするしかないだろう。
 特に、教育委員会や、PTAなどは、その考え方ではないだろうか。
 教育委員会などという自治体のようなところは、融通が利かない。何かあれば、すぐに処分と言い出す輩ばかりであった。
 親だってそうだ。
 子供に何かあれば、
「子供を預けているのに、学校側の怠慢ではないか?」
 というのだ。
 しかし、学校側は、
「すべて学校で教育するわけではないんです。家庭に入れば、そこは家庭の世界であり、学校側は手出しのできない領域なんです」
 と、完全に、親との間で責任のなすり付けないになってしまう。
 学校というところは、教育委員会と、父兄に囲まれて、板挟みになっていることだろう。
 まだ、この時代は、いじめ問題まで、苛め自体は発展していなかったのでまだマシだったのかも知れないが。ここにいじめ問題。あるいは、不登校の問題が絡んでくれば、パンクしてしまっていただろう。
 ただ、苛めはそんなにエスカレートはしていなかったが、不良問題は結構大変だった。学ランを着て、バイクを乗り回してというような時代だったのだ。バイクの免許は16歳からとれるので、在学中でも取ることができた。しかし、途中から、
「免許はやむを得ない場合はとってもいいが、学校に預けること。在学中は免許を取得してはいけない」
 などという校則ができた時、学校側と、相当揉めたのを覚えている。
 集会などを開いて、学校側に抗議したものだった。
 そんな小学生時代から大学生になるまでに、その間が6年あった。小学生の時代も6年あったが、同じ6年でも、まったく違い六年だったのだ。
 中学から高校の間に受験というものがあり、明らかに中学と高校では違う学校だという意識があったからなのだろうか?
 いや、そういうわけではなかった。確かに受験というのは、大きなイベントであり、その合否によって。人生がまったく変わるのだから、精神的にはかなりきついものであった。
 だが、それだけに、受験という難関を目の前にすると、
「楽しんではいけない」
 という思いが頭を巡り、
「すべてのものを犠牲にしてでも、辿り着かなければいけないゴールだ」
 と思っていた。
 しかし、必死になればなるほど、自分が小さくなっていくのを感じた。それが怯えから来るものなのか、それとも先が見えない恐怖に打ちひしがれている自分を感じていたからなのか。それを考えると、どうしようもない自分を感じたのだ。
 すべてのものを犠牲にしてでも……、というのは、逆に言えば、
「その瞬間でしかできないことがあったとすれば、それはすべて犠牲にしなければいけない」
 ということであり、それが何であるか分からなければいけないはずなのに、それを知ることすら許されない。
 なぜなら、それを知ってしまうと、
「今でないとできないことだから、思い出したんだ」
 と感じることだろう。
 そう思ってしまうと、後悔が生まれてくる。
「こんなことを考えなければよかった」
 という感情である。
「今でないとできない」
 ということが本当に存在するのかどうか分からないが、存在するとするならば、
「知らなくたっていいことだったのかも知れない」
 という後ろ向きの考え方に、自分ならきっとなってしまうだろうと思うのだった。
 それが後悔であり、知らなかったことを後悔するとすれば、どっちの後悔がよかったのか、考えさせられてしまう。
 だからこそ、中学時代も高校時代も、余計なことを考えたくなかった。
「余計なことを考えるくらいなら、必死に勉強すればいいだけだ」
 と思う。
 そうすれば、知らなくてもいいことを知ることもなく、進学してから、ゆっくりとすればいいと思えばいいだけだった。
 だが、そう思えば思うほど、
「今じゃなければいけないことがあるはずだ」
 と考えてしまう。
 パッと思いつくのは恋愛だった。
作品名:起きていて見る夢 作家名:森本晃次