大学時代の夢
せっかく大学に行ったのだから、大学でしか手に入れることのできないものを持っていてくれないと、自分たちいけなかった人間から見れば、却って惨めにさせられると感じていることだろう。
大学でしか手に入れることのできないものというのは、たくさんある。勉強もその一つで、特に、大学でお勉強というのは、特別なのだ。高校生までの受験を前提とした、詰込み教育は、マークシートで回答するようなテンプレートに収められたようなものではないだろうか。
しかし、大学では、考察するということ、思考を巡らせるということ、発想を豊かにするということ、それぞれに似ているように思えるが、それぞれが孤立して意識しないと成立しないものだ。
そのことを学ぶのも大学生の特権である。逆に、
「社会に出てから実践的な勉強をできるようになるための準備の勉強をするところではないか?」
と言っても過言ではないだろう。
そういう意味で、高校を卒業してから社会に出た人も、毎日が勉強であり、内容は違っても、勉強することに変わりはない。
今の須川には分かる気がする。
「昆虫の完全変態と不完全変態との違いのようだ」
と言えるのではないだろうか。
幼虫からさなぎとなって成虫になるのを栄養を受けながらじっと待って、成虫になる完全変態と、幼虫からいきなりさなぎを経ずに成虫になる不完全変態、実際には違うかも知れないが、
「さなぎは大学生なのかも知れない」
と感じるのだった。
そして、もう一つは、
「人生終生勉強だ」
というよく自分のモットーとして、使う人が多いこの言葉であった。
異性を感じる
須川は人に合わせることで、すぐに人に流されるようになった。そのせいで、楽しいことばかりを思い浮かべて、楽しいことをしている毎日の自分を客観的に見るようになっていた。そのために、毎日があっという間にすぎるのだが、後から思うと、かなり時間が経っていたと感じるようになった。
これは、須川の性格によるものなのか、皆そうなのか、確認したわけではないのだが、一日をあっという間に過ぎた時というのは、一週間などの括りの単位で考えると、結構長かったり、逆に、一日が結構長いと思える時、一週間があっという間だったりする。
しかし、その傾向は何かのパターンがあるわけではない。一日があっという間の時が楽しいと感じた時なのか、それとも辛かった時なのか? などというパターンに共通性が見つからなかったのだ。
須川にとって、自分の性格が、生活パターンに影響するというのは、あまりないような気がした。ただ、辛いと思っていること、結構長く続いてみたり、楽しいと思うことはあっという間だったりすると思うのだが、考えてみれば、楽しいことはつらいことよりも、数倍短く感じてしまうのは、須川に限ったことではない。人に話すと、
「そうそう、俺だってそうなんだよ」
と皆共感してくれることから、その思いは間違いないと思うのだった。
「須川さんというのは、どういう人なんですか?」
と、須川をよく知らない人が、須川の友達に聞くと、ほぼ皆から、
「何を考えているのか分からないからな」
という答えが返ってくることだろう。
ボーっとしていて、何を考えているのか分からないというわけではなく、それこそ額面通りに、
「いつも何かを考えているようで、その考えと行動にギャップがあって、ついていくことができないんです」
というだろう。
それだけ、
「捉えどころのない人間だ」
と、言えるのではないだろうか。
考え事をいつもしているくせに、自分から意見を出すようなところを見たことがない。
「何考えているのか分からない」
と言われるのは、せっかくの考えを決して表に出さないからだろう。
よく須川のことを知っている人は、
「あいつが考えているのは、先のことではなくて、いつも過去のことを考えているのさ。なんで、過去にそんなにこだわるんだ? って聞いた時、あいつは、過去にこだわっているというわけではなく、反省は過去にしかできないだろう? っていうんだ。俺が未来を見つめないといけない。後悔したって、過去は戻ってこないんだぞっていうと、やつは、これは後悔じゃなく反省だっていうんだ。つまり、反省は過去にしかできない。未来のことを考えるのも大切だけど、過去があっての今であり未来だということを忘れてはいけないんだって言われて、俺は、確かにその通りだと思ったんですよ」
と言っていた。
須川という人間が、よく、ものぐさだとか、面倒くさがり屋で、すぐ人に合わせる性格で、だから何も考えていないといわれるが、見る人にとってはまったく違う彼を見ているんだと思うと、感じ入るところがあった。
須川には確かにたくさんの友達がいる。しかし、そのほとんどは挨拶だけの関係で、本当の友達と言える人がいたのかどうか、中途半端にしか関わっていない人から見れば、これほど、
「勘違いされやすい」
という人もいないという。
「あいつがいつも何かを考えているのは、いつも何かを怖がって不安に思っている証拠なんです。考えることで、不安を少しでも解消しようとしていた。それは、彼に限らず皆そうだと思うんですよ。そのことを、他の人は、なるべく表に出そうとはしない。須川もそうでした。でも、彼の場合は、内に籠めておくことのできないタイプの人間なんです。特に感情が表に出る。大学入学時代は、本当にものぐさな性格だったのですが、それを隠そうともせずに、いつも表を見ていましたね。だから潔いんですよね。隠そうとしないところが彼の一番の長所だったんじゃないかな?」
という人もいた。
ただ、勘違いされやすいというのだった。
そんな須川は、一つのことに集中すると、周りが見えなくなるタイプだった。
そのことを、須川自身は自覚していなかった。それを自覚するようになったのは、中学二年生の頃だっただろうか。そのことを思い知らされたのは、嫉妬心だからだったのだ。
それまで、友達を作りたいと思い、ものぐさな性格から、人に合わせることで楽をしようと思っていたが、それが、人との蟠りをなくし、平穏無事にやり過ごすことで、無難に世の中を渡っていけるという思いからだった。
だが、その思いだけではうまくいかない。つまり、杓子定規にだけ考えていても、先に進むどころか、その場にとどまって逃げることができないということを思い知らされたのだ。
それまで須川は人を好きになることはほとんどなかった。女性に対して興味がないわけではない。気になった女の子もいたのはいた。だが、それは高校の時で、まわりが皆とげとげしい雰囲気だったことで、恋愛感情すらマヒした感覚に包まれていたのだ。
まわりが皆敵だと思っていたのだからそれも仕方のないこと。自分の気持ちを隠そうとしても、できないことはなかった。
だが、大学生になると、まわりの女の子も、男性の気を引こうとする女の子のあざとさが、須川には女性を好きになるということを感じさせなかったのだ。