天ケ瀬三姉妹
「おかあさんは、渡良瀬君を知っているのかしら?」
と思ったのだが、母親同士が仲がいいとはその時は知らなかったので、怪訝な気がしたのだが、
「お母さんによろしく」
という言葉で、その理由が分かったような気がしたが、実際に本当に仲がいいと感じたのは、渡良瀬家に遊びに行った時、お母さんが、大切にもてなしてくれたのを感じた時だった。
子供だけに、それから姉は、渡良瀬少年と遊ぶのが楽しみというよりも、渡良瀬家にお邪魔するのが楽しみになっていたというのが、本音ではないだろうか。
そういう意味もあって、姉は、渡良瀬少年を友達だと思っているようだが、それだけみたいだった。そのうちに、天ケ瀬三姉妹の妹たちも渡良瀬少年と仲良くするようになり、それを引き合わせたのが自分だという意識を持つことで、妹たちにマウントをとれる気がしたので、妹たちが渡良瀬少年と仲良くすることに、一切のわだかまりなどなかったのだった。
次女のゆかりからすれば、最初は、
「近所のお兄ちゃん」
という思いと、
「お姉ちゃんのクラスメイト」
という当たり前の感情しか抱いていなかった。
親同士も仲がいいので、平和な関係だということで、渡良瀬少年に対して、
「お兄ちゃんができたようだ」
という感覚を持っていたのだ。
しかし、そのうち学校で、何が原因なのか分からないが、ゆかりが苛めの対象になっていた。苛めに遭う理由はこれといって見当たらない。ゆかりが誰かに何かをしたという苛めに繋がるようなことはなかった。
事実、ゆかりを苛めるようになった具体的な理由は何もなかったのだ。たまたま、苛めの対象だった相手が転校していき、そのため、苛めの対象を他に探していると、目についたのがゆかりだっただけのことだった。
「ゆかりちゃんって、いつも言いたいことをいう」
という、誰かの言葉を聞いて、
「そうね、確かに」
と、苛めを行っていたボスが、そう感じたことが一番の理由だった。
そんなことが苛めの理由になるのであれば、それは世の中から苛めがなくなるなどありえないということであろう。
そもそも、苛め集団からすれば、これを機会に苛めをやめることもできたはずだった。誰かの一言でターゲットが決まらなければ、苛めはなくなっていたかも知れない。そういう意味で、
「あの時、あんな言葉を聞かなければ」
と苛めのボスは思ったことだろう。
だから苛めが継続される形になったが、ゆかりは、苛めを受けるようになっても、それ以外のまわりの人たちに対して、自分のそぶりを変えることはなかった。
少しでも違っていれば、
「ゆかりちゃんが、苛めに遭っている」
ということに気づいた人はいるだろう。
ただし、気づいたからといって、誰が助けてくれることだろう? ほとんどの人は、誰かが苛められていたとしても、それを止める勇気などないに違いない。なぜなら余計なことをいうと、今度は苛めのターゲットが自分に向くからである。
そんなことは、誰もが百も承知のことだった。
ゆかりとしても、自分が第三者の立場で、誰かが苛められているのを分かったからといって、助けに入るだろうか? いや、そんなことはしないだろう。
ゆかりには、それほど、
「勧善懲悪」
という感情があるわけではなかった。
「自分さえよければいい」
という考えでもなかったが、苛めがどういうものなのか、客観的にしか見ていないので、もし自分が苛められるとすれば、それがどれほどの辛さなのか、実際に味わうよりも、さらに強いものだろうと考えることで、人を助けて、そのために、自分が苛められるのであれば、それは一切の問題解決になるわけではなく、本末転倒もいいところである。
底なし沼に攫われそうになっている人を助けようとして、自分が沼に沈んでいくようなものだ。
それを考えると、その時ゆかりは、ある昔話を思い出していたのだ。
その昔話というのは、ある木こりが、森の中で迷った時の話だった。
いつも、入り込む森なので、普段であれば、迷い込むなどということはありえないのに、その時はどうかしていたのかと思ったが、彷徨えば彷徨うほど、森の奥深くに入り込んでいっているような気がした。
そのまま歩いていくと、少し広いところに出てきた。
そこで一人の少年が立っていたのだが、その少年は様子がおかしかった。歩いていって、その広っぱに出てくると、その中央にその少年は立っていた。よく見ると、足は一本の木の幹になっていて、そのまま、地面に根付いていた。上半身は、蓑に覆われた普通の少年だが、下半身は、腰から下が、木になっていたのだった。
足がなく、木の幹が地面にしっかりと根を下ろしているので、当然のごとく動くことができない。
木こりの男が、普段なら気持ち悪がって近づくはずなどないだろうに、その時はなぜか気になるという好奇心の方が強く、近づいていった。
「どうしたんだい?」
と聞くと、
「おらは、ここでずっとこうしているんだよ」
というではないか。
「元に戻ることはできないのかい?」
といって、自分が愚問を口にしたことに気が付いてハッとした。
なぜなら、分かっているなら、最初からしているからだった。
しかし、少年は怒るわけでもなく、ただ、
「フッ」
とため息をついて、下を向いた。
「やっぱり言わなければよかった」
と思ったが、少年がふと、
「そこに水晶が落ちているんだけど」
というので見てみると、確かにそこには水晶が落ちていた。
「あれ?」
そう、確かに今までにはそんなものはなかったはずなのに、いつの間にそこに現れたのだろう?
「その水晶を手に取って、おらに渡してくれないか?」
というではないか。
普段なら、そんな危険極まりないことはしないのだろうが、少年に対しての同情なのか、それとも、
「何もできない自分にできることは水晶を取ってあげるくらいしかない」
という思いから、少年を助けてあげようと思ったのか、水晶を拾い上げた。
その水晶は実に綺麗で、中で何かが蠢いているように思えた。それを確認しようと思ったのだが、その時、少年の目線が、
「早く」
といっているようで、とにかく少年に持たせてやるしかないと木こりは思い、少年に手渡ししたのだった。
すると、思わず、ビリっとした感覚を覚え、手を放そうとしたのだが、少年の手が、急に力強く木こりの手を握りしめた。
「痛っ」
と思ったその瞬間、木こりは目を閉じてしまった。
その時に、自分の足が急にズンと重くなったかと思うと、腰に何かがのしかかったような気がした。
「どうしたんだろう?」
と思って目を開けてみると、そこには、先ほどの少年がニコニコ笑っている。
その顔はまるで生気を取り戻したような表情で、あらためて、さっきまでの少年の顔がまったく生気の見えない表情だったと想像したが、だが、どんな顔だったのかをもう一度思い浮かべることはできないでいた。
少年に近づこうとすると、
「うっ」
と声が出てしまった。
前に全く進めなくなっていたのだ。その瞬間、何が起こったのか、すぐに分かった気がした。なぜなら、自分の目線は最初に目の前にいる少年の下半身に向いたからだ。