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大学時代の夢

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「ごめんなさいね。私、本当に一つのことを考えていると、他のことが目に入らなくなってしまうので、でも、本当に楽しかった。ここまで歴史の話に花を咲かせることができる人って他にいなかったので、私にとってのストレス解消にもなったわ」
 と言っていた。
 最初の佇まいから、
「この人に、ストレスなどという言葉があるわけはないだろう」
 と思っていたくらいである。
 しかし、そんな彼女の口から出てきた、
「ストレス」
 という言葉、それを聞いて、
「ストレスなんて、本当に誰にでもあるんだな」
 と感じたのと、
「そのストレスというのも、きっと人によって違っているに違いない」
 と感じたのだった。
 須川にとってストレスとは、
「汗が滲んできて、焦りを感じ、それはきっと、先が見えていることが一番の原因ではないかと思っていたが、逆に限界のないことの方が、ひょっとすると、底なし沼に嵌ってしまうようで、怖いのではないか?」
 と感じるのではないだろうか。
 講義が終わってからの、喫茶室での会話は、何度か続いた。だが、行動範囲がそこから発展することはなく、いつも、生協近くの喫茶室ばかりだったのだ。
 ただ、一つのことに集中していると、ストレスなどというものが存在しないのではないかと思うほど、集中しているものだった。
 独学であるが、歴史の勉強をしている時に、いつもそれを感じていた。しかし、須川というのは、いくつかの性格があった。
「他人と同じでは嫌だ」
 という考え方であったり、
「何かを作り出すということに関しては、これに勝るものはない」
 という考え方。
 今の時代であれば、
「〇〇しか勝たん」
 などと言われるものになるのだろうが、自分の中で最優先の考え方だったのだ。
 そういう意味で、中学時代から好きだった、探偵小説があったのだが、当時、テレビ化や映画化されて、一大ブームを巻き起こした。
 本屋に行けば、その小説家の本がほとんど文庫化されていて、一作品一冊を横に並べたとしても、一段ではとても入るわけはないほどの数であった。
 実際に発行されている本が、その作家だけで120冊近くあったのだ。有名どころの作品というと、その中の10作品ほどだが、それでも。多いといえるのではないだろうか。
 元々、作品の発表された時代というのは、戦後すぐくらいだったので、ブームは発行かあだいぶ経って、いきなりやってきたということなのだった。
 その作家というのは、元々編集者上がりで、編集者をしながら、作家活動をしていたのと、戦争中は、どうしても探偵小説と呼ばれるものは、娯楽性が強いということで、当局の検閲に引っかかり、絶版の憂き目を負っていたりした。
 実際に、探偵小説家というだけで、当局に目をつけられていて、それでも生活のために他のジャンルの作品を書かないといけない憂き目に遭っていた。
 そこでその作家が書いたのが、時代劇だった。
 時代小説なのだが、内容は探偵小説であった。江戸時代の風俗を中心にした推理物を書いていた。これは、目をつけている当局に対しての反発だったと言ってもいいのではないだろうか。
 しかし、戦争が、
「敗戦」
 という形で終わり、連合国による、
「押しつけの民主主義」
 のおかげで、新憲法にも、
「表現の自由」
 が認められ、探偵小説を大っぴらに書けるようになったのだった。
「さあ、これからだ」
 と、その作家は叫んだというが、まさにその通りだったのだろう。
 戦前の、いわゆる
「探偵小説の黎明期」
 と呼ばれる時代には、たくさんの探偵小説家がいた。
 トリックやストーリー性を重視した本格探偵小説であったり、猟奇的で、変質者の犯罪と呼ばれるような、変格探偵小説であったり。はたまた、道徳や倫理を度返しして、ただ美というものを追求した形で、探偵小説にこだわったものではない、
「耽美主義」
 と呼ばれる小説もあった。
 戦後には、探偵小説というものが一時期流行ったが、そのあと、社会がどんどん復興してきて、世間的秩序が形成される中で、その矛盾を抉るような、
「社会派小説」
 というのが生まれてきたりした。
 須川が好きだったのは、戦前の黎明期から、戦後の社会派小説が出てくる前の時代だったので、ちょうど、ブームもその時代だったのだ。
 このあたりの話は、さすがに聡子には分からなかったようで、少し退屈させたかも知れないが、
「俺は、探偵小説を読むようになって、自分でも書いてみたいと思うようになったんだ」
 というと、とたんに興味を示してきた。
「へえ、そうなんですね。読んでみたいなぁ」
 と普段言わないような甘えた声を出してきたので、思わず背筋がゾクッとしたのだが、その時、それまで見たことのないような、トロンとした目をした聡子を初めてみた。
 その日は、きっと体調が悪かったのか、何かトランス状態だったようで、明らかに違っていた。まるで、酒に酔っていたのかも知れないと思ったほどだ。
 時代小説を読んでいると、どこか、ミステリーのようで、SFの部分も秘めている。
時代小説には、娯楽性がなければ成り立たない。なぜなら、時代小説が、フィクションだからである。時代小説というのは、基本的には江戸時代に代表される
「時代劇」
 などを中心にしたものだ。
 ほとんどがフィクションであるが、しかし、史実に基づいた登場人物だったり、歴史的事件を題材にしたりして、そこから、娯楽性を持った話を作り出す。
 時代劇というと、
「水戸黄門」、
「遠山の金さん」
 などの話が有名だ。
 確かに水戸光圀も遠山金四郎も史実としては存在する。だが、水戸光圀は、別にテレビドラマのような
「諸国漫遊」
 をしたわけではない。
 そもそも、「大日本史」というものを編纂していた人間に、諸国を回れるはずもない。
 また遠山金四郎にしても、ドラマのモデルは違う人だというような話もある。いくら何でも、町奉行がお忍びで、庶民の中に入り込んで、背中の入れ墨を見せて回るなどありえないだろう。そういう意味でも、あの話は、
「完全な一話完結」
 でなければ、成り立たない。
 一度、背中の入れ墨を見せてしまえば、いつどこでウワサニなるか分かったものでもない。下手をすれば、金四郎が、庶民と一緒にいるところを刺客に狙わせるということだったり、正体さえ分かれば、
「金さん」
 として、闇に紛れて殺害してしまえばいいだけだ。
 当然、庶民として町奉行が暗殺されたなど、奉行所、ひいては幕府の体制自体を揺るがす問題となり、町の平和どころではない一大事になりかねない。
 完全に、娯楽性のみを重点においた、フィクションでしかないのだ。
 また、時代小説と似ているもので、歴史小説というジャンルがある。こちらは基本的にフィクションであってはならない。歴史上の人物であったり事件を中心にした物語であり、そのほとんどがノンフィクション。架空であってはいけない。
 そういう意味で、娯楽性よりも、史実に充実で、それゆえに、時代考証の間違いなど、あってはならないことなのだ。
 歴史小説自体が、まるで教科書であるかのようなもので、だからこそ、歴史に忠実でなければならない。娯楽性は度返しなのだ。
作品名:大学時代の夢 作家名:森本晃次