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大学時代の夢

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 それほど、不倫や離婚は日常茶飯事、そんなことに嫉妬しているエネルギーがあるなら、新たな恋に走ればいいと思うかも知れないが、さすがにそこまでサバサバしている人は珍しいだろう。
 だからこそ、猜疑心を理由とする犯罪は減っているかも知れない。しかし、逆に、もっとわけが分からない犯罪が増えているのかも知れない。
 それは、衝動殺人というものである。
「感情的に、人を殺したくなったから、殺した」
 というものであるが、
「いきなり感情が爆発してしまって、殺された人は可愛そうだ」
 ということになる。
 しかし、ここに一つ間違いがある。
「いきなり殺したくなって」
 というところが違っているのだ。
 というのは、殺したくなったのは、いきなりなどではなく、徐々にバロメーターが上がって言っていて、ある瞬間に、沸点に達してしまったのだ。
 それがたまたまその時だったというだけで、決して、いきなり爆発したわけではない。
「なるべくしてなった犯罪」
 と言えるもので、そういう意味では、本来の意味での衝動殺人というものは存在しないのかも知れない。
 いや、言われている衝動殺人の意味合いを本人が勘違いしていただけなのかも知れない。
 きっと、本人は、
「急に人を殺したくなった。相手は誰でもいい」
 と思っているのかも知れない。
 だが、実際には、じわじわ感情が盛り上がっていって、その瞬間の爆発だっただけで、風船だって、一からゆっくり膨らんでいき、ある地点になると爆発するのだ。
 知らない人は、いきなり爆発したとしか思わないだろう。何しろ風船を膨らませている本人が、驚いて腰を抜かすわけだから。
 そうやって考えてみると、衝動殺人にだって、捜査をしているうちに、犯人の内に籠められた感情が浮き彫りにされることで、その原因は、意外とハッキリしたものだったりするはずだ。
 衝動殺人がどのようにして起こるのかというメカニズムは分からないが。時と場合によって、いくつもの糸が絡み合うことでできあがる殺意だってあるということだ。
 下手をすれば、逆恨みだということもある。いや逆恨みがほとんどの場合だってあるくらいだ。
 逆恨みするということほど、疑ってしまったことから起こるものだったりする。ただ、その場合は、考えが浅はかだった場合がほとんどで、
「感情よりも先に行動に移してしまった」
 ということもあり、そういう場合の方が、よほど、悲惨なものであったりする。
 そんな悲惨な状況が、場合によっては美しく見えたりもする。それが耽美主義だといわれることから、耽美主義と猜疑心から来る犯罪が似ているといわれるゆえんだったのかも知れない。
 聡子の一件があってから、しばらくは、友達との行動は、あまり頻繁ではなくなっていた。つまり一人でいることの方が多くなったというわけである。
 別に一人が楽だとか、一人の時間を楽しみたいとかいうわけでもなく、かといって、友達と時間が合わないわけではない。
 急に気分的に、
「人と一緒にいたくない」
 というそんな時間が増えたのだ。
 孤独な時間というわけだが、思ったよりも嫌な時間ではなかった。毎日の時間の中で、一度、どこかの時間でそういうタイミングがあるのだった。
 夕方くらいに訪れるのだが、決まった時間というわけではない。時間も三十分くらいのこともあれば、その日、寝るまで誰とも関わりたくないというそういう時間である。
「関わりたくない」
 そう、ひと言でいわば、その感覚だったのだ。
 そう感じるようになってから、一日一日があっという間に過ぎていく気がした。もう二年生も終わりに近づいていた。本来なら、年末の十一月くらいというと、
「そろそろ師走の慌ただしい時期、クリスマスなどがあり、正月へと向かうあの時期、結構好きなんだよな」
 と感じていた。
 ただ、クリスマスというと、その頃から、彼女と一緒に過ごすというのが、定番のようになっていて、いつも、クリスマスやバレンタインの時は、街の賑わいをよそに。一人であった。
 そのくせ、何に期待しているのか、その時期はソワソワしてしまうのだ。
 逆にホワイトデーでは、バレンタインでもらえなかったわけなので、ドン引きしてしまう。ただ、この時は、世の男性のほとんどを知らないが、少なくとも自分の知り合いのほとんどはドン引きしているので、仲間がたくさんいて助かったと思っていたのだった。
 年末が近づけば、楽しい気分になるのは、演出に騙されているからなのかも知れない。
11月の終わり頃から、街はイルミネーションと呼ばれる電飾で飾り付けられ、街のあちらこちらから、いくつものクリスマスソングで溢れている、
「ジングルベル」
「赤鼻のトナカイ」
 などは本当に昔からだが、
「ラストクリスマス」
「クリスマスイブ」
「恋人はサンタクロース」
 などの、定番曲が聞こえてくると、浮かれた気分になるというものだ。
 ちなみに、クリスマスの本番というと、基本的には、24日のイブの夜ということになっている。クリスマスイブというのは、その前夜という意味で、クリスマスの25日が本番のはずなのに、なぜなのだろうか?
 実は、ここに、宗教的な意味合いが含まれている。
 キリスト教の一日というのは、前の日の日暮れから始まると言われている。普通であれば、午前0時を境なのだが、ただその方が説得力があるというものだ。
 午前0時というのが、一日の始まりと言われても、時計があれば分かるのだが、逆にいえば時計がなければ、どのタイミングが日付の変わり目なのかというのが分かるということなのか、時々オカルト小説やマンガなどで、
「同じ日を繰り返す」
 などというシチュエーションがあるが、それは、午前0時が起点であった。
「どうしてその時間なのか?」
 ということを考えたことはなかった。
 考えたことのなかった自分が、何か恥ずかしいと思えてくるほどであった。
 まるで図ったようなクリスマスではないか。
 恋人同士が、イブの夜にホテルにしけこむ。まさに、それこそクリスマスだと言わんばかりである。
 人気ホテルなどは、半年も前から予約済みだったりする。夜景の綺麗なホテルだったり、レストランでおいしい食事をして、その階上にしけこむというお膳立て、いったいクリスマスというのは、いつから、カップルがしけこむ日になってしまったのか?
 実に嘆かわしいと思っている世の男性、いや、男性だけではなく、女性も相当数いることだろう。
 この日だけは、予約をせずに利用しようとしても、絶対に無理なのは、チキン屋さんと、ラブホテルの部屋などであろう。もっとも、ラブホで予約などできるはずもなく、クリスマス本番の時間になると、一気にドン引きしてしまい、クリスマス気分は、その前日までだったことを、思い知らされるのだった。
 これは、正月にも言えることだった。
 正月というのも、大晦日の、日付が変わるまでだ。
 年末のテレビ番組で、どこもカウントダウンが始まり、日付が変わったとたんに、
「おめでとうございます」
 という能天気なアナウンサーの声が聞こえてきた瞬間に、一気にドン引きである。
 そこから先は、一気にテンションが下がっていって、
作品名:大学時代の夢 作家名:森本晃次